そこんとこよろしく!ここんとこご無沙汰!   

懐かしのダウンタウンのコントからの引用タイトルである。
それにしても、今年は、気楽にダラダラとブログの更新をマメにしようと思った矢先の、よもやの追悼途中放棄だ。

まったくあっという間のひと月だったし、つい先日年が明けたとばかり思っていたら桜は散るし、もういくつ寝るとゴールデンウィークが差し迫るという、勢いの止まるところを知らない月日の流れである。このところの1年は、なんか9ヶ月くらいで終わっているんじゃないかと思うのだが、どうなんだグリニッジ天文台。


市川崑を語る糸口を「おっぱいポロリ」としたまくらは我ながら上々であった。間を空けず、私は市川崑作品の見所を、古くは「暁の追跡」から、2007年の「ユメ十夜」まで、これまで観た約50本弱について一本一本端的に語るつもりでいた。しかしこれが改めて書こうとすると、もうだいぶ前に観たっきり印象の薄れてしまった作品が多々あった。例えば「黒い十人の女」や「炎上」、「私は二歳」などなど。これら一連の大映作品を市川崑の傑作と讃える向きもあるが、私はほとんど憶えていないのだ。まあ若くって、その作品の良さを理解できなかったってこともあるやもしれないし、だったらこの際も一回観とくか、と、そんな調子で古いビデオを引っ張りだし、それらを改めて観なおしたり、ついでにお気に入りだったオムニバス映画の「女経」をまた観たりなんかもし、さらに公開されて以降ソフト化に恵まれない「幸福」だとか「火の鳥」だとかの公開当時の記憶をたぐってみたり、なんてことをしていたら、時は「1年9ヶ月くらい」のスピードで過ぎてい、つまりもうなんだかすっかり書くのが面倒くさくなっていたのだった。

50本もやっていられない。そんなわけで追悼縮小決定。以下市川崑作品フェバリットトップ10。カウントダウンで。


10「雪乃丞変化」1963年c0018492_3344315.jpg





なんか最近、この作品、タッキーがやってたでしょ。

我々世代には特に思い入れのない長谷川一夫の、なるほどこれがかつての大スター演技かぁ、とちょっと唸ってしまう一本。もうとにかくすべてがたっぷりしている。そしてその濃厚さと真逆なのが、市川雷蔵。長谷川一夫二役の闇太郎のニセモノ、昼太郎を端役ながら飄々と演じていて、それがアクセントになっていていいのだ。


9「ビルマの竪琴」1956年c0018492_32133100.jpg





オウムが...、二羽のオウムが両肩に仲良く!

これはやっぱり日本映画史に残る名作なんでしょう。卒業式での「あおげば尊し」にはなんら感慨はわかなかったけど、この映画で水島上等兵が奏でる「あおげば尊し」には、「泣かせにきたな」とわかっていても、やっぱり涙。自由のきかない収容所内と外の通信にオウムを使う、なんてあたりもグッと来てしまう。音楽好きの隊長を演じる三國連太郎の、戦場での隊長役とは思えぬほどの軽妙さがいい。
「思うようにロケができなかった。ビルマの赤い土を是非カラーで撮りたい」という監督の思いから1985年に再映画化されるが、まるで東映のやくざ映画で使われているかのようなとってつけた銃撃音や爆発音、過剰な音楽の使われ方など、ちょっとどうなの?という演出が目立つ。隊長役の石坂浩二はシリアスすぎるし、オリジナルをしのぐリメイクものなどないのだ。きっとね。


8「ぼんち」1960年c0018492_3221992.jpg





これ、映画では、もっと横長の、ズドーンと広い画の中に、ポツンと日傘が置かれているのだ。

どんなに演出が優れていようと、やっぱり映画の善し悪し、好き嫌いは畢竟シナリオに依るところが大きい。特に私の場合は。それでもごくたまに、たったワンシーンのみでその作品が好きになってしまうこともあるのだった。
若尾文子演じる妾の芸者ぽん太が本宅へ挨拶にいく、ほとんどモノトーンで直線の屋根瓦と、鮮やかなピンクのまあるい日傘という対称物を、真俯瞰でとらえたワンカットがもうすばらしいのだ。このシーンだけでも観る価値あり。
ちなみに56年の「日本橋」では同じ若尾文子が雪の日本橋を、真っ赤な番傘で歩くシーンがあるのだが、それも目が覚めるように美しい。


7「鍵」1959年c0018492_3232721.jpg





京マチ子のまゆ毛が、とにかくすごいことになってます。

大映時代に好きな作品が集中してしまうが、やっぱりこの時代の市川崑は、映像作家として一番脂が乗っていると思う。夫婦を京マチ子と中村鴈治郎、その娘の婚約者を仲代達矢が、それぞれ爬虫類のような不気味な演技をしていて強烈なのだが、それにも負けず劣らず娘役の叶順子がいい味の映画である。
極力カラーの発色を抑えた色彩説計が、全体をヌメっとした感じにしている。
酩酊して気絶する妻を裸にして写真を撮る中村鴈治郎のメガネが、京マチ子のお腹にポロッと落ちてしまうシーンがとてもエロチック。


6「おとうと」1960年c0018492_3242123.jpg





どうやらビデオやDVDでは、残念ながら"銀のこし"の本来の色は再現されてないらしいのだけど。

やっぱりこの頃の市川崑は、黒澤の「隠し砦...」から「赤ひげ」時代に匹敵するね。姉げん役の岸恵子の頬がふくよかできれいめに撮れたシーンは、全部ギスギスに見えるように再撮したんだそうだ。大正期のカラーを再現してくれ、という注文に、カメラマン宮川一夫が現像の特殊技術で応えた、いわゆる"銀のこし"を開発したことで有名。デヴィット・フィンチャーの「セブン」とかでも使われている技術。
父の森雅之は、作家有島武郎の実子であるだけに作家の役にピッタリ。もし生きていたら、75年の「吾輩は猫である」の苦沙弥先生は、森雅之こそはまり役だったんじゃないだろうか。ま、この作品には関係ないが。
サパサパしたげんの所作で、湿っぽい余韻をカットアウトするかのような幕のおろし方は、到底男には書けねえホンだなあ、と思った。それは向田邦子のホンにも共通する凄みだが、当然市川監督の奥さんである和田夏十さんのシナリオと思いきや、違っていてビックリ。


5「女経」1960年c0018492_3251189.jpg





こうして見ると、やっぱり"キレイ"という言葉にピッタリな山本富士子。

三話構成の第二話「物を高く売りつける女」を監督している。ほかの二話は、増村保造と吉村公三郎。
高畠華宵の絵からそのまま出てきたような、いかにも日本美人の代表格たる山本富士子は、この作品を観るまではどこか優等生的な女優に思えて、私の中での「かつての女優ランキング」にはベスト10どころか圏外の人でしたが。前半の、ミステリアスで幽霊のような女から、突如べらんめえ口調に転調する山本富士子は、まるで植木等の「ハイ、それまでよ」みたい。それを可愛らしく演じて、とてもいいのだ。ここでも市川崑の色彩設計は抑えめで、青と赤のみ鮮やかに見せている。


4「細雪」1983年c0018492_3261581.jpg





んー、いいシーンですこれは。

デビューから軽妙な喜劇作家として主に東宝で活躍した時代を前期、大映で良質な文芸作品を連発していた時代を中期、そして76年の「犬神家...」以降の邦画界最前線に返り咲いてからを後期と括るならば、これは後期の代表作であり、傑作である。カット割り、照明、色彩設計のすべてが、金田一シリーズでの実験期を経て、見事に結実された作品。
さらにそれに拮抗してすごい仕事をしているのが、当時40歳になってからいよいよ美しさのピークを迎えるという脅威の女優、三女雪子を演じる吉永小百合だ。またとない絶好のタイミングだった、監督と女優の幸福な出会い。
ラスト、窓外に細雪の降る料理屋の二階でひとり涙を流す石坂浩二に、公開当時高校の私はいまひとつピンと来なかったものだが、この歳になるとジーンとしみじみしてしまうのだった。


3「犬神家の一族」1976年c0018492_326551.jpg





金田一耕助の登場シーン。「木枯らし紋次郎」オープニングタイトルの登場シーンとやっぱり似ている。

市川崑による金田一シリーズでは二作目の「悪魔の手毬唄」を傑作と推す人が多いが、私はダントツでこれ。もちろん76年の。2006年のリメイク作に、同じ台詞、同じカット割り、同じキャストがいくらあろうと、出来は雲泥の差だ。
あまりこの映画の面白さを理解しない人は、まず怖くもなんともない、という。さらに犯人と金田一耕助の、丁々発止の頭脳戦などを期待すると、肩すかしを食らうことだろう。じゃあなにが面白いのか。それは市川崑の動作に対する細かい演出の冴え、にあるのだ。
例えば、次女竹子と三女梅子の会話が、婿養子の金田竜之介の巨漢をはさむことで、少しだけ行き違ってしまう、ものの1秒ほどの動作。
犯行現場に残されたブローチを発見した金田一が、そればかりに気を取られ、テーブルに軽く接触する様。
犯人に自らの推理を勢い一気呵成にまくしたてたことで軽く咳込んでしまう、つまり金田一耕助の探偵としての若さの演出。などなど。
そのどれもがごく自然の所作の流れの中で処理されているから、いちいち観るものを立ち止まらせないが、これら細かい動作の集積により、登場人物のそれぞれが活きたキャラクターとして見えてくる。人がしゃべるときの無意識にする動きを、意識的に再現させることはなかなか難しい演出術なのだ。リメイク版に欠けている魅力のひとつはここにある。なんだかみんながみんな、台詞をしゃべるためにしゃべっているようにしか見えなかったんだよなあ。


2「股旅」1973年c0018492_39416.jpg





「映画は所詮、光と影」と言っていた市川崑。まさにこのシーンにこそ相応しい。ギザかっこゆすなぁ。

渡世人に憧れる若者3人の、70年代の時代感をたっぷり盛り込んだ青春ロードムービー。斬り合うショーケンと小倉一郎のカット割りが凄まじく、そのあと訪れる寂寞感なんて、まさに"「傷だらけの天使」渡世篇"といったところ。これを撮りたいがために、市川崑は、テレビドラマのアルバイトで稼いだギャラを製作費に充てた。それが「木枯らし紋次郎」だ。


1「木枯らし紋次郎」1972年c0018492_3302516.jpg





市川崑のヒーロー像は、どこからともなく現れて、いづくへと去っていく、定住しない孤独感。だからこの登場シーンは金田一耕助とおんなじなのだ。
それにしても新日本紀行に出てきそうな、これぞ日本の風景。今でもこんなロケーションってあるのかしら。


まあ、結局のところ、市川崑の映像は、このドラマのオープニングタイトルの演出につきるな、と。映画じゃないんだけど。
上條恒彦が唄う主題歌「だれかが風の中で」と、ジャンプショットやマルチ画面を駆使した映像の見事な融合。これを観るためだけに、子供の私は夜更かしをしていたのだ。そしてそれだけ毎週欠かさず観ては満足して、本編もそこそこに寝入ってしまう。だからドラマをほとんど憶えていないのだ。だからといって、改めて観ることもないと思っている。私にとっての「木枯らし紋次郎」は、このオープニングタイトルがすべてなのだ。


と、自分的には駆け足に好きな10本について書いてみたわけだけど、これも日によって変動したりするもので、とくに10本めを「雪乃丞変化」と「野火」とで迷った。「野火」ではミッキー・カーチスがとにかくいいのだ。
そう、なにより市川崑作品では、役者が実に魅力的に見える。10本には入れていない初期作品群における伊藤雄之助や「悪魔の手毬唄」の若山富三郎、金田一シリーズにおける加藤武や草刈正雄のコメディーリリーフとしての起用、山本富士子、岸恵子、吉永小百合...こうして改めて作品歴の半数近くを鳥瞰してみると、結句市川崑は私にとって、アングルだかと照明だとかカット割りだとかの"映像のスタイリスト"としてよりも、なにより「役者あしらいのとても上手な監督」だったという結論に落ち着いたのだった。合掌。

by wtaiken | 2008-04-12 08:40 | なんでもベスト10

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