笑って許して   

そこは決して口が強ばってしまうほど凍えていたわけではない。暑すぎず寒すぎず、朝10時半のクライアントの会議室は、むしろほどよく暖房が効かされている。
「寒さで口が強ばっての失言」。この言い訳はまるで通用しないだろう。

だったら私は過度の緊張感の中にあったのか。確かに、私がすべての指揮官となって進めてきた仕事のその日は仮編集試写であって、クライアントにしてみれば、自社開発商品を売らんがための映像がどんなことになっているのか、撮影時では断片的に確認してはいるものの、それぞれのカットが流れをもち編集というマジックの施された作品の全貌を目の当たりにするはじめての機会であり、期待と不安の面持ちで普段に比べ一段と無口だったりするし、ましてや総責任者たる"観ていただく"立場の私とてそれは同じことで、ほど良い緊張感の中にあったとはいえ、よもや呂律の回らなくなるなど、業界歴20年のもはやベテランの領域に達してきてしまった私にはなかったはずだ。
「あがっちゃってあがっちゃっての失言」。この言い訳も無理だ。

ならばなにか私が、興奮のあまりそれを思わず口にしたとは考えられないか。例えば試写では、思いもよらないとんでもない事態が勃発することもしばしばで、映像に対する初歩的な質問や疑問から的外れな意見や要望、そして想定外の苦言まで、演出の私を戸惑わせることがなにかと起こりがちだ。度を超した修正の要望に、さしもの私も頭に血が上ることは一度や二度ではない。
「ロケーションの背景が邪魔だ。モデルのバックをすべて白く塗りつぶせ」
これは実際あった話だが、かようなとんでもない意見をねじ伏せるべき論理を、試写での私はとっさに用意しなければならない。最終的には話を予算に帰結させ、お金がかかることで納得させる手もあるが、それはあくまで伝家の宝刀であり、その役割を担うのは代理店の仕事だ。私は、穏便に、作品性に言及をし、あくまで冷静に対処して、理不尽な要望を撤回させなければならないから、どんな局面でも感情を押し殺すことを心がけている。それでもクライアントは気まぐれで、さんざん確認の上に確認を積み重ねてきたすべてを何食わぬ顔で覆してくる。それまで一切の会議に出席をしてこなかったクライアントの上層部が試写にだけひょっこり現れる時は要注意なのだ。
その日も、これまで見かけなかった役員クラスのものが出席をし、代理店を含めた制作サイドのこちらより、あきらかにクライアント方に緊張感の度合いが強かったほどだったが、出てきたのは拍子抜けなほど常識的な要望ばかりで、私としても声を荒げる場面など一度もなかったはずである。
「興奮をし、思わず口がすべってしまいました」。この言い訳もない。

「はじめのカットなんですけど、テロップ(画像に入れる文字のこと)が白いのは、やっぱりそれがいいんでしょうか」
クライアントの宣伝担当の女性から、それはまさに想定していた質問だった。

今度の作品は、全体を白い空間で統一している。ビューティ・コスメ系の商品を扱うモデルを、白いホリゾントと白いハウススタジオの中ですべて撮影した。するとそこに白い文字を入れるとどうなるか。白い空間とはいえライティングによりうっすらと陰影がつき、確かに読みにくくはあるものの、若干グレーめに転んだ背景にのせる白100%の文字は画面になじみ、映像の全体を上品にする。ナレーションを補足する程度の、デザイン的にあってもいいんじゃないか程度の情報を、だから私は、さりげなく、感じる程度に白いテロップで入れていたのだ。例えばその文字をハッキリと明瞭に見せるための枠をつけたり、文字自体に色をつけてしまうことで、途端にこの美しい世界は崩壊をし、すべてを台無しにしてしまうだろう。とりあえずもう少しの視認性を求めての試行錯誤も編集時には尽くした結果の"白"だ。そんなことを、なぜここに入れる文字を白くしたかを、冷静に説明するつもりだったのだ。自分を落ち着かせるため、順序立てて、相手に納得してもらうよう話すため、広辞苑によると「すらすら言えない時に挟む、つなぎの語」の
『あの〜』
を丁寧に
『あのですね』
と、私は言い始めたつもりだった。

大きくうなづきながらその質問に答える態の私のアクションに「お、監督が説明するぞ」とクライアントは聞き耳を立てている。そうだ私は、この想定していた質問がズバリ繰り出されたことに、待ってました感が少しく感情を高揚させてしまっていたのかもしれない。

『あのさー...』
と、そう言ってしまったのだ。それは相手とっては、まさに寝耳に水のタメ口だったろう。それまで丁重を極めていたはずなのに、一転よもやの友達感覚で接しはじめる監督。突如横柄にしゃべりはじめた私のこの一言に、会議室のものみなすべてが耳を疑ったはずだ。一体どうしたんだ、この人は。いや、別に口がすべっただけなんすけど。

そう、この手の「突如タメ口語尾化」の言い間違いは、まだ敬語に不慣れな社会人になりたての頃にならありがちだ。常日頃使い慣れ、染み付いてしまっている言葉遣いがつい口をついて出てしまう、例えば「そうですよね」と賛同を促す場面で「そうだろ」と言ってしまったりするやつだ。さらにその二つが混同してしまい「そうでろ」などとわけのわからないことになったりする、それだ。社長のことを「先生!」と呼んでしまったり、会社の電話をとって、自宅気分で「はい、会田です!」言ってしまったりする、社会人たる自覚の足りない頃にこそ許されるうっかりミスだ。

繰り返すが、もう私は社会人歴20年だ。自覚を満たすまでに、一体何年かけているのだ、私は。

そういえば数年前、クライアントの東京ガス社内会議中において、あろうことか私はその社名を、最大のライバル会社"東京電力"と言い間違ってしまったことがあり、これは「社会人の自覚」云々ではすまされない、"うっかり"では許されない血の気の引く大事件であったと言えよう。アントニオ猪木に向かい真顔で「ジャイアント馬場さん」と呼んでしまうような、ソフトバンクの仕事中に「ドコモ、イェーイ!」となぜか叫んでしまうような、寅さんに言わせれば「それを言っちゃあ、おしまいよ」の決定的な一言であったはずだ。血の気の多い担当者であったらば、即刻退場の厳命が下ったかもしれない、それは大失態であった。この事件の一部始終はすでにブログに記した通りだが、繰り返すと、シベリアのように凍てつくその場を和ましてくれたのが、陽気な若きクライアント担当者の「いやあ、実は、よく社員でも間違うんですよ」の一言だった。いいやつ。ナイス・クライアント。果たしてその一言をきっかけにして、会議出席者の誰もが一気に破顔する中で、私ばかりは終始「大変失礼な言い間違いを致したこと、平にご容赦」顔で通したのだった。その場の波に乗って一緒に笑う選択もあるにはあったが、こればかりは誠心を示す態度こそが適切なのだと瞬時に思われたからで、あの時の私の判断は間違っていなかったと思う。

とまあ、なにかと事件は会議室に起こるもので、さてまたしても私の口が招いたとんだ災厄がこうして持ち上がってしまったわけだ。
固唾を飲むとはまさにこのことで、周りの空気がビタリと止まったようだ。確かに、それを言われたものは、馴れ馴れしさにさぞ驚いたろう。代理店をはじめ制作側のものも同じく、その不適切な発言にギョッとしたろう。つい口が滑った当の私も一瞬二の句が告げず、その隙間をつくってしまったことで、如何に処置すべきかの判断を自ら迫られることとなってしまったことはつくづく不覚である。例えば、このままシラを切って何事もなかったかのように、その一言が各々の空耳とでも思わすよう話をズンズン押し進めてしまうバターンもあったからだ。こうなってしまうと「あのさー」とタメ口をきいた事実はもはや動かしがたく、出席者すべての五感が今、このあとにとるべき私の動向に一切が向けられている。
たかが「あのさー」程度とはいえ、図らずもとってしまったクライアントに対する非礼を、やっぱりここは真摯に頭を下げるべきが筋なのかもしれない。順当だろう。謝るとはそういうことだ。しかし私の瞬時にとるべき判断に若干の余裕があった。"まあこの程度なら"という開き直りに似た感覚で、だから私は別の手をとったのだ。それはつまり、発した本人自らがあえて包み隠さず驚きをあらわにし、自分でも信じられません的な微笑みをもって謝罪する手。簡単に言えば、愛嬌ですり抜ける。これだ。
「え、ええー? あ、あれー? なに言ってんだろ。"あのさー"はないですよね、いやあ、まいったな。"あのさー"じゃないです。すいません、ホントに。てへへ」

こうして、えへらえへらと濁すように、私は笑いながら謝った。すると凍りついた空気が一瞬に氷塊して、誘われるように、クライアントも、スタッフも、みんな笑った。「まったくぅ、監督ったら、"あのさー"はないよ、"あのさー"は。もう」的な雰囲気に包まれ、私は、自らの失言をこうして見事に愛嬌ですり抜けたのだった。ただひとり、生真面目な代理店の営業ばかりが、隣りの席で「本当に、すいません!すいません!」と、まるで自分のことのように真顔の謝罪を繰り返していたが。

おそらく。おそらく「東京ガスを東京電力と間違う」事件での、あの修羅場を経験しているからこそ、私はさのみ動揺せずにいられたのだろうと思う。余裕の対処も、「東京ガスを東京電力と間違う」事件のおかげだ。その「東京ガスを東京電力と間違う」ことに比べれば、「あのさー」なぞほんの些事に違いない。

大は小を兼ねる、だ。失敗するなら、でっかく失敗しとけ。すると小さい失敗に俄然余裕が生まれる。こう私は、この春入社するフレッシュマンたちに声を大にして言いたい。フリーランスの私に、新入社員などいないけれど。

by wtaiken | 2008-02-22 05:32 | ああ、監督人生 

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