まんまでいいです。   

「まんまでいいす。」
これは最近私が頻々とコンビニのレジ前で会計時に使っているセリフで、省略しないとつまり「買った商品らはわざわざビニール袋に包まずにそのまんま渡してくれていいのですよ。」こう言わんとしているわけで、店員が流れ作業でバーコードを読み取ったその手が今や商品を包もうかとビニール袋へとのびかけた一瞬をとらまえて発しているから、この一言をもって「お、おぉ。おぉ...」という感じでわかってもらっている。
打ち合わせの別れ際、プロデューサーが「まあいろいろと大変なことがありますが、企画の方をよろしくお願いします。」を「まあそんなこんなで、ひとつ!」と省略しても私に通じてしまう、それだ。いや、なんか違う気もするが、まあつまりは、みなまで言わずとも通じてしまうわけだ。
コンビニの買い物は、おおむねちょこまかした駄菓子類いの子供買いでしかないから、ビニール袋などいらない。このところスーパーなどではビニール袋を有料化することで、"省資源化→地球環境保全"という企業意識が高まっていて、だからたってこの私の"「まんまでいいす。」コンビニ一言運動"を、声高に啓蒙するつもりは毛頭ない。
ようするに私はこうしてビニール袋に包まれていない物品らをワラワラと、無造作にバッグへと放り込んでいるのだった。

なにもこれは私の現場に限ったことではないが、撮影スタジオと編集室には決まってせんべいやらチョコレート、アメやらが、プロダクションの制作さんの趣向で選定されたのち山のように常備され、朝っぱらからいい歳の大人たちが談笑をしながら仕事中だというのにパクパクと好き勝手に食すことの許される、子供からしたら夢のような職場環境に私はいるのだが、5日を仕事初めに4日間連続して作業される編集室に、クライアントや代理店ばかりかプロダクションからも誰ひとりとして立ち会うもののいないというのはとっても気楽である反面、たとえば小腹が空いたからといって「じゃあちょっと買い出しに行ってきますか」と名乗り出る人がいない状況なのであり、だったら大人なんだからおやつの我慢くらいすればいいのだろうが、止むに止まれず食べたくなってしまった非常時を考えると必定買い出し役は私となって、途中作業を中座してまでコンビニへ行く手間を鑑みた結果、仕事へ赴く行きがけに、せんべい2袋、チョコ菓子1袋、アメ1袋の都合4袋のお菓子を、さすがに「まんまでいいす。」とは言いかねて、買ったそれらの入ったコンビニ袋を携えその日私は編集室入りをしたのだった。

コンビニ袋をドカッとデスクへ置く、タスキがけのバッグをドバッと足下に降ろす、モニター前の椅子にドサッと身を落ち着かせると、遅れて到着したくせにとりあえず余裕のタバコを一服つけつつ編集オペレーターの高橋くんに「どんな状況?」だなんて、まるで音楽番組"MusiG"での佐野元春(注1) みたいなセリフで作業の進捗状況を確認してから、その日一本めのタバコをもみ消し、ようやく本腰で始めましょうかとばかりに書類を取り出さんと足下のバッグを開いてみるとだ、仕事道具に混じって、ウエハースチョコの定番、季節限定サクランボ味のキットカットがなぜかポツンとひとつ中にあるのだ。
なんなんだろうか、こやつめは。
デスクの上には今さっき置いたばかりの、買った菓子類のすべてを包んでいるコンビニ袋が手つかずのままある。思わず二度見して視線をバッグへと戻せば、そこにはむき出しのキットカットだ。
...はて?
混乱する頭の中、コンビニの陳列棚の前でこの商品を明らかに買うつもり満々で手に持っている自分の姿が甦った。おう、買ったんだっけか、オレ。
ん?
...待て待て、レジを通した商品はそらそこに、今その全貌がコンビニ袋の中に包まれているはずじゃないか。
... およ? するとだ。
たとえばコンビニから編集室までの短い道すがらに私はコンビニ袋からなぜかキットカットだけをつまみ出すと意味もなくバッグへと移し替えた、ありえないだろう。
と、いうことは、だ。...よもや。
手元にレシートさえあれば、確かめもできようが、領収書の総額からは買った買わなかったの判断はつきかねる。
やりおったのか...まさか私は。無意識裡に。

「どうしたんですか」
編集室にやっと来たと思ったらキットカットを手に呆然としている挙動不審なディレクター、つまり私にそう問いかける高橋くんへ、私はことの次第をつぶさに包み隠さず報告してみた。
なんかね、買ったもんはさ、全部そこの袋に入ってるわけだ。けど、一個だけキットカットがバッグに入ってたわけよ、なんなんだろうねえ。これは。ははは。
すかさず高橋くんはこう言い放った。
「それ万引きじゃないスか」

まったくズバリ言ってくれるが、確かにそうなんだよな。それ以外考えられないのだ。バッグにむき出しのキットカット、その事実が如実に私の万引きを物語る。
やってもおた。らしいのだ。と、まるで他人事のようだが、記憶にない私の万引き行為は、つまり以下のごとく考えられた。

入店時そんなに買うつもりがなかったから買い物かごを持たない私は、片手に余る菓子類をきっと両手で抱えてたろう。自分の降りる3つ前の駅あたりからキップを手にしていないと落ち着かない性分の私には、レジへいって物品をカウンターに置いてからようやくガサゴソと財布を取り出す行為など考えられない。しかし両手はふさがったままで、これでは「事前にバッグから財布取り出す」行為がままならない。常々タスキがけにしているバッグは私の身体の右側に位置し、なにかと中から取り出す作業は右手に一任されるわけだから、仕方なく私は左手に件の4袋を抱え込み、どうにか右手には一番小さいキットカットのみ持つよう割り振る。それでもキットカットがやっぱり邪魔だ。そこでバッグの中ではこんなことが行われる。キットカットをリリースし、すかさず財布をキャッチする。なんだか頭の悪いサルのようだが、そのあとにちゃんとバッグから拾いあげるつもりがとんと忘れられたキットカットは、残されたままここにこうして今私の手の中にある...。そんなことではなかったか。

それにしても、このうっかりさ加減にもほどがあるというもので、なんだか自分で自分がわかなくなってしまった。
ぼんやりしてました。気がついたらバッグに入ってました。持ち出すつもりなんぞこれっぽっちもなかったんです。仕事のストレスで。これじゃあ、よくニュースなどで観られる、万引きGメンに拘束された主婦が「ボーっとしていて覚えていません」などと申し開く、あれと同じじゃないか。だいいちそんな言い訳など通用しないだろう。意識のありなしなど、私の胸ひとつだ。その時の私の心の中を覗く手だてはないわけだし、こうしてキットカットがある以上、勝手に物品を店外に持ち出してしまった事実はもはや動かしがたく、となるとその時その店に、すご腕の、例えばピカデリー梅田(注2) のような万引きGメンがいなくてホントよかったとつくづく思うのだ。いやいやそーゆーことじゃなく...。

自称CMディレクターの、うっかり万引き、だ。43年生きてきて気づかなかったが、自分には、とんだ手癖があったのだ。
どの社会においても、悪い噂の流布は異様に速く、だから近々に私は盗人扱いを甘んじて受けなければならない。あの監督に近づくな、「うっかり」とか言ってなんか盗られちゃうらしいよ。これからはそう言われてしまうのだろう。
「そう? 一緒に仕事したけど、別になんにも盗られなかったわよ」
「いやあ、盗られんじゃねーの。心をよ!」
「まあっ」
カリ城か、オレは。(注3)
あるいはギャラ泥棒、とか。いや、それはちょっと意味が違うだろう。

それにしても本当に私はキットカットがバッグに落ちてしまったことを気づかずにいたのだろうか。私はそんなうつけ者なのか。
ともなると、身の回りにあるモノというモノが疑わしく思えてくる。本当にそれらはしっかり会計を通してきたモノばかりなのか。知らず知らずに持ち出してしまったモノがそこには潜んでいるんじゃありますまいか。例えば、買おうとしていた文庫本を無意識裡にバッグへ、とか。欲しかったCDもついでにバッグの中へ、とか。ネギや豆腐もストンと。「おお、これ映り、いいじゃん」とばかりに両手に抱えたハイビジョンテレビすらも私はバッグに無理くり落としてしまう、みたいな。うちにあるもの実はほとんど全部そうでした、みたいな。
まあ余罪の追及はさておき、当面の問題はこの手元にあるキットカットだ。どうしたらいいか。
"たかがキットカットのひとつやふたつ"とは決して思わないものの、わざわざはじまったばかりの仕事を中断してコンビニに舞い戻り、「なんかですね、気がついたらバッグに落ちてましたよ」と、真実を素直に申し出るバカ正直さもどうかと思われ、気持ちは逡巡しているつもりだったのだが、手元から小気味の良いベリベリベリという音がしたかと思うと、私の左手は勝手気ままにキットカットの箱を開けていたのだった。
おいおいおい、しようがねーなー、この左手はよお。
覆水盆に返らずで、開けてしまったものはしょうがないから、もう一気にキットカットを口に含んだその途端だった。季節限定のサクランボ味が脳髄に刺激を与えたものか、ハッキリと私と思い出したのだ。そうだった。
「このキットカットは、昨日買ったんだった」

昨夜、編集からの帰り道、タクシーを降りて、私は切らしたタバコを買うためコンビニに立ち寄ったのだ。そしてついでに目についたキットカットをひとつ手にし、レジでいつもの「まんまでいいす。」と裸で受け取った2箱のタバコとそのキットカットをポンっとバックに入れんだった。なんのことはない、つまりはそれをすっかり忘れてしまい、包まれずむき出しでバッグに入っていても違和感のないタバコは見過ごされ、キットカットだけが殊更バッグの中で異彩を放って、そうして私は勘違いをしていただけのことなのだ。
「まんまでいいす。」の引き起こした災難。というか、ただの間抜けな話だ。
昨夜のコンビニの記憶とさっきのコンビニの記憶が直結をし、その間の、家に帰って、寝て、起きて、仕事に出たあたりの記憶がごっそりと、まさしく"間抜け"してしまっていたわけだ。

編集編集の毎日だから、頭が勝手に記憶の編集をしてしまっていた。コンビニつなぎ。「コンビニとコンビニんとこ、そこさあ、お菓子を手に取る動作がビッタシ一緒じゃん! つなげちゃえよ、アクションつなぎで。あとは丸々カットで!」
といったところか。
おいしいところとおいしいところの記憶をいい感じでつなげてしまい、対して面白くない記憶はそぎ落とす。これはある意味、職業病なのかもしれない。学会に新しい精神病理として報告されるべきかどうかの判断は私にはつかないが、ここにきてやっとホッと一息をつくと、なんのわだかまりもなくキットカットを頬張り、残る一本を編集の高橋くんに勧めつつここまでの経緯を明かし、「これブログに書いていいけ?」と、チュートリアル徳井のセリフ(注4) で同意を得ると、こうあっさり言い捨てられてしまった。
「だったら、万引きだった方が面白かったですね」

幾日もかけて更新したのが面白くもないオチ。「それじゃあ普通ですね」高橋くんはきっとそう言うだろう。



注1:
日テレ水曜深夜に放送されている、グッさん司会の音楽番組。その1コーナーで、視聴者の投稿による似ていると思われる言葉を、佐野元春がロックであるかないかを判断する、いうなれば「空耳アワー」の堂々としたパクリとも言える「佐野ROCK」。(ロックって判断されるとTシャツをあげるとこまでパクリ)
「ミスタージャイアンツ」と「ミスったじゃんアイツ」とか。「目を閉じる」と「夫婦汁」とか。そんな言葉をロックか否かを真面目に判断するバカバカしくも二人の会話がすこぶる愉しいコーナーなのだが、例えば「胃腸薬」と「一応焼く?」という投稿に対し、佐野元春が言葉のシーンを想像しずらかった場合、グッさんに説明を求める言葉が「これって、どんな状況?」
注2:
「ガキの使いやあらへんで!!」のオープニングコーナーで、たまに出てくる入れ歯のじいさんがピカデリー梅田。そのピカデリー梅田がさまざまなスペシャリストとなって登場するのだが、敏腕の万引きGメンに扮した回があった。
注3:
「ルパン三世 カリオストロの城」。囚われの姫クラリスをカリオストロ伯爵から救ったルパンは後ろ髪を引かれつつ去っていくのだが、いまだ追い続ける銭形警部が見送るクラリスに「あいつまんまと盗みおって!」と悔しげに吐く。クラリスが「いいえ、あの人はなにも盗らなかったわ」と答えると、銭形ウインクして「あなたの心ですよ!」なんて言うのだ。
思えば、宮崎駿は当時、今の自分よりも年かさだったはずで、よくもまあてらいもなくこんなセリフが書けたもんだと呆れつつ感心するのだったが、そんなふうに思ってしまうこと自体、やっぱ凡人と天才の差なんでしょうか。
注4:
M-1で観た「冷蔵庫」のネタで言ってました。

by wtaiken | 2007-01-07 02:35 | ああ、監督人生 

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