フリッパーズ・キターー( ̄▽ ̄;)   

人と人が決裂をしてしまうことに、おおよそ幸せな結末などあろうはずがないと思うが、にしても今更ながらフリッパーズ・ギターの解散は、その後の真相を訊きたがるメディアにおける小山田圭吾、小沢健二の互いに対する発言だったり(かなりの舌戦があったと記憶している)、一時期などバンド名すら二人の前では禁句扱いされていた経緯を思うと、憶測で言われるような、「音楽の方向性の決定的相違だろう」とか、「やりたいことはやり尽くしたからだろう」といった類の、解散につきもののありがちな原因などでは決してなく、二人の間には、どうしようもない感情的もつれ、軋轢、確執があったのだと私は信じて疑わない。
例えば、それがとある女性アイドルを巡る三角関係のもつれであろうとなかろうと女性セブン的な事の真相など元からどうでもよく、とにかくファンなど知ったことかの勢いで、ツアー途中で突然の解散をしてしまったことがなりより重要なのであって、当時そろそろ三十路を迎えようとしていた私には、それが痛快事に思えてならなかった。
というのも、音楽性うんぬんといった冷静さで解決をつけるより、社会的責務だとか、利害関係だとか、しがらみだとかを一切無視して、「もうあいつとは一緒にいたくない」といった程度の、導火線のしごく短い感情に突き動かされるまま解散してしまう若さゆえの無責任さや青さ、疾走感の方がよっぽどしっくり腑に落ちたし、なにより世の中に対してシニカルな態度をとり続けたフリッパーズ・ギターらしい終わり方だと思えたからだった。

この無愛想ともいえる別れ方は、いうなれば、愛想と愛嬌たっぷりにサービスの限りを尽くして解散したYMOとは対極にあると言えるだろう。
なにもこれは唐突な引用ではない。音楽に限らず、メディアやファッションを含めたカルチャー全般に影響を及ぼしたフリッパーズ・ギターは、当時"90年代のYMO"と称されていたし、翻って考えてみれば、私もフリッパーズ・ギターの音楽から、ビーチ・ボーイズやモンキーズ、モノクローム・セット、シャバダバ・スキャット満載のイタリア映画サントラ、フレンチ・ポップなどを聴いていたわけで、それは80年代、YMOやムーンライダーズを通して様々な音楽を聴いていたその関わり方と確かによく似ている。
けれど、YMOが、表層的にはしごく穏やかなハッピーエンドで幕を引き、その実内情は修復不可能とさえ思われた細野晴臣と坂本龍一の関係ですら、ファンの要望に応えるカタチでなんとか折り合いをつけ、90年代に再結成させてみたりといった、とことんプロフェッショナルのバンドであったというこの限りにおいては、フリッパーズ・ギターはまったくYMOではない。そうだ、彼らはいくらファンに切望されようとも、今後決して再結成なんかしやしないんだろうから。

それにしても別れ際に振り向いてもくれないだなんて、このあまりにそっけない去り際に、おそらくはボーダーシャツ着たオリーブ少女は大いに泣き暮れたことだろうが、二人の悪態も、悪ふざけも(『ミュージック・マガジン』9月号の能地祐子の文章に、その一端がのぞける)、それとは対極にあるような青春小沢健二の詞世界も、引用だらけの二人の音楽センスも、終わってしまえばすべてが懐かしく、センチメンタリズムを大いにかき立てて、気がつけば15年も昔のフリッパーズ・ギターの3rd『ヘッド博士の世界塔』は、今でも夏になるとよく聴くアルバムだったりする。

てなわけで、紙ジャケ、リマスタリングというカタチで、フリッパーズ・ギターの再発なのだ。しかもパステル・バッヂの特典つきっ!(ほかにもいろいろ付いてます!)
フリッパーズ・キターー( ̄▽ ̄;)_c0018492_0113161.jpgフリッパーズ・キターー( ̄▽ ̄;)_c0018492_0132063.jpg








打ち間違えて"フリッパーズ・キター"というのは、我ながらなかなかのタイトルだと思われる。ただ心から「キターー!」と言うには、なぜか『ヘッド博士...』だけ再発されないことが画竜点睛を欠くといったところだが、ま、とりあえずは1st『海へ行くつもりはなかった』と2nd『カメラ・トーク』を、実にクリアな音で久しぶりに聴いたのだった。

『カメラ・トーク』の「恋とマシンガン」は、いまや日産マーチのCM曲として有名になっているが、こののっけの一曲から、なるほどリマスタリングによってずいぶん音の奥行きが増した感じを受けるものの、音質よりなにより改めて思ったのは、フリッパーズ・ギターの魅力は、小沢健二の詞と小山田圭吾のボーカルの見事なマッチングにあったということだった。
雪が溶けて/僕たちは春を知る
同じことただ繰り返す/
喋る笑う恋をする/僕たちはさよならする
の「全ての言葉はさよなら」には、40の今でも十分に泣けましたよ。

いきおい、解散後急遽リリースされた唯一のライヴ盤『続・カラー・ミー・ポップ』なども聴きながら、しみじみと、これら残された曲の数々が今後二人によって永遠に唄われることがないことを実感もし、フリッパーズ・ギターというバンドの存在も音楽も、二人が別々の一人と一人になってしまった瞬間に、スッパリとこの世から姿を消して、もう決して戻ってこないのかと思うと、彼らの言葉を借りるならば、"くやしいけど、忘れやしないだろう!"なのだった。

その後のひとり:
小山田圭吾。コーネリアスのNEWシングル『Music』がこないだ出たばっかり。
"90年代のYMO"と称された一人としては、まさに必然的邂逅といった具合で、ここ数年小山田圭吾とYMO各メンバーの密着度は異様に高い。それはアフターYMOの4人目のメンバーと言えるほどだが、なんと9月にも出るシングルでは、YMOの「CUE」をカバー! 期待。
そして10月には5年ぶりのアルバム発売。これも期待。

その後のもうひとり:
小沢健二。ついに彼は詞を書くことも唄うこともやめて、この春インストアルバムを発売している。けど未聴。詞のない小沢健二の曲なんて!

その後のふたり:
小沢健二×スチャダラ・パーでスマッシュ・ヒットした「今夜はブギー・バック」。後年スチャダラ・パーのリミックス・アルバムには小山田圭吾のボーカルヴァージョン「今夜はブギー・バック」が収録されている。これが解散後唯一無二の小沢×小山田のコラボレーション。とはいえコラボというには、"「今夜はブギー・バック」のカラオケを小山田圭吾が唄ってます"程度の、シャレの効いた企画であったわけだが、にしても許す小沢も小沢なら、ノった小山田も小山田。このつかの間の復活劇すら如何にもフリッパーズ・ギターらしい。

再結成ネタ:
99.99%、再結成のありえないフリッパーズ・ギターだが、サディスティック・ミカ・バンドは再々結成。このブログでも以前触れたが、CM限定だと思ってたらアルバムが10月発売。英語表記では、「ミカ」が「ミカエラ」になってるそうで、もともとこのバンドにまったく思い入れもなければ、80年代の桐島カレンの再結成時にもさしてわかなくっても、今度は別です。木村カエラのボーカルをバックアップするドラムス高橋幸宏。こりゃ買いです。

YMOネタ:
YMOといえば、最近の細野さんは活動的。今現在ソロアルバムを一生懸命に制作中。この"一生懸命"というのは私の単なる憶測であるが、一方、昨年末から「東京シャイネス」というバンドを組んで、ライヴ活動を精力的に展開中。この"精力的"は事実。そこでは30年以上も前の「HOSONO HOUSE」やはっぴいえんどの楽曲を細野さんは唄っているんだそうだ。行きたいのだけれど、なかなか場所と日取りが合わないし、(昨年末に東京で。その後大阪、福岡などで)さすがに重鎮だからチケットも取りづらかろうと諦めていた矢先に吉報。このライヴを収めたDVDが9月に発売!!...もう涙です。あの声で、「ろっかばいまいべいびい」だし、「暗闇坂ももんが変化」だし、「夏なんです」で「はらいそ」なんだからねえ。しかも初回限定版は2枚組なので、秋の夜長には、是非この限定版をお薦めいたします。必見&必聴!

by wtaiken | 2006-08-29 00:39

<< 紙地獄無用変化 写真家会田拳 >>