金田一耕助は、どこから来るのか   

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『犬神家の一族』冒頭タイトルあけ、遠景に駅の見える街路を、ひとりの男が歩いてくる。スーパー<那須市>IN。
頭にはお釜帽、よれよれのセルの着物によれよれの袴という出でたちの金田一耕助は、こうしてはじめてスクリーンに姿を現すことになる。
それまでの片岡千恵蔵、高倉健らが演じてきたこの役は、ことごとくがモダンなスーツスタイルであって、未見ではあるがスチルで見る限り、拳銃なんかも構えたりなんかしちゃったりして、おおよそ原作からはかけ離れた存在の探偵だった金田一耕助が、つまりこうして作者のイメージにほぼ忠実なカタチで映像に刻まれるのはまさにこのシーンが最初なのである。
ただスクリーンの外側で観ている我々のおそらくほとんどが、一見してそれが探偵の金田一耕助という認識を、外見のイメージが映像下に定着する以前から様々なメディアもしくは原作から知らされている。しかし物語においてこの時点での彼はまだ未知の存在である。だからどこかで名乗りをあげなければならない。

この人物紹介というものは、物書きの端くれとしても常々腐心するところで、なるべくならば説明的にはしたくないものだ。さりげなく物語の進行の中で、個々登場人物のひととなりが明かされるに越したことはない。ただ自作の芝居の台本などはちょっと特異であって、それが不自然になろうとも、その不自然さをあえて採用し、見得を切って自己紹介を堂々とすることの面白さも狙えたりするのだが、すべてが具象の世界にある映画ではなかなかそうもいかない。
「おっす! おら、金田一耕助! 様々な難事件を解決してきた名探偵だっちゃ!」と突如、那須の街中で見得を切るわけにもいくまい。
だから映像においてはじめて和装の金田一耕助が名乗りをあげるのは、しばらく滞在することになる那須ホテルの宿帳に自ら名前を記すというカタチで、流れに無理なく、しかも画面に大写しされることで堂々となされることになるのだが、ここで注目すべきは、名前の横に、しっかりと住所まで一緒に捉えられているということだ。
そこには、おそらく石坂浩二本人直筆の個性的な文字で、「東京都大田區大森一ノ三...」とある。実に細部なのであるが、個人的な興味のひとつに、このカットが果たして今度の再映画化でどういう扱いを受けるのか、そこを私は大いに注目している。

というのも、市川崑監督は金田一耕助の外見上スタイルを原作に忠実に映像化してみせながらも、人物設定には独自の解釈を与えているからであって、それは、
「原作だと、金田一耕助にはちゃんとスポンサーがあって、アメリカへ留学したりしているんですが、そういうことを全部やめまして、とにかく金田一耕助は神様である、どこにいるのか、いつ現れるのかわからない。(略)そして時間がくれば事件を解明して、カバンを下げてどこかへ消えていく。」
といった具合に、どこかに拠点はあるのだろうが、あえて彼の個人情報をつまびらかにしないという視座をとっているからなのだ。どこからかフラリと現れては、また何処へと去っていくという存在の曖昧な設定。
それがさらにシリーズは進むにつれ、"住所不明"どころではなく、"住所不定"の根無し草とまで極端に方向修正されていく。

例えば第三作目『獄門島』では、事件を解決して島を去るラスト、床屋の娘坂口良子から「どこへお帰りになるんですか」と質問された金田一耕助に、当初、このシリーズの共同脚本家である日高真也は、あっさり「東京です」というセリフを与えたんだそうだが、監督から「なんでそんなことを書くんだ、東京かどこかわからないじゃないか」とクレームがつき、結果「さあ。」と答えさせるといった具合なのだ。
「どこへ帰るの?」
「さあ。」
バカかお前は。しっかりしてくれと言いたい。
さらにトヨエツ版の『八つ墓村』に至ると、「どちらにお住まいですか?」という村人の質問に対し、金田一耕助は「困ったなあ。決まってないんです...まあ、風まかせ、ですか」なんて答えている。
あえてとぼけてみたととれなくもない「さあ。」という回答から、ここではより具体的に「決まっていない」と住所不定の宣言をし、かつ自らをもって「風まかせ」などと少しキザなことまで言わせている始末だ。

どこにいるかわからない。
おいらは宿無し。だからあたたかな温もりもやれやしないし、そんなんじゃ連絡もつけられやしない。
でも仕事の依頼をきっちり受けては、難事件を解決してみせます。
どんな設定だ、おい。
まあ、そんな理屈を抜きにしたところで、こうまで徹底して"金田一耕助の実存性"を消し去る意味や、その日暮らしの風来坊ぶりを強調してみせるセリフの必要性を私はまったく理解できないのだが、とにかく監督にとっての金田一耕助とは、月光仮面の主題歌の一節、(決して疾風ではないにしろ)「疾風のように現れて、疾風のように去っていく。月光仮面は誰でしょう」と、この手の神秘性にこそ、ひとつのヒーロー像が強くあるようだ。もとをただせば『木枯らし紋次郎』にもそれは言える。

すると『犬神家の一族』における宿帳に住所を記し、それを大写しで見せているカットは例外中の例外であり、第一作であったからまだ確固とした人物像を結んでいなかったともいえるが、シリーズを鳥瞰すると実に貴重なカットではある。
名探偵シャーロック・ホームズの住所とされる番地には、いまだ多くの読者ファンがそこを訪れるそうだが、個人的には、なにやらフワフワと所在の定まらない宿無しをきどる金田一耕助より、なにもシャーロキアンのようにその旧住所を探し尋ねるつもりはないが、「東京都大田區大森一ノ三...」と書いた金田一耕助の方により魅力を感じてしまうのだ。
『犬神家の一族』のラスト、見送られるのが苦手な金田一耕助が、駅へと向かう古館弁護士、女中はる、珠世、猿蔵、橘所長らを出し抜いて、慌てて予定より一本早い汽車に飛び乗る、その汽車こそフレームの外に置かれて見えていないが、駅のホームの表示にはしっかり行き先が"上野、東京方面"と読めるのだ。
東京からやってきて、東京へと帰っていく金田一耕助。
シリーズ以降には決して観られない、こんな些少な描写があるからこそ、第一作『犬神家の一族』の金田一耕助はより人間的に見える。
住所不定と極端に設定されてから、なんだか金田一耕助はホワホワと実体をなくし、ただ和服をまとった殻だけの存在になってしまったと思えてならない。
だからこそ金田一耕助は宿帳に、今度はなんと記すか気になるのだ。
インタビューや、先の会見でも聞かれたが、最近では「金田一=神様」ではなく「金田一=天使」などと市川崑監督は称しちゃっている。地に足がつかず浮遊感たっぷりな設定である。どうか是非とも金田一に人権復興を!と言いたい。

新しい犬神家の金田一耕助は、果たしてどこからやって来て、そしてどこへ去っていくんだろう。

by wtaiken | 2006-04-11 20:38 | 犬神さん一家情報

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