2016年映画館鑑賞映画総括 其ノ壱   

毎年毎年書き出すもののその書き出しの落語でいうところの "枕" に時間と手間をかけすぎ、そこへもってきて生来の飽き性と面倒臭がりが仲良く相まって、途中も途中で投げ出してしまい、これまでのブログ歴で一度たりとも12月の最後の一作まで到達しえたことのない「年間うん百本鑑賞する映画の中でも、基本となるべき映画館鑑賞に限った映画評」2016年版を今年も性懲りもなくはじめてみようかと思う。で、さすがに反省して、今年はもう前段もなにもなしの性急な本番突入、いきなりの1月鑑賞分からスタートしてしまうのだ。
ちなみに前々回の記事でも触れたと思うが、自宅でのソフト鑑賞および再三再四観続けているお気に入りものも含め1年間鑑賞映画本数は302本。うち映画館鑑賞分は、おそらく我が人生で過去最多の43本。実に約8日に一本映画館鑑賞したという計算になって、おいあんた本当にまともな社会人かよの誹りや揶揄をパソコンの向こうからのヒシヒシと感じつつも、我ながらなかなかの数字じゃわいと驚きとともに感心してしまった。途中からめざせ年間51本! 週一映画館鑑賞年間達成!を目標に掲げてみたんだけど力及ばす無念もあったりし。
なんてホラ、ちょっと油断すると本題までがどんどん長くなるっていう...

なので早速本題へ。
今年は一作についての評価は寸評とすることでなんとか12月の43本までたどり着きたいと思う。そしてリバイバル上映で再見の映画については、なにかよっぽど一言添えたいものがない限りは寸評どころかタイトルのみの記載とすることもあるやも。なにせお気に入りなんだからもう一度映画館で観たかったわけで、そんな映画に酷評などありえないから。


1月
1.「ブリッジ・オブ・スパイ」
なんだか忙しそうで子供のボクらに少しもかまってくれない昼間のパパが、実は国家を揺るがす案件を一手に捌いていたスーパーヒーローだった...というところが実に脚本のコーエン兄妹らしい視点だと思った。トム・ハンクスが帰国後、車窓から観るダウンタウンの子供らが、バラ線のはり巡らされた塀をなんなく乗り越えていくという逞しい姿を感慨深く見守るという描写が私的にはツボで、前半の「ちょっと退屈かも」からの後半への緊張感溢れる巻き返しがスゴかった。そしてアカデミー助演男優賞のマーク・ライランスがやっぱり良かったね。そのマーク・ライランスの今年の出演作は "ダークナイト" クリストファー・ノーランの戦争大作「ダンケルク」。この映画についてはいずれどこかで話すことももちろんあろうかと。


2.「の・ようなもの のようなもの」
んー、改めてデビュー作にして生涯にわたる作風を決定づけてしまっていた森田芳光の早熟の才気あふれる「の・ようなもの」の偉大さを再確認してしまうという、比較にもならない普通すぎる平凡作だった。もったいないところもいくつかあったけど。たとえば、今作の主演落語家志願のマツケン (志ん田) が湯船につかっていると、志ん米 (しんこめ) 師匠の尾藤イサオが「誕生日おめでとう、志ん田!」といって風呂場にロウソク立てたホールケーキをもってくるシーンのみ「お、森田芳光っぽい!」と思って笑ってしまった。でもそこだけだけどね。


3.「ぼんち」
角川シネマ新宿の市川崑特集の一本。


4.「白鯨との闘い」
今となっては、途中眠くて仕方なかったくらいしか感想が残っていないが、観終わったあとの映画評では満点5つ星中3つもついていて、というのも私の場合「普通に観られた普通の映画」から「まあこりゃちょっとないけど駄作ではないな」までを含んでいる、かなりの作品を内包してしまうのが星2つという評価で、少しでも加点ポイントがあった場合、たとえば「あの脇に出てた女優がよかった」とか「あのセリフにはグッときたな」とか「あのシーンだけ美しかった」くらいのことでも星3つをつけている私としては、どう思い返してみても加点するところのない純然たる星2つであろう今作に、一体なんで3つもつけているのかが謎なのだ。ってなんの映画評にもなっていないが、それくらい印象がもうない映画です。ちなみにメルヴィル「白鯨」は未読。「カメレオンマン」の一節みたいに、老後に読みはじめて「『白鯨』読んでる途中だったのに...」と一言残して死んでみるかな。グレゴリー・ペック "エイハブ船長" の「白鯨」は、特撮がチープだけど印象深いです。


5.「犬神家の一族」
これも市川崑特集。一言添えるまでもない。私の一生を変えてしまった一作と言えるのかもしれない。


6.「の・ようなもの」
この作品の偉大さを再確認し、どうしてもまた観たくなって自宅のDVDをかけてみたら、これがとんでもなく映像が霞んでぼやけていて、とても観られたもんじゃなかった。リストアされたブルーレイの発売を切に願うが、そんないつになるともしれないものを待ってもいられず、「の・ようなもの のようなもの」公開記念でリバイバルしていた角川シネマ新宿に上演期間ギリギリで駆け込んだのだったが、これが正解。デジタル修復されていなくても、やっぱり映画館で観るとクリアでキレイでしたわ。
映画はもう数々のキラキラした名シーンで埋め尽くされていて、語りきれない。朝の隅田川沿いを延々と歩く志ん魚ちゃんの後に聳える仁丹塔のシーンなんて、もはや歴史的遺産ですよ。批判的な人曰く、すかした笑いやオフビートな会話などが如何にも80年代っぽいだの古くさいなんて言われがちだけど、いやいやこれはズバリ誰にもなし得ない森田節。80年代だなんて括って欲しくないくらい晩年まで通貫した自分の映像リズムをこの処女作で完成させているところがスゴいです。
そして尾藤イサオの志ん米真打ち昇進祝いの会が盛り上がりつつ、ひとりひとりと退場していくラストシーン。カーテンコールのようにカメラに笑いかける演者たち。あの馬鹿騒ぎのような "祭り"終わっていく感じ、永遠につづくことなんてないことを感じずにはいられない感傷が、どうも自分の大学時代と重なってしまい、いつ観てもグッときてしまうのだ。
まるで毎日が喧噪のような日々だった演劇部としての最後の日。四年の追い出しコンパの翌朝、パリッと正装して徹夜の部室をあとに卒業式へ颯爽と向かっていく同期の仲間をひとり見送り、お昼前の斜光差し込むなにもなくなった舞台にしゃがみこんでは、淋しくポツンと祭りのあとの余韻を味わった私の、なんとまあセンチメンタルなことよ。
そんなわけで、そもそもがシンパシーを感じるラストシーンに、これに加齢が重なると余計にしんみりだったよ。で、早速尾藤イサオ全集なるCDを買っては、しばらく「シー・ユー・アゲイン雰囲気」のヘビーローテーションでした。


2月
7.「悪魔の手毬唄」
これも角川シネマ新宿市川崑特集から。犬神家は、犬神家大好き監督岩井俊二が語るように、私にとっても「別格」。とすると、今作は一般的に言うならば映画史に残る傑作、なんだと思う。なにもかもが「傑作」然として、横溝正史映画ものでは群を抜いた白眉。市川崑の中ではここで傑作をつくってしまった充足感があったんじゃないかなってくらい、「獄門島」以降の3本のテンションのだだ下がり具合は半端ないね。ファンとしてはもちろん楽しんだわけだけど。たられば言ってもせんない話だが、なんとかもう一本、若山富三郎磯川警部ものを観たかった。
ちなみにここでトリビアをひとつ。当初市川崑はこの磯川警部役に佐分利信をキャスティングしていたらしい。定年前の最後の恋なんていうミステリーとはミスマッチな役柄は、確かに佐分利信は合っていたかも。スケジュールの都合で折り合わなかったらしいが、もし出演していたら (同一シーンはなくても) 小津仲間の中村伸郎と競演だったわけだ。そうなっていたら、いっそ北竜二もキャスティングして欲しいかったが。言うまでもなく、その佐分利信はつづく「獄門島」に念願かなって出演することになる。



いやー、やっぱ一言寸評とはいかないね、大学時代の懐旧なんて脱線もアリ...

てなことで、2月のつづく映画館鑑賞映画評は次回に。ではでは。

by wtaiken | 2017-02-11 03:59

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