読みたい本は重いのだ   

女性の陣痛と並ぶ三大痛のひとつとも言われ、だったらもうひとつはなんだと訊かれると「えーっと、ほら、なに、痛風?」と曖昧にしか答えられないけれど、長年経験してきた結石の痛みから察するに、どうも今回の激痛は部位も質もそれとは別のようではあったものの、「一応調べておきましょう」という感じのCT検査だったから、「腎臓にはいくつか小さい石はありますが、管につまったものもないようなので、今回の痛みは石とは関係ないものですね」と予想通りの至極当たり前の結果を聞くがために、延々診察室の前で2時間待ちをしなければならない、そのイライラで体調を崩してしまうんじゃないかという "大病院あるある" を昨日はまたぞろ経験してきました。

もちろん変な結果が出なくてよかったとも言えるけれど、診察時間を予約していての2時間待ちだからさー、ちょっとなんとかして欲しいものだが、女医いわく「CTの結果に時間がかかっちゃって、すいません」とのこと。おかけで待ち時間のために本棚から「あれ、こんなの買ってたっけ」という感じで持っていった唐十郎戯曲「秘密の花園」をあっさり読破しちゃいました。柄本明、緑魔子、清水紘治による初演は、当時3チャンネルで短縮版がオンエアされ、3倍モードの、今からすると粗悪な画像のそれを何度もリピートして観ていたくらい馴染みも愛着もある戯曲 (本になっている版は、90年代に改稿したもの) だったので、なんだか主演の三人のセリフ回しからなにからなにまで頭にたたき込まれでもしたように、スラスラと読めたのかもしれないけれど、本来私は部類の本好きなのにも関わらず、読書スピードが人よりかなりスローであると知られている。

2月と3月の " 死なない程度に忙しくさせてもらってます" の二月間には、映画館はもちろんのこと、自宅でのソフト視聴すらままならないほど仕事に追われ、家にタクシーで帰って数時間寝て、出かけてまた打ち合わせ・試写、なんていう慌ただしい毎日だったので、とにかく自分の時間がまるで持てないことに "枯渇感" というものをひどく感じ、自分の世界にひたれるわずかな時間はもはや仕事場に出かける行きの電車内しかない!と、私はついに積ん読状態にあった多くの単行本に手を出すことにしたのだった。

このところ私の読書と言えば、やはり行き帰りの通勤時しか持てなかったことに違いはなかったけれど、都内の移動は乗っていて数十分、それに満たないわずか数分で乗換ということもある、そんな中断を余儀なくされる環境に適した本といえば、すなわちライトな内容の、つまりエッセイ的なるものへすっかり移行していて、感情の持続性や集中力を必要とされる (これは私に限ることかもしれないが) 物語的なものは敬遠していたし、なにより読みたい小説はそのほとんどが分厚く重い単行本であり、携帯性からも大幅に外れていたわけだけれど、もうそんなことも言っていられない、なにかに没入したい一心から、まずは以前ブログでも紹介済みの橘外男「私は呪われている」を持ち歩き、そんな表題の本を公衆の場で広げるちょっとした羞恥心もかなぐり捨てて、スローペースな私の読みも塵も積もればなんとやら、2月いっぱいかかってどうにか読破し、3月からは今もって本の真ん中アタリを停滞中の「宮野村子探偵小説集1」を毎日持ち歩いている。

とここでちょっとした読書感想を。
橘外男は相変わらず無駄な表現、ケレン味の過ぎる描写があちこちに散見されるけれど、表題作の伝奇小説風化け猫ものも楽しめたし、中編「双面の舞姫」は江戸川乱歩の「盲獣」あたりにも通じるエロ・グロ炸裂な地下世界を描いた、設定や場所やタイトルを替えつつ何度も小説化した作者お気に入りのモチーフは、その既視感も含めた面白かった。
松本清張あたりに代表される「推理小説」的なものにあまり魅力を感じない、理路整然としていなくても、ミステリアスであったり、幻想的なものすらも広く包括してしまう、大正・昭和初期の時代性を反映した「探偵小説」好きな人にはオススメ。
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宮野村子は、2年前に全4冊の分厚い文庫本で刊行された「大坪砂男全集」で知った女流作家だ。お互い書評で誉め合う仲だったようで、部類の文章スタイリスト大坪砂男が誉める作家とは、しかも女流作家とはどんな小説を書くものか、ちょうど興味を持った時に "論創ミステリ叢書" というシリーズの一冊として手に入りやすい状況にあったので、試しに、というには少々冒険だったが、Amazonでポチッとしたのだった。
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何編かのアンソロジーで、いままだ読書の途中であるから評価を下すには早いかもしれないが、あえて言うなら、巻頭を飾る「鯉沼家の悲劇」は、終盤の推理さえなければミステリ小説史に残る傑作であったかもしれないと思わせるほどの、でした。これは日下三蔵氏による解題に掲載されている江戸川乱歩推薦文にも同様のことが書かれていて、その言を借りて繰り返すなら「最後の探偵による謎の解決は、何だか取ってつけたような感じを免れない。」のだけど、その終盤までは、ワクワクした心持ちで小説の次の頁をめくるなんて経験を久しぶりにさせてくれました。これだけの推挙でもし読んでみるみる気になった人は、是非この一編でも読んで欲しいんだけど、作中人物のひとり "蝶一郎" 登場のくだりはシビレましたよ。本当、「惜しい!」一編。


くどいようだけど読むのがスローなので、次にはまだ「宮野村子探偵小説集2」が控えている、その次の次には、いよいよ買ったままどこまで読んだか定かではない「定本久生十蘭全集」に行こうかと思っている。
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本は選ぶ紙質によって、その重量も軽くなったり重くなったりするが、今日紹介した本をこれから持ち歩くつもりの方へアドバイスをするなら、橘外男「私は呪われている」は大きさはともかく軽量性があり、これは持ち歩きやすかった。
「宮野村子探偵小説集」は橘外男それより薄くはあるが格段重くなる。
そして全体を包む重厚感もまた本の総重量に相対するかのように「定本久生十蘭全集」はとにかくズッシリ重い。これを携帯し、混雑する地下鉄車内で広げるのはかなりの負担と覚悟を必要とするが、せっかく単行本持ち歩きモードに突入していることでもあるし、いま読んでおかないと人生この先いったいいつひねもす本を愉しむ余生が訪れるのかわかったものではないので、果敢にもこの期に乗じてチャレンジしようかと思っている。

ひとまずはすでに何度も繰り返し読んでいる傑作の誉れ高い第一巻収録の「湖畔」からでもはじめようかと思いめぐらすと、なんだか宮野村子には礼を失するようだが、今読む1も2もすっ飛ばしてしまい、すぐさま久生十蘭にどっぷりはまりたい欲求を抑えなねている今日この頃である。

「今日この頃である」という一文で締める。これは当ブログ初じゃないかしら。ちょっと恥ずかしいけど。

by wtaiken | 2015-04-02 05:01

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