結局「インターステラー」はどうだったのか 1   

でっぷりとした黒皮のソファーに深々と身体を沈め、日頃は鼻先で人を動かしていたとある事業主は、その事業に関しては突出して秀でた才覚があるため社員全員から「師匠!」と呼ばれていたが、年も暮れようとする頃ともなると、「どれ」とばかりにゆったり立ち上がったかと思いきや自ら率先して汗水垂らして働き出し、いやそれどころか慌ただしく取引先 なんかへもせっせと走って行き来したりしたそんな実話から (?) 12月を暦の上では "師匠も走るほど忙しない" 「師走」と言われるようになったとのことだが、我が身に置き換えてみても今年は例年になく忙しく、そりゃまあホームに降りようとした階段の途中で行き先側の電車の発車ベルがけたたましく鳴ったとしても息せき切って駆け込むことだけは私の美学に反するのでしないし、少し走れば遅刻せずに間に合うタイミングでも「汗はかきたくない」という理由から...つまりどんなに逼迫した状況下にあっても一向に走りはしない私であるが、それでも毎日が「走っているかのような」忙しさなのである。
先日のとあるロケの紀行も中途半端なままなのに、今度は別案件で明日から一泊の北海道余市のロケハンで、来週にはその本撮影とまた別案件で山口県徳山市へのロケが控えている、という具合なのだ。
北海道余市と書けばピン!ときてしまうNHK朝の連続ドラマフリークももしかしたらこのブログを愛読しているかもしれないが、まあつまりそれがらみのお仕事ではあるのだが、もちろん制作途中のことなので詳しくは書けない。それはいずれの機会に譲ることにして、こんなに忙しい最中、「インターステラー」2度目の視聴を無理繰り敢行してまいりました、唐突に導入するが。

公開初日に観て以降、これまでのクリストファー・ノーラン作品ではありえないほどの余韻のなさに自分でも少々戸惑い、大スクリーンで観ることが「最高の映画体験」だったとは言い切れても、果たして作品の評価はどうなのか、判断をしかねていたところだったのだ。

かれこれ数年前から観た映画のすべてを5つ星評価しているMyレビューも「インターステラー」はいまだ星は空欄のまま。
すっかり作品に対する熱も冷めてきていて、「虚無へ堕ちる恐怖がいまひとつ伝わらないことによる緊迫感の欠如」が個人的には最大の欠点だった「インセプション」よりこれは評価が下になるかもかもなぁいや待て待てまだわからんぞぉ...という煮え切らない曖昧な位置に、2度目の視聴前の「インターステラー」はあったのだ。

そうこうしているうちに、Yahoo!映画レビューなどでは、7〜8割の好評価に、1〜2割程度の「駄作」「愚作」と断じる酷評といった具合、ことに「映画秘宝」毎月愛読してます的な映画ファンあたりからはもともと相当なバッシングを受けまくっているノーランの、ついに「やっちまったな」的作品ととらえられ、その他星1つの評価あたりでは「詰め込みすぎ」の「ツッコミどころ満載」の「観たようなシーンの寄せ集め」の、さらに言うに事欠いて「スペースオペラ的なるエンターティメントを格下と見下げている映画だ」などという、とんでもない言いがかりのようなことまで言われてしまう始末。

それにしても相変わらず「ツッコミどころ満載」という評価を下す者が多いことに呆れてしまうが、一体だれがこの悪しき常套句を映画に使い始めたのか、そもそもフィクションである映画というものに「現実と違うからいちいちツッコむ」ことの愚かしさ、ツッコむ点が多いからすなわち駄作だという短絡的な評価はまったくもって的外れであり、なにをしてその作品世界へ没入できなかったかこそが問われるべきなのだし、いちいち例をあげはしないが、ツッコミどころが多くても愛すべき映画はたくさんあるしね。

まあそんなわけで絶賛と酷評を次々読んでいるうち、なんだか自分の評価もあやしくなってきた。私の仕事仲間の評価も「まあそんなもんね、くらいでしたね」の冷めたもので、もう一度は観ておこうと思っていたモチベーションすらも揺らぎ始めていたのだ、果たして貴重な師走の3時間を割くほど視聴を欲しているのか、と。

すっかり賞戦線から離脱してしまったらしいことはなんら自分の映画評価に影響はされなくてもちょっとガッカリ感もなきにしもあらず、鑑賞後の余韻のなさも手伝って、どうも「インターステラー」は「そこそこの作品」でしかなかったんじゃないのか、それがどうしても確かめたかった。それが私を2度劇場に向かわせた理由だ。ツッコミどころが多くても愛すべき映画はたくさんあるし、3回大泣きしても自分にとって「普通の娯楽作品」なんてのもいくらでもあるしね。

さて仕事が詰まったこの時間でプログに長時間も割いていられないので、2回観たことで私にとっての「インターステラー」評が結論づいた、それを簡潔に言い切ってしまおう。

結果、大傑作でしたね。いやあ、よかったよかった。2回目の方がよりよかった。同じところで3回泣いたし。まったくこれをして「スペースオペラを格下に見ている作品」ととる偏向ってどういう神経なんだろ? ノーランへイトもよっぽどだね。

余市戻りでまた詳しく書ければと思うが、改めてよかったところを簡単にいくつか思いつくままに。
1 . 音の押し引き具合。
ケチをつけるものはこの音楽にもケチをつけていたが、音楽の盛り上がりからスパッと宇宙空間の静寂への切り替えがよかった。宇宙船内の、ちょっとした動作の物音がかすかに、そしてあちこちから聴こえてくるところ、孤独であり閉鎖された空間の見事な表現でした。

2 . そんな閉塞感に嫌気のさしてきた乗組員ロミリーに「これでも聴いて心を休めろ」と言わんばかりに手渡すイヤフォンから聴こえてくる音。音楽ではない、音。ここサイコーでした。

3 . アン・ハサウェイ。
前回マッケージー・フォイとマシューのみ褒めちぎりましたが、ベリーショートカットにしていた時期にだからこそできた役柄といった感じで、「なんだかいつでも化粧がバッチリ決まっていておかしいし」なんてとこしか観ていない人は、もうとにかく映画を観ないこと! やめなさい、そんな目でしか観られないならば。登場からして「よ、待ってました」演出も決まって、相当監督の信頼を得ている感がありあり。
そのアン演じるアメリアの物語後半での別れのシーン。詳しくはネタバレしないため書けないけど、2回目の鑑賞ではここがなんだか一番ジーンとしました。ラストを知っているからかもしれないけど。
映画エンディングで、ある人物が再び宇宙へ飛び出すんだけど (おっとネタバレぎりぎりか?) 「その動機がいまひとつわからんし、もしあったとしてもそれでは希薄」なんて評価も、この別れのシーンをきちんと感じ取れれば明解でしょ。一番音楽を盛り上げるのもここだし。(私がことさら自己犠牲に弱い、とも言えるが)
とにかく1から10までなにもかも描かなきゃわからないなんて、想像を廻らし補う、あるいはその余韻を愉しむべきだと思うけどね。

...と、言うべきことはまだまだありつつ、今日はこの辺で。

ちなみに予告篇第三弾をここで紹介した時「さすがにハンス・ジマーの曲は盛り上がんなー」と知ったように書きましたが、サントラに入ってないので調べたら、その曲が判明。ハンス・ジマーじゃなかったよ。
トーマン・バーガーセンの「Final Frontier」という曲。



なにやらさまざまな映画の予告篇に使われている作家なんだそうで、作品集が来年早々に発売されるようです。

by wtaiken | 2014-12-02 22:59

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