つらいね、エイリやん。   

近所のスーパーマーケットで只今ご予約承り中のクリスマスケーキサンプル品がガラスケースの中によりどりみどりいくつも陳列展示されていて、まあ郵便局が年賀状発売の告知をしたあたりからそろそろなんじゃないのかと覚悟はしていたものの、現物に近いきらびやかなケーキサンプルを目の当たりにするといよいよ来るべき時が来たという感じだ。
年明け早々「今年も早いぞ」と心積もりはしていたが、振り返ればつい二ヶ月ほど前にはまだ残暑きびしいの熱帯夜はいつまで続くのと、口を揃えて暑い暑い言っていたことがまるで幻だったかのように、急転直下の年末年始がすでに私たちの目の前に待ち構えているというのだから驚きだ。来たか今年も、年末年始。まったくうかうかしていられやしない。そろそろおせちの煮物などをはじめねばならないだろう。

「カントク、ちょっとそこ邪魔なんでどいてもらえますか」だの、「カントク、菓子パン買ってきてよ」だの、「カントク、校庭3周! はい、ダッシュ!」とかように私は職場では監督として敬われ慕われているが、さすがに「先生」と呼ばれることはないから無理をするつもりは毛頭ないが、学校の、病院の、作家の、弁護士の、代議士の、お華の、夜回りの、赤ペンの、にゃんこの、さよなら絶望の、この世のありとある先生たちは、今年も来月に備え、ぼちぼち脚の筋などを念入りに伸ばしはじめている頃とも聞く。
おそらくテレビ局では特番の収録もぼちぼちされはじめ、世の中の会社という会社の忘年会幹事たちは会場確保に額に汗し奔走をはじめ、今月末にはなんとあの坂本龍馬氏が暗殺されるらしいという未確認情報まで飛び込んできて、いやはや今年の年末も例年に負けず劣らずのわやくちゃぶりだ。

「スカイライン」「バトル・ロサンゼルス」「モンスター」「スーパー8」…唐突だが、このタイトルだけ聞いて共通項をズバリ即答できる人はよっぽどの映画通か”象印クイズヒントでピント”の浅井慎平くらいだろうが、これらすべてこの年末から来年にかけ続々公開されるエイリアンの地球侵略を描いた映画ばかり、走ったりだ、歳暮だ、納会だ、ボーナス商戦だ、プレゼントだ、七面鳥だ、賀状だと一段と身の回りのちまちました雑事ばかりが増えるこの時期に、なんだってまたとても知的とは思えない生命体どもとの生死をかけた戦いなのかと言いたくもなるが、上記どころか他にもジョン・カーペンターのまっこと恐ろしか「遊星からの物体X」のプリクエル(前日譚)「遊星からの物体X/ザ・シング」が公開されるし、地球外生命体ズバリのタイトル「Extraterrestrial」なんてのも控えている。とどめは第一作目から約40数年ぶりに復帰するリドリー・スコット監督の「エイリアン5」だ。まあこれは”地球侵略”ではないものの、約一年に渡って公開される「人類VSエイリアン」という構図の映画としては、かなり異常な本数だ。

もはやここまでくると、単なる“エイリアンもの映画好き”を通り越して、なにかアメリカ人の侵略強迫観念も極まり、いよいよ来るべきXデーに向け切羽詰まった印象さえもってしまうが、こういった虚実の混合した見解はひとつ都市伝説ライターに任せるとして、”エイリアン”といえば最近、こんなことが私の身にあった。

その日の夜、仕事帰りの道々に私は晩ご飯をどうするか迷っていた。うちには昨夜のおかずがまだ残っていたが、ごはんがない。だったら炊けばいいだけのことが、仕事疲れの身のうえで米を洗うことさえもが億劫だ。早炊きにすれば、それこそ30分もかからず炊きあがるが、とにかく食事は早々にすませ、その浮いた時間で少しでも多く仮眠をとるか、もしくは休みを挟まずにすぐにでも仕事に取りかかるか、いづれにせよゆっくり夕餉を採る暇がおしかった。
外食で済ます、という選択肢もあるにはあったが、疲弊したカラダは、とにかく家に今すぐにでも帰って、身を落ち着けたいと訴えている。
最寄りの駅を降りると、少しの寄り道で「松屋」がある。ここでごはんだけを買って持ち帰り、手早く昨日のおかずで食事を済ませる方向に腹が決まって、駅を出て一直線に松屋の扉を引いたのだった。

ここ松屋では、牛丼の最大手チェーン吉野家と違い、まずはじめに自動券売機で食券を買うプリペイド制を導入している。しかし私は以前の経験から知っていた、おかずなしのごはんだけを購入するチケットは券売機に存在しないのだと。だから直接店員に購入意向を伝えなければならない、古くからの対面式売買でここはいかなければならない。入るなり券売機には見向きもせず、カウンターに腰を下ろすと、ほどなく冷水を持った店員が私の前に来た。
「テイクアウトのライス、大盛りで」
確か普通盛りだとお茶碗にして約2杯分。もし昨日のおかずに納豆などのもう一品をさらに加えてしまったら到底2杯ではこと足りない。そんな懸念から大盛りはとっさの判断でのことだったが、よどみなくスラスラと注文したつもりが、解せない顔つきの店員がそこにはいるのだった。
「だったら、ですね、あの、そこで食券を買って、ですね…」

あ、そうなんだ。しばらく来ないうちに、ごはんのみの持ち帰り食券も券売機で買えるようになったのか。
「え、そうなの? ええっと、どこだ? ライス大盛りって…」
人差し指を目で追って、ひとつひとつ券売機のボタンを改めて確認するそんな私に、
「いや、どこって…お客さん…」
もうご冗談をと言わんばかりに、店員は途方に暮れている。なんだこいつ。
「ええ?っと…」
「まずは、ですね、食券を買っていただかないと」
「だからぁ、それって(券売機を指し)どこにあんのよ」
「…」
絶句してやがる。呆然としているのだこの店員は。待て待て待て。呆然としたいのはむしろこっちだ。だってないではないか、どこにも。ごはんのみのテイクアウトの、しかも大盛りを買い求めるためのボタンなど。なんだかケムに巻かれているようだ。ちょっとしたトンチなんだろうか。一休さん的な問答がここでは繰り広げられているのだろうか。
あるいは「お客さんには、見えないんですかあ?」とか言い出すのか。怪談か。ちょっとした世にも奇妙な話なのか。買いたいものが思うように買えない別次元の奇妙な街に、私は迷い込んでしまったのか。
この会話のまったく噛み合ない不可解な状況下、怪訝な表情をする私に向かい、観念でもしたような、そしてバカにものを教えるような、うっすらと嘲笑を浮かべた店員がさらにこう言うのだった。
「だからですね、なんのメニューのライスを大盛りにするのか、それをまず選んでもらわないと…」

まったく言葉というのは難しいもので、おそらくこれを「持ち帰りのごはん、大盛りで」と言ったら通じたのかもしれない。
”ごはん”という単語にはなにか歴とした一品としてのアイデンティティが感じられるのに対し、これをひとたび”ライス”と言ってしまうと、途端にメインの座をおかずにゆずってしまい、なにかにぶら下がるサブ的なニュアンスが出てしまうのだった。
つまり店員は、この私がなんらメインメニューのおかずも決めずチケットも買わず、ただ闇雲にライスをとにかく大盛りにしてくれ、と言っていると勘違いしていたというわけなのだった。
入店するなりドカッとカウンターに腰を下ろし、丁重に「チケットを買ってください」、メニューを決めてくださいとお願いしてもいっかな通じず、ただただ「ライスだ、ライスを大盛りにして持ち帰らせろ」と一点張りの謎の男。そりゃ困惑もするだろうさ。

これまでも「松屋」で私はごはんだけのテイクアウトをするときは「ライスの大盛り、持ち帰りで」で充分通じてきたし、ただこのとき対応したものが運悪く、「経験の浅い」「飲み込みの悪い」、そして「理解力が乏しい」店員だったから起こったに過ぎない齟齬なんだけど、噛み合わないやりとりの最中に見せた店員の、困惑から次第に不気味なものを見るような顔つきといい、そして異次元に迷い込んでしまったかのような私の感覚といい、ちょっとしたトライワイト・ゾーン体験であって、店員にすれば「日本語はそれなりに扱うが、注文の仕方、自動券売機の食券の買い方を今時知らない」異文化圏の人、いうなれば異星人を見るような、そんな目で私は見られてしまったという、希有な経験をしたのだった。
たかがごはんの大盛りひとつ買おうとしたただそれだけのことで、ものすごい憐憫を受けた感じと、未だかつてない疎外感を味わいましたよ、ふんとに。

もしこの先、地球に降り立つ友好目的の腹をすかせたエイリアンたちがいて、ひとまずと思いついて松屋でごはんだけを買おうとしたとしても、券売機の字は読めなかろうし、そもそも券売機にはそのボタンはないのだし、言葉はきっと片言で、となるとごはんだけの持ち帰りに来るべきエイリアンはきっと失敗するのだろうなと思うと、とても哀れでならない。私は人並みに日本語を駆使するので、なんとかその日、互いのわだかまりを払拭してごはんのみを持ち帰ることが叶ったが、いやあ、つらいもんだな、エイリアンも。と、しみじみ思ったのだった。


<付録>
今回紹介した映画の中の一本、好いた女の子とラブラブな一夜を過ごしたその翌朝がもしエイリアン侵略の日だったらどうする?という、なんだかこれだけ聞くとコメディのようなストーリーと伝えられる「Extraterrestrial」のとってもキュートなポスターがこれ。
c0018492_1303622.jpg

これって相当いいでしょ。

by wtaiken | 2010-11-11 13:16

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