激闘2009   

まったく去年は石の当たり年だった。

「旦那、旦那、アイダの旦那! いねえのかねぇ、あんちきしょう」
「おいおいどうしたい、重松、朝っぱらからバタバタそんなに息せき切って駆け込んできたりして。ホコリが立っていけねえよ」
「いやね、旦那、ええっと。あの、その…。はあ苦しい」
「まあそう慌てなさんな。まずは一杯おやりよ」
「朝から酒とはありがたい」
「バカを言うな、水道水だよ」
「なんでえケチめ」
「ご挨拶だなどうも。で、なんだい」
「”なんだい”とはなんだい」
「なにか用があるから駆け込んできたんだろうじゃねえか」
「おうそうだった。いや、そいつがね、とんでもねえ事件なんで」
「朝っぱらから事件とは穏やかじゃねえな」
「事件も事件、そんなにのんびり冷や水なんぞ飲んでる場合じゃありませんぜ。年寄りのくせに」
「そりゃお前さんの飲んだ水だよ」
「あれ、そうでしたっけね。あっしの?」
「もういいからさきを急ぎな」
「へ。ええっとぉ、いやね、なんだな、そのぅ、あのぅ、ほら」
「肝心なところになると慌てる男だねどうも。いいからもう一口おやり」
「朝から酒とはありがたい」
「まったく話の進まねえやろうだな」
「ひゃぁーこいつはうめえ!いい酒ってのはこう、するするっと水みたいに飲めるもんなんすねえ」
「…。あのね。後生だからお前さんの用件とやらを話してくんねえかな。拝むよ」
「拝まれちゃっちゃあしゃうがねえやね。いいですかい旦那、出たんですよ」
「なにが出た」
「驚いちゃいけませんぜ。上野の古道具市で出たんでさあ。とびっきり上等の、いい天然石が!」
「マジかよ、重松!」
「あっしが嘘偽りなんぞ言いますかい。よく見てください、あっしのこの目を!」
「なにしっかり閉じてんだよ」
「あ、いけね、目つぶってたよ」
「閉じた目でもお前を信じようじゃねえか、え。石となっちゃ話は別だ。さ、さきを続けな」
「へい、それが笛吹川の上流で採石したらしいんですけどね、色といいカタチといい申し分ない代モンらしいんですよ。しかも!」
「”しかも”とござったな。もったいつけるな、しかもどうした!」
「競りにかけるつもりなのか、底値と書いて、なんと250万!」
「バカに大きく出やがったな。で、その石にゃなんて題目がついてやがった?」
「それが」
「それが?」
「ゴジラVSキングギドラ!」
「バカな!人の手を加えていない自然の水石で、そんなタイトルをつけられるカタチの形象石がでるわきゃねえ!」
「だから事件だってぇーんです」
「ゴジラVSキングギドラだとぉ? こう石と石がこう絡み合って…! ちくしょうめ! おい重松!」
「へい!」
「おちおちしていらんねえぞ!」
「行きやすか、旦那!」
「百聞は一見にしかず。先だって吉祥寺古物商の稀にみる出物、あの600万は下らねえという山水景石といい、今年はどうやら石の当たり年らしいぜ。ぼやぼやすんない、重松!ついてこい!」ってずいぶん長い前振りになったが、そういう意味の”石の当たり年”ではない。
だいいち私は”無能の人”ではないから、美術的価値のある天然石になど一切興味はないのだ。それに誰なんだ重松。

石といっても、路傍に転がる石くれとはわけが違う。
これは2009年、人より濃度が高いがために尿に含まれるカルシウムが腎臓内に蓄積、凝結してしまう、いわゆる腎臓結石と私との激闘の記録である。


1月某日
拙宅にて、夕食後、左脇腹に違和感あり。もしやと懸念す。
夜半、手水。案の定、茶色き血尿なり。これにてまたしても腎臓から結石が動き出したことを知る。1年ぶりとなろうか。

(補足情報 : 25歳で初結石以降、体内から排出した石の数たるや両手両足でも足りない。ギネス申請中。言うまでもないが、うそだ。”はじめての血尿”もそのとき経験している。
当時は実家住まい、目覚めに用便をたしたら、どす黒い茶色の尿が出て、仰天。目を疑うとはこのこと。パニック。寝ぼけた頭と混乱状態が導き出した結論「あ。チ○コからう○こが出た!」…汚い話で恐縮。すぐさま「これがもしや世に言う血尿か」と自己判断。即刻会社を休み、病院にてレントゲン検査の結果「会田さん、すごいですよ。何千万人にひとりってくらいの、結石のできやすい腎臓をしてらっしゃる」と奇跡的な実験台出現に嬉々とした表情で医者に言われた。このへんの経緯は一度このブログにも書いたと思うが、かなり以前だった記憶があるので繰り返した。
結石患者はおおよそ50%以上の確率で再発すると言われている。が、そんなこと言われなくったって、何千万人にひとりの男なんだから。もちろん再発。どころか再々発。っていうか再々再発。ええっとー、まあ、その、再々再々発。とくりゃ、再々再々再…ということで、その都度血尿が出ているので、もう最近では慣れっこになってしまっている。今更驚きもパニックもないので、さぞや血尿も張りのないこったろう。ちなみに、腎臓から動き出した結石が尿管の壁を傷つけるため尿に血が混入する。流血後すぐに排出されれば赤かろうが、時間が経つと変色、血中鉄分が酸化し茶色となるのである)

このまま石が暴虐ぶりを発揮しなければいいがと、切に願う。結石による激痛は、その経験者でなければわかるまい。痛みによる死があるとするならば、まさにそれだ。死を垣間見るほどの痛覚。
動き出した石を、なるべくスムーズに排出すべく、すぐさま大量の水分を摂取。それこそ水でお腹がたっぷんたっぷん音のするほど立て続けに補給するので、度々手水へ。仕事にならない。
未明。手水のあと、間髪を入れずに残尿感生ず。これにて無事石が膀胱へまでたどり着いたことを知る。血尿から残尿感までわずか数時間というのは、いくたの結石病歴中でも最速記録。即刻ギネス申請。これで今回は激痛もなく、まずはひと安心。

(補足情報 : お前は人間レントゲンか! もしくは結石ナビ機能搭載か! というくらい残尿感さえあれば確実に石の在処、膀胱に至ったことがわかる。経験則からすると、結石の痛みがある場合、それは尿管を下り膀胱までの間のこと、すなわち残尿感があるまでと相場が決まっているので、落ちてしまえばあとは尿とともに排出されるのを待つだけなのだ。ただ痛みとは別の感覚であるが、この残尿感もなかなか辛い)

朝7時。大量摂取の水分とともに、なんともあっさり結石排出。肩すかしをくらったようだ。血尿から残尿感へ、そして排出まで、その期間おおよそ10時間。25のときの初結石では血尿から排出まで、たっぷり1ヶ月もかかったことを思うと、なにか結石排出のプロフェッショナルにでもなった得意な気分。これでもはや結石恐るるに能わず、と胸中静かに豪語す。
このおごりたかぶる高慢な思いを後悔することになるのはわずか数ヶ月後だとは、このときの私は知る由もない。ただもう結石の恐怖から早々に開放されたうれしさに、カッカッカッと高笑いするばかりであった。

3月某日
(いきなり補足情報 : この日の騒動についての導入部は、昨年8月22日の記事「お茶と同情」にある通り。そこには編集作業でその日の夕食が未明になったこと、弱り切った胃にメニューがウルトラヘビーなとんかつ弁当であったこと、さすがの私も食べ残しをし、コンプリートできなかったことなどが事細かに記されている、ってこんなに短く説明できちゃうのだった…)

夕食後、とはいえ日を跨いだ翌未明での前日の夕食後であるが、休みなく残りの編集作業へ突入。
ソファーにてモニターを凝視。突如、腹部に違和感。言わんこっちゃない。こんな時間に高カロリーな食物の摂取は覿面に胃に応えるのだ。若干の嘔吐感あり。すわっ食中りかと思ったが、少々様子が異なる。
もしやこれは…! 無事結石を排出したのは、わずか数ヶ月前のことではないか…気づいたときには時すでに遅く、腰に尋常ならざる激痛が走る。早くに気づいたところで処置のしようもないことだが。と同時に猛烈な嘔吐感と、痛みに耐えるがために汗、滝のごとし。スタッフに露顕しないようトイレへ駆け込み、嘔吐。いまさっき食べたばかりの夕食、排出。鏡を見ると、まさに顔面蒼白。

(補足情報 : あくまで激闘史であるので、事実に沿って記しているため多少の不快な描写は諒とされたい。
ここで、結石による激痛のメカニズムを説明しておこう。未経験者は、結石の石の周りにあるカルシウム片のギザギザが動くことにより尿管を傷つけ痛みが発生すると考えがちだが、それはまったくの誤りである。
とあるサイトにはこうある。簡潔かつ的確な描写なので、そのままコピぺする。
「結石が尿管を圧迫しして腎臓と尿管の接続部である腎盂の内圧が急激に上昇すると、側腹部に痛みが生じ、しばしば下腹部に広がる。痛みは夜間や早朝に多く、嘔吐を伴うこともある」
ただこのままだと様子が伝わりづらい。結石のプロフェッショナルがわかりやすくご説明しよう。
結石が動いているうち尿管に留まってしまうとする。それが、留まるところによっては尿管をピタリと塞いでしまい、それにより尿の流れを食い止めることになる。腎臓は絶えず尿を送り出そうとするから、ここに尿の渋滞がまき起こる。膀胱へと正常に流れない尿がみるみる溜まり、それによって腎臓が内側から圧迫される。すなわちこれが激痛の正体である。
まだ続きがある。本来ならばスイスイ流れている一方通行道路が完全に食い止められてしまうと、体の機能はパニックを引き起こす。慌ててこれまでの流れ作業を停止しようとする。それでも胃の中には未消化物が残っている。下方へ送り出せないため、消化作用不能となり、下がダメなら上だ、上へ出しちまえ。とこうなる。結石痛が嘔吐へと繋がるメカニズムがつまりこれなのだ。おわかりいただけたろうか)

どうにか激痛の治まる淡い期待を持ちつ、編集室へとゆっくり引き返す。痛くて歩くのも困難だ。もちろんスタッフは誰一人として、私のこの孤独な戦いを知らない。
暫時辛抱を試みるも、仕事続行の危機迫り、どころか座っていることすらままならない。難局へ向かい、みるみる坂を転げ落ちていくようだ。
慌ててプロデューサーに事情説明。ひとまずの急場を凌ごうと、空の別編集室にて横臥。しかし一旦結石の激痛がはじまってしまうと、容易に終息はしてくれないことを誰よりも私は知っている。
激痛により意識は朦朧、ふらふらと再びトイレへ。二度目の嘔吐。これにて、いよいよ私は不本意な選択をしなければならなくなった。もはや事態は急を要する。仕事放擲。帰宅あるのみ。帰宅さえすれば、これまでの通院により、鎮痛剤坐剤ボルタレンのストックがあるのだ。坐剤だから、脇腹の患部への効果は覿面。即効性あり、ものの10分とかからず痛みが緩和される場合もある。そこに最後の望みをかけたい。
うまく終息せば、職場復帰も夢ではない。(なんじゃそりゃ)
再び事情説明。あまりにも事態の急転に、鳩が豆鉄砲くらったような面持ちのプロデューサーに残りの作業の段取りを伝達。激痛に見舞われると、話すことすらままならない。が、辛い状況下とはいえ、これは私の使命なりと。
急ぎ、編集室を後にし、おもてへ。春まだ浅い早朝は一段と寒さが身にしみる。

(補足情報 : これは後日談だが、私はプロデューサーにのみこの件を伝えたので、制作のカトウくんは経緯、事情をまったく掴んでいなかった。編集作業をまだ終えていないのにとっとと帰ってしまう私を見て、彼は「あ、眠くなったから帰ったな」と思ったらしい。眠くなったら眠るべし、仕事だって放棄さ、ってどんな我がままな監督なんだ、そりゃ)

タクシーに乗車、一路拙宅へ。不幸中の幸い、この日の編集室は自宅と近郊にて、早朝の交通事情から察するに、おおよそ10分たらずで到着と踏むが、車中で痛みは一段と激しさを増す。しかも拙劣なことに、よりによっての嘔吐感。この場での嘔吐は、修羅場を意味するだろう。

地獄の10分間を辛うじて耐えしのぎ、ヘロヘロの体で帰宅。すぐさまトイレで三度目の嘔吐。妻に事情説明す。今日三度目の事情説明。なんだか嘔吐毎に事情説明をしている。彼女も仕事があるのにこんな早朝に叩き起こされ、いい迷惑だろう。ボルタレンを投与し、ベッドに横臥、引きも切らない痛み、一向に止む気配なし。むしろますます悪化の一途を辿っているよう。
もう一刻も我慢ならず、妻に救急車を手配願う。昨年(もう一昨年)の夏に、(結石による痛みとは部位も種類も別の)腰痛で救急車の世話なってからまだ一年と経っていない間に、これで二度目だ。
数分後、救急車着。タンカーにて搬送。救急車両内で待機。症状およびこれまでの病歴等々説明しなければならない。本日四度目の事情説明。話すのも辛いこちらのことなどおかまなく、事細かに聴取する救急員。子細に症状を理解しなければ適切な病院への手配判断がつかないことはよくわかるが、正直一言も発したくない。虫の鳴くような声で応答。
しばらく待機。なかなか救急患者を受け付ける病院がみつからない模様。その間にも激痛は止まず、嘔吐感寄せては返す波のよう。隊員から何時でも吐けるようビニール袋を手渡される。
待つことが永遠に思われる。数分後、比較的近しい距離に受け入れ先が決まったらしく「すぐに着きますよ」と。ようやく発車。嘔吐。四度目。数分後着。
宿直の医者に軽く事情説明。五度目につき、今後症状説明のためのテープ録音が必要かと思う。
点滴注入。

(補足情報 : いまこうして改めてこれまでの結石激痛史を思い返すに、決まって病院ではまず点滴を打つという処置を施す。これは体内にすばやく水分を送り込み、石を動かす方策としてなのだろうが、腎臓圧迫がすべての痛みの根源ならば、逆効果である気がしてならない。医療関係に従事する方、如何なものだろうか)

点滴中も痛み頂点に達したまま持続。平行線。病院でついに五度目の嘔吐。さすがにもはや胃の中には吐く固形物もなく、胃液吐く。それでも嘔吐感は治まらず何度も何度も空の胃から胃液を戻す。涙が出る。鼻腔からも胃液がでる。哀れ。無惨。かわいそうな自分。何ccか一本分の点滴が終了。快方へ気配なく、もう一本注入。
二本の点滴が終わると、ほどなく痛み緩和。

(補足情報、というかつぶやき : ほれみろ、水分など止めどなく補給するから余計腎臓が圧迫されて痛かったのじゃないかい?)

ほんの数分間まどろんだようだ。久しぶりと思えるやすらぎ。それも束の間だっだが。
救急に対応してくれた病院には石をレーザーで砕く最新機器もなく、教科書通りの点滴にて、病院での処置はこれまで。
終始痛みにうなり声を上げ続ける私に、看護婦さんはかなり心配そうに「早いとこ大きな病院で診てもらったほうがいい」と助言するが、こんな状態ではとても長時間待合室で座って待機など不可能だ。また救急患者としてでなければ。
いつも通り、ボルタレン坐剤処方。同伴の妻とともにタクシーで帰宅。

仕事を休もうかという妻を「大丈夫だ」と送り出すが、不安だ。現状維持も辛いが、これより更なる痛みが襲来したときを思うと気が遠くなりそうだ。ベッドで七転八倒。痛み疲れとでもいうのか、極度の疲労感があり、意識はすでに朦朧としたままだが、それでもまったく眠れない。ウトウトしかけては、痛みに悶絶。
ボルタレン使用は6時間間隔と処方されているが、おかまいなく数時間でこの日二本目を投与。

夢うつつの中、終日ベッドの中でもがき苦しむ。いっそのこと気絶してしまえば楽になるのにと思う。あれだけ点滴をされたのに尿は一滴も出ず。食事も一切とらずじまい。

二日後、ようやく鎮痛。それでも油断禁物。まさに体内に爆弾を抱えているようなものだ。安静に越したことはない。が、この日、途中で放擲した仕事のMA作業の日なり。朝の段階では快方に向かいつつあったが、1時間分のMAとなると丸々一日がかりだ。長時間椅子に座しての労働は、痛みのぶり返す危険性を大いにはらんでいる。苦渋の選択だったが、もしまた作業の途中で中途半端に退席する迷惑を考えると、頭から代理店クリエイティヴディレクターに一任した方がいいと判断。プロデューサーに陳謝しつつその旨伝える。案の定、夕刻より痛み、またしても。

一週間後、史上最悪の症状をもたらした結石、どうにか排出。大きく胸を撫でおろす。
その間、打ち合わせ一度あり。その時も仕事中に痛みのかすかな片鱗を察知、すばやく退席しトイレにて坐剤投与。事なきを得たことあり。

さすがに今度は懲りに懲りた。いち早く大病院へ駆け込み、できやすい体質以外の、ここまで結石多発の原因、たとえば食生活の改善など糾明すべきところが、時すでに大きなプロジェクト始動後のため叶わず。

(補足情報 : つまり上述の打ち合わせとは、レギュラーの、例のケータイ会社の仕事がそこからはじまってしまっていたわけで、石が出た時点ではすでに怒濤の忙殺期間に突入していたのだった。大人はつらいよ)

見るに見かねた妻が、あれこれ調べたところ、”一般的に”というもちろん注釈付きで、高カロリーの食事、特に牛肉と、なんと!お茶がよくないとの俗説あり、と。
同じく仕事仲間からも「ペットボトルのお茶、右肩上がりな売れ行きと比例し、結石患者が年々増加している」という情報も得る。

(補足情報 : つまりここに至って、ようやく「お茶と同情」の導入部に記した、なぜ私が好きなお茶を断ったのか、という話が帰結するわけです、長きに渡って、ようやくここで!)

決断す。余は今後一切のお茶と牛肉とをこの身に禁ず、と。

焼肉はまあ我慢もできよう。しかし三度の食後どころか、子供の頃から一日中欠かさず飲み続けてきたお茶までもが。自分で律したこととはいえあんまりじゃないか、自分。
ああ、お茶よお茶。おーい、お茶。それはあまりにも突然の別れだ。お前とこうして袂を分かつことになろうとは。
「お茶好きで通るアイダさん、なにもそこまで厳しくご禁制にしなくとも…」などど同情めさるな。いかねばならなぬ、いかねばならぬのじゃ、の心境。
爾来、お茶といえば麦茶にそば茶。焼肉は完全に体内からロックアウト。
早く検査に、との思いを片隅に、春から夏、夏から秋を素通りして冬へ、間断なく仕事が続いている。2010年の今も。


しかし!
2009年、私と結石との激闘史は、ここに終結をみなかった。なんと、よもやの、第三の…。

次回へとつづく。

by wtaiken | 2010-01-07 02:32

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