さよならだけが人生だ   

高校の時のツレに、他校にまで知れ渡るギタリストがいて、秋の文化祭のバンド大会に出場するそいつが率いるバンドのボーカルに誘われてしまった。

まだカラオケボックスなんてものがない時代だから、音楽の時間での歌声なのか、地声が気に入られたのか、単なる親友としてのノリだったのかいざ知らず、ギターの腕は校内にそいつの右に出るものはいない、大会優勝の筆頭バンドだったから、下手な歌声でその邪魔をしたくない、音楽は好きでもその才能はないと確信していた私はずいぶんと固辞したんだと思うが、自信満々のギタリストは「俺のギターがあれば優勝は間違いないから大丈夫だ」とゴリ押してくるし、生来の目立とう根性が余計なところでヒョッコリ顔を出してしまった。

そこまでいうなら、じゃあやってみるか。


そのくせ人一倍緊張しいで、人前に立とうものなら、膝は震える手は震える心臓がバクバク暴れる呼吸は乱れるといった具合で、そんな極端なあがり性分の反動がやがて大学以降アングラ演劇の舞台上で爆発することになるんだけどそれはまた別の話、学校帰りの有料スタジオで連日連夜のバンド練習は、女子メンバーあってのいかにも青春の1コマという甘酸っぱい思い出でもあるんだけど、文化祭当日の、しかも出場する少し前の袖口で、対抗バンドメンバーで逆転優勝をつけ狙う友人からの

「リハで見てたけど、アイケン (中高生時の私のあだ名) さ、あの歌はキーが高いから、無理して歌うより断然裏声にした方がいいと思うよ。」

とのアドバイスを真に受けてしまったのだった。


果たしてそれが額面通り良かれと思ってのアドバイスだったのか、優勝本命からおとしめるための狡猾なアドバイスだったのかは今となっては確かめようもないことだが、そこまでの夜ごとの練習は何だったんだという突然の裏声での歌い出しに会場は騒然、バンドメンバーらもよもやの暴挙にと胸を衝かれたことだろう、その動揺はこのバンド一番の見せどころたるレッド・ツェッペリン「天国の階段」のギターソロを歯で弾いて見せる親友のパフォーマンスにも影を落とし、私の裏声歌唱同様に、全校生徒および全教員、保護者らからの失笑を思いがけずかってしまい、結果優勝などほど遠いこととなって惨敗に終わった、人生にはいくつもあるだろう汚点の中でも、いまだ思い出すだに冷や汗の滴る、そんな私がメインボーカルを務めた楽曲、それがオフコースの「さよなら」だったのだ。



そう、今日のテーマは「さよなら」だ。


望むと望まざるとにかかわらず、はじめたこと、はじまってしまったもの、神羅万象すべてに終わりはある。

太陽は燃え尽き、この巨大なグローブもいつか消えて跡形もなくなるだろう。と、フリッパーズギターはそう歌ったものだ。しゃべる、笑う、恋をするぼくたちはさよならする。とも。


今も膨張しづけるこの宇宙すら、遠い遠い未来のその果てには、粉々に砕け散って瞬時に収縮をし、豆粒ほどの大きさになったかつての宇宙が、どこか知らない空間にポトンと落ちて、そしてすべてが終わるのかもしれない。



2004年の12月24日、パーマネントに続けるつもりで立ち上げたワールドツアーという劇団のホームページの読物としてはじまった当ブログも、母体たる劇団がなくなった後、途切れ途切れになりがちながらもこうして16年、よくまあ続けてこれたなあと改めて振り返ってみると我ながらなかなか感心だ。

あれから早16歳歳をとって、今や小2男子の父親になっていようとは、仕事で台本を書くかたらわブログの文章をちまちま推敲していた当時に私は、そんな未来など思いもしなかったろう。


ある意味生活のほんの一部とすでになってしまっているこのブログではあったが、はじまったものに別れはつきものだ。

だから、というのも変な話だが、

今日ここに、「旅ビト・コルレオーネ」を、閉じようと思う。


さよなら、さよなら、さよなら、もうすぐ外は白い冬、なのだ。

それではみなさん、さよなら、さよなら、さよなら〜、だ。

さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束、だ。


事情は話すまい。面倒だから。

そしてこれまでずいぶんと長く放置していても、都度都度覗いてくれていた皆様には感謝の言葉しかない。

長きにわたり、本当にありがとうございました。


また、どこかで、心機一転ブログを始めた時は、どうかよろしく。

できればこれを読む傍らには、キューブリックの「博士の異常な愛情」のエンディングに流された「We'll Meet Again」か、はたまたジャパニーズAORの代表曲、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がかかっていて欲しい。あわよくば。


では、また、逢う日まで。お達者でー。

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…と、いうことで。

心機一転、もうはじめてます。


実はインターネットの回線問題で、(実は今しばしの再開をし、そして) 1月後にはこのブログにアクセスができなくなってしまう物理的な事情により、「旅ビト・コルレオーネ」から また次なる旅にでる” ブログ、すなわち老いてますます浮浪雲のようにのらりくらりと旅から旅の人生様相を呈する「股旅」とを絡めまして、心新たに「股旅ビト・コルレオーネ」と題し、こちらにてブログ開設しております!




すでにご挨拶がわりに2編記事をご用意してございます。

これからは「股旅」の方にて記事は更新して参りますので、どうかひとつ、またのご贔屓とご愛顧のほど、是非ともよろしくお願いをいたします。


実は新規開設してみたのはいいけど、誰にも知らせずに放置していて、一体いつ訪問者が来るのかと心待ちにしてたら、誰一人のアクセスもないでやんの。チェッ。


# by wtaiken | 2020-05-25 23:26

やったね、パラサイト!   

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にわかに信じがたいというか、まだ日本公開前だから作品の良し悪しは判断できないものの、下馬評含め、なんといっても "間違いない" サム・メンデス監督作だし、反戦ものなんだろうし、ワンカット撮影というチャレンジングな手法も評価できる「1917 命をかけた伝令」がオスカー最優秀作品賞になり、ここ数年観た映画の中では突出した傑作だと思っている「パラサイト 半地下の家族」の外国語映画賞は確実としても、自国の映画こそサイコーと思っているような保守派が主流なんじゃないかと私は勝手に思っているアカデミー選考会としては、作品賞は断然ありえないとしても、せめて罪滅ぼし的に監督賞はポン・ジュノに贈るかもと淡い期待を持ってその発表されるのを仕事先でチェックしていたスマホに、まさかの「アカデミー最優秀作品賞に『パラサイト 半地下の家族』」とネットニュースに出た時は、目を疑いつつ思わず歓喜の声をあげたし、ちょっと感動もしてしまったのだった。

いやあ、ホント快挙っす。映画の歴史が変わった瞬間に立ち会えたというか。韓国映画初、アジア圏初、いやいや外国語映画の最優秀作品賞なんてもの自体が、92回目にして初なんすから、もう。たいへんなんすからもう。

なにをまたそんな古い故人を持ち出してというかもしれないけど、世界的な巨匠たる日本の溝口も小津も、そしてハリウッドにもフォロワーの多い黒澤さえも、外国語映画賞ノミニーや受賞、名誉賞受賞なんてことはあっても、本線…といって区別していいものか、オリジナル脚本賞や監督賞、どころかよもやの作品賞なんてありえなかったわけですよ、米国にとっての外国語による映画なんてものがオスカーを勝ち取ることなんて。

そりゃまあなにもオスカーとりゃ世界最高の映画ってわけではまったくないわけだし、この最優秀作品賞どうよなんて首を傾げたくなる作品もこれまで選出されたりもしたし、近年特にその権威の失墜が言われているわけだけど、腐ってもオスカー、エンターテイメント界の最大の祭典すよ。サム・メンデスどころかタランティーノやスコセッシという現代の巨匠らを退けてのポン・ジュノなのよ。"ポン" つって、"ジュノ"って来るんだから、なんかもう語感がすごいことになってるんだから…。
もう、興奮してなんのことやらだが、最優秀作品賞に最優秀監督賞、そして最優秀オリジナル脚本賞という、映画としての肝ほぼ制覇って、ホントに信じがたいことだ。



それはついこの間のことだ。
いま小学一年生の我が愚息が保育園に通っていた頃の、とある映画会社にお勤めになられているパパ友が、自宅にAVルームをつくったとのことでお招きを受け、巨大スクリーンを取り囲む3面の壁いっぱいに並べられた、70年代を中心にしたジャンルを問わない怒涛の音楽CDコレクションに圧倒されつつも、仕事柄一応…みたいな申し訳程度に引き出しにしまわれた映画DVD、ブルーレイのコレクションの中から、5作ほどのディスクを袋詰めにされ手渡され、「映画好きと言っておきながら韓国映画を観ていないとはけしからん」とお叱りを受けた、その中に「この人は天才です」とポン・ジュノ監督作の「グエムル 漢江の怪物」と「殺人の追憶」が含まれていたのだった。

まったくお恥ずかしい話だが、確かに韓国映画を私はこれまでほとんど観てこなかったのだ。思いつくのは「オールド・ボーイ」くらいなもので、これも散々映画好きの友人に勧められ、もう仕方ないなあくらいな気持ちで観て、そりゃもう最高に面白かったんだけど、だからって "韓国映画" というざっくりとした括りのジャンルにハマることなどなかったのだ。そこにいくなら、もっと観ていない古い日本映画を観るよ、ってなもの。

ところがだ、まあまあな作品だと高を括った「グエムル」の後の「殺人の追憶」、これがよかったのだ。もう最適なロケーション、無駄のない演出。実際の事件を題材にしているとはいえ、そこでそうくるかの衝撃な展開といい、この1作ですっかりハマってしまい、さほど監督作が多くないポン・ジュノ監督作を年末年始でほぼ一気観をし、要はここ1、2ヶ月ほどのことで、さも昔っからすごい監督だと思ってましたよ態に仕上げていき、で、この冒頭からの語り口だったわけで、ホント通顔してどーもスイマセンだ。


それにしてもいいタイミングで勧めてくれたものよパパ友よ。
おかげで公開日に「パラサイト 半地下の家族」を期待とともに観にいくことができ、その期待を遥かに大きく上回る傑作っぷりに、会う仕事仲間には「傑作。」「すごい。」「サイコー。」の連打につぐ連打で勧めまくり。
なんかどうでもいいことなんだけど、オスカー獲った後にノコノコ観に行って「サイコー」と言ってもそれでは時すでに遅しなのだ。映画好きを標榜している身としてはそれでは意味がないというか、だから勝手に面目躍如だと思っている。


とにかくここまで作品世界にどっぷりと没入できる映画もそうは出会えないし、相変わらずロケーション、カット割り、音楽の使い方、演出のすべてに無駄がなく、まさに最適、理想的な監督っぷりだと思ったし、物語が進むにつれジャンルを次々と乗り越えていく爽快感というか、おいおいそっち行くんかいという展開の驚き、俗にいう予測不能というストーリーテリングには舌を巻き、そして何といっても最後の最後に感情をそっちに持っていかれたことへの感動というか、もう参ったなあ本当に。社会問題を取り上げながらも笑いでオブラートに包み、エンターティメント映画として仕上げる手際の良さ。お手上げですよ。

おかげで、初日に観たあとの週末2日挟んですぐ再視聴するという驚異のリピート力。
もちろん天才ポン・ジュノによるところは大だけれど、配役もソン・ガンホと息子役のチェ・ウシクがよく、その他全てのキャストが魅力的で最高。
わけてもたまらなく良かったのが、娘役のパク・ソダム。開始からしばらくは、ポン・ジュノ監督作でソン・ガンホがお父さん役なら、「グエムル」と「スノーピアサー」の2作で娘役だったコ・アソンでいいじゃないか、なんで違うんだよと「コレジャナイ感」があったんだど、物語が進んでいくうちにはまったはまった。
最後の方はもう可愛くて可愛くて、だからこそ…いやいや、そこから先はネタバレなしで。

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※このあたりから、パク・ソダムにはちょっとやられたのかもしれない。って映画序盤だけどね。


こりやオスカー景気に、これからさらに混み出すことが予想されるけど、ロージショー中に、もう一回観てもいいかも。


ちなみにポン・ジュノ過去作の私評。

「ほえる犬は噛まない」「母なる証明」「殺人の追憶」は傑作。
「オクジャ」は宮崎駿オマージュ強すぎで、まあまあというところ。でもちょっとアウシュビッツ色強くない?って感じ。
「グエムル 漢江の怪物」も前述の通りでまあまあ。ポン・ジュノの怪物ものは、どうも出来が突出しない気がする。
で、ハリウッド資本の「スノーピアサー」にはちょっとがっかり。寓話として割り切るにしても、あまりにも設定がいい加減すぎ、ゆるすぎ。ツッコミどころ含め、全体的に監督としての脇が甘すぎる映画だ。

それにしてもまた一人、新作を心待ちにする監督が増えて嬉しい限りだが、果たしていまの日本映画界に、これほどまでに世界を席巻する映画をつくれるフィルムメーカーはいるのか、はなはだ心もとないことであるのう、残念なことに。


※2019年総括がまだ終わっていないけれど、イレギュラーで祝杯回でした

# by wtaiken | 2020-02-11 01:55

2019総括 その1   

20日の初日に「スター・ウォーズ / スカイウォーカーの夜明け」を観たその3日後、グランドシネマサンシャイン池袋の6ポイント無料鑑賞券を得て、とはいってもIMAX3D特別料金なので差し引き1.100円で、今度は「TENET テネット」の約6分間のprologueをメインディッシュ扱いで、「スター・ウォーズ / スカイウォーカーの夜明け」3D はせっかくだからついでにといったスタンスで再鑑賞。


私の好きなとある映画好きブロガーのブログにも「視界いっぱいにIMAX画角で展開されるテネットの緊張感ある予告編に気持ちをすっかりもっていかれ、すぐそのあとすぐにはじまるスター・ウォーズは、映像の迫力、ドシドシくる重低音の音響ともに負けてしまっているので損をしている」旨書き込まれていて同意。どうしても比較しちゃうよね、立て続けに上映されれば。


なにがなにやら説明のまったくないままにテロリズムに遭うオペラハウスを舞台にして、テロリストたちと沈静部隊、そこにどうやら潜入捜査しているらしき人物を救出すべく乗り込む主役のジョン・デヴィット・ワシントンチームの3者が入れ乱れての攻防を描く緊迫したわずか数分間の導入部なんだけど、その主役が時間操作できる能力を持っているのかもしれない一瞬の短い謎の巻き戻しカットなどもあったりし、なんだかそのスリリングさといいサスペンスを生む演出は、ちょっと偉そうに言わせてもらうと、ノーランも腕をすっかり上げたなあとつくづく。


たとえばオーケストラリーサル中舞台袖から突如乱入するテロリストたちが手持ちカメラの横をすり抜けていく構成および銃を構えるポージングは、ほぼ「ダークナイト ライジング」でのベイン部隊が巨大スタジアムを占拠する絵柄とそっくりそのままなんだけど、その緊迫感たるや、あきらかにスタジアムとオペラハウスとでは空間的にはスケールダウンしているのにも関わらず、数段今回の映像の方が優っている。

この6分間が終わった後は、ちょっと虚脱・放心状態になるくらいで、もうその先が気になって気になって、スター・ウォーズ完結どころじゃなくなるのであった。


端的にこの一部だけを比較してみても、どうも今回のスター・ウォーズの新3部作(シークエル・トリロジーっていうんだってさ)には、この観る側を圧する画面力というか、ひえぇぇぇ、かっこいい!というキラーショットが皆無だったなあと。ライトセーバー戦しかり、ドッグファイトシーンしかり。まったくワクワクできなかったなあ。


…いやいや待てよ、それは言い過ぎたか。思い出せば、「フォースの覚醒」での、はじめてレイがミレニアム・ファルコンを操縦しての、墜落したスターデストロイヤー艦外・艦内での追尾してくるタイファイターとの攻防戦はかなりいい線いっていたし、この辺りまでは…ってシークエル・トリロジーの導入も導入だけど、「結構いいんじゃない?」なんて思ってたんだよなあ、今やそれすらも下方修正せざるを得なくなっちゃったけど。


なんにせよ、CGがいくら発達したところで、画面構成力というか、迫力を生む編集力というか、なんかそういう基本中の基本が欠落してるんじゃないかと。少なくてもプリクエルの3部作でのエピソード3には、オープニングのドッグファイトやクライマックスのアナキンとオビワンとのライトセーバー戦などなど、結構ゾクゾクと"あがる"キラーショットがいくつもあったもんなあと。


今回の悪しき例でいうと、(予告編でも出てきていたのでネタバレにはならないと思うが) 3部作のアイコンのひとつ、帝国軍のスターデストロイヤーがIKKO by ”どんだけーってほどの数で空間を埋め尽くしてはいても、ただ並んでいるだけの、簡単コピペした画像みたいで、まったく迫力を感じないシーンに象徴されている感じがする。



さてさて、そんなこんなでスカイウォーカー家の、銀河を巻き込む親子喧嘩 & 叔父・甥のすったもんだを約42年かけて見届け終わってみれば、世の中はコーンフレークがバカ売れしている年の瀬となってい、なんとはなしにぼんやりとこの1年を振り返ったりなんかすると、まず真っ先に思い浮かぶのが、ゴールデンウィークを挟んでわが身に降りかかった罹患のことだ。 <つづく> <来年に持ち越しか?>


# by wtaiken | 2019-12-31 02:12

スター・ウォーズを観るつもりのクリストファー・ノーランファンに   

2年前の同じ時期に、ホントもうこの世に絶望するくらいの落胆に肩を落とし、こうも急速に冷え切っていくかねってくらい降下したファン熱は、その作品単体に止まらず、ともするとシリーズすべてを嫌いになってしまったんじゃないかというくらいの、一部ファンが起こした映画の作り直しを求める署名活動も、それがある到達点に達すれば実現するクラウドファンディング的なものであるならば是非に参加したであろうくらい、私の記憶の中では亡きことになっている、作品として認めていないからもはや"駄作"とさえ言いたくもない、エピソード8「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」から受けた心のギズも、もしや癒されるのかもなどと期待したスカイウォーカーファミリーの完結篇「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を、またぞろ予告編に踊らされるカタチで映画公開初日に観てきたわけだけれども、ネタバレを避けずに少しだけ感想を述べるならば、結局のところ「…最後のジェダイ」ショックからは立ち直れなかったというか、もはやこの映画シリーズには乗れないというか、この空虚感はなんだというか、所詮は旧3部作の愛すべきメインキャラクターたちの聞くまでもなかった末期を足掛け6年に渡って観せられたんだなという、そんな感想しか残らなかったですよ、私的には。

もちろん映画の見方はそれぞれだし、さまざまだ。よく例に出す「ゴッド・ファーザー」を観て、「なんでまたこんな反社なマフィアを美化するような有害映画を面白いなんて言えるんですかあ」的な、堅物な学級委員長的評価を下す人がいるわけで、だからこのエピソード9をしてJ. J. 良くやったと褒めそやす人もいるだろうし、そこをとやかく言うつもりはまったくなくて、あくまで自分映画史的な、ごくごく個人的な感想であり、今日のところは相対的な映画評ではないので、「いやあ、スカイウォーカーの夜明け、最高っした。ありがとあしたー」って方は、気分を害さずに今日はお付き合いいただきたいのだけれども、いやまあしかしジョン・ウィリアムズのあのテーマ曲がババンと流れてメインタイトルがINするこの導入に、これほどまでに心躍らないエピソードもなかったなあと。なんか淋しい限りでした。

それなりに一部楽しめたところはあるにはあったし、やっぱり親子の話は人の子の親となった今ではグッとも来ちゃうわけだけれども、あれほど酷評したプリクエル3部作の最終作エピソード3の最後ですら、ああこれが中二の頃観たスター・ウォーズのあの話に繋がっていくのかと思うと、その壮大なストーリーに感慨もひとしおだったものが、今作は何かこうもはや他人事というか、ああそうでしたかっていう感じの一歩も二歩を引いた視線で観ている自分がいて、やっぱこりゃどうやらエピソード8で全て終わらされたんだなあと、あのライアン・ジョンソンのやろうに幕引かれたっつーか、そんなこんなを改めて実感しました。なんだかもう"こっちの方が面白そう"だった「マンダロリアン」もいいやってくらい。いやはや卒業っす。今晩は斉藤由貴でも聴こうかなあ。

だからある意味すごいよ、エヒソード8の監督のライアン・ジョンソンよ。これほどまでに長年のSWファンの心をクールダウンさせる逆効果映画を作ったんだからね、なんか別のことに活かせその才能を、もうバカー、ゼッタイ許さないからね、ライアン・ジョンソン!今絶賛を浴びまくってる「ナイブズ・アウト」が面白かったら、それはその時で、まあその、許すかもしれないけどもさ…

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」、今の私が評価らしき一言を添えるならば、「一体なぜそれが"今"なのかがよくわからないことだらけの映画」でした。
何か言い訳程度の説明でいいからそこはやっぱり作り手としては提示すべきだったのではと、映像をつくる側の端くれとしてはそう感じたなあ。

ま、いずれは感想を書けなかった「最後のジェダイ」と抱き合わせてネタバレを恐れずに評価できればいいのだけれども、もはやこのシリーズも興味の対象外にはじき出されてしまったので、果たして時間を割いてまでそれを書く意義が見出せるのか微妙ではある。

というつつも、実は来週にでももう一度、今作「スカイウォーカーの夜明け」を観に行くつもり満々なのだ。なぜだ。答えは表題を読んでいただきたい。ここからが実は本題。


かねてより噂として、この「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」上映の冒頭に、クリストファー・ノーラン監督の最新作「TENET」のプロローグ上映があるらしいぞとは聞いてはいたものの、ハリウッドから遠く離れた極東の我が国日本ではいきなりそれを観ることは叶わないだろうなと正直まったく期待してなかったところへ、「キャッツ」だ「フォードVSフェラーリ」だのの予告編終わりの暗くなったスクリーンにいきなりババンとワーナーのロゴが!

「え、うそ、おい。マジか、やるのかそれを!」

その一瞬の半信半疑を覆す「SYNCOPY」のロゴでもう確定だよ、おい! ファンなら見知っていて当然の、これはノーラン設立の映画会社ロゴとくればもう間違いなく続くのは「TENET」プロローグ映像だぁぁぁぁぁぁ。と。

このサプライズはグランドサンシャインシネマ池袋の、日本最大級IMAXレーザースクリーンにだけアタッチされた特別映像なのかもしれず、(大阪エキスポシティはやっているかもだけども) どこもかしこもIMAXでは観られないのかもしれないのでそこは是非ご報告いただきたいものだが、いやもうここで感涙っすよ。ヒャッホーと言いたくなるところを押し殺し見入ること5分くらいでしょうか。
これをしてスターウォーズどうでもいいやモードになっちゃったのも本編評価を下げた一因かもしれないけれど、そりゃもう仕方ないやね。
プロローグの冒頭からいきなりのテンションと迫力ある映像、息つく暇を与えないド直球のクライマックスでもうサイコーでしたよ。これを観るだけでも私的には2500円のIMAX料金も高くないという。

スター・ウォーズを観るつもりのクリストファー・ノーランファンに_c0018492_04034459.jpg


全世界的には7月17日公開なのに、どうやら東京オリンピックのあおりを受けるカタチで延期されたのか日本公開が9月18日に確定したので、あと9ヶ月も我慢のところにこのプロローグが観られて、乾きが癒されました。

「ダンケルク」は面白かったけど、ノーランの特性であるエモーショナルなストーリーテリングからすると到底物足りなかった前作を補って余りあるくらいのブロックバスターな娯楽作を期待してもいいみたいです。

なので、スター・ウォーズの新作を観に行くつもりのクリストファー・ノーラン監督作好きの御仁は、是非池袋に足を運んで、このプロローグを観るべし。ですよ、マジで。


あ、そうだ。ついでといってはなんですが、やはり昨日に公開されたオフィシャルな「TENET」予告編です。
夏に一部劇場で公開されたティザー予告はこうしてオフィシルに配信されなかったので、これが正式な予告編第1弾ということになるんでしょうか。あおりに煽る音楽は、ハンス・ジマーではなく、ルドヴィグ・ゴランソン。





# by wtaiken | 2019-12-21 04:03 | 上からでも下から読んでも「TENET」

「タクシードライバー」(原題:Taxi Driver)は、1976年公開のアメリカ映画。主演はアル・パチーノ。   

父と子という間柄で同じ映画に出演しながらも、隔たりある異なる2つの時代に登場するがために一切の共演シーンがなかった1974年公開作「ゴッドファーザーPART II」でのアル・パチーノとロバート・デ・ニーロとが本格的に夢の共演を果たすのは、その作から21年後の「ヒート」まで待たなければならなかったが、さらに13年経った2008年には、さすがに本格共演も2度目になると話題的にも映画的にも地味だった「ボーダー」で再共演をし、んでもってそれなりの空白期間を置きつつの3度目の共演作は、監督がマーティン・スコセッシな上にギャングものとくれば、期待しないでおくのは無理というものだ。ジョー・ペシは出るわ、ハーヴェイ・カイテルも出るしね。
ただし若い頃を演じるために、今時のいただけない特殊効果により二人が若返りをしているという情報は、なんだか "とんでも映画" 作になってしまうんじゃないかという危惧をもっていたが、公開されている予告編からは払拭されている。

愚作としか言いようがない「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」での絶賛評から特に信頼がおけなくなったが、評論家評では大絶賛の嵐らしい「アイリッシュマン」は、Netflixで11月27日配信予定。

いまのところ日本での劇場公開情報はないが、個人的にはストリーミング視聴ではなく、是非映画館で観たいものだ。「ローマ」もそうしたしね。
ま、新作映画を、しかもスコセッシの、しかもアルとデニーロ共演作のギャング映画を自宅のパソコンでいきなり観られるというのも一興かもと思ってみたり。


さてさて、日々飽くなき映画情報をいくつかのサイトから仕入れていたところ、とんでもない映像に出くわしてしまったので、本日はその動画紹介が実はメインなのだった。
タイトルを見て、こいつはなにを言いだしたんだと思われた御仁は、是非以下の動画をみて欲しい。
どうやらYouTuberらしいCtrl Shift Faceさんのフェイク動画なんだが、なんとも凄まじい出来すぎて笑ってしまったのだった。






これ「タクシードライバー」を知らない人に見せたら、アル・パチーノ主演と思い込むだろうが、アル・パチーノを知っていて「タクシードライバー」を知らない人はまずいないだろうから、こう言って騙してみてはどうか。
「スコセッシの「タクシードライバー」って、実はアル・パチーノ主演で一旦撮影されてたらしいんだよ。や、マジで。」



ちなみにこのCtrl Shift Faceさんのチャンネルにはこんな動画もあって笑ったぜ。






ヒース・レジャーが他の主演映画でもジョーカーメイクのまま出演してたら…という発想がバカバカしくてサイコー。ちなみにもと映画は「ROCK YOU!」。
「ダークナイト」の映画だけではジョーカーがまだまだ観たりない!と思った人にはちょっといいかも。

この方のチャンネルには、アル版「タクシードライバー」と元映画の比較動画や、もそっと短いジョーカーIN「ROCK YOU!」別動画もあるし、そのうち「ブロークバック・マウンテン」バージョンのジョーカーもつくられたりするかもなので、検索してみては如何 ?


と、今日はこんな感じで。ではでは。

# by wtaiken | 2019-10-03 02:51