床下の群棲   

こんな夢を見た。
エレベータの階を押す操作盤に、いきなりカマドウマがへばりついている。
心停止するかと思うほどの、その予期せぬ忌むべき再会に私は思わず腰を抜かしてしまう。
するとだ、エレベータ内にバッタリ倒れた私めがけ、カマドウマが寄り添うように跳躍してきたのだ。「ンギャーッ」
私はとっさに飛び起きた。カマドウマから逃げるためにだ・・・。

ここまでだったら、単なる悪夢で片づく話だ。
ところが私は、夢の中で立ち上がった姿勢で跳ね起きて、そこで目を覚ましたのだ。
しばらく夢と現の境目が歴然としないまま布団を見下ろし、どっかにカマドウマがいるんじゃねーかと戦々恐々としてしまった。
朝からそんな自分の姿に大爆笑だったが、やがて冷静になると改めて身震いしたものだ。「夢でよかった」と。
つまりそれほどまでに、私はカマドウマが大嫌いだ。

日光江戸村のアトラクションにかつて出演していた劇団員の稲見は、その期間日光のとある旅館に常駐していたそうだ。
その湯船にだ、あろうことかカマドウマが大量に浮かんでいたというのだ。話を聞いて、私は体がゾワゾワした。
私と同類の、見ただけで身の毛がよだつほどカマドウマが嫌いな稲見は、プクプクと浮かぶ死したそれらをすくうことすら出来ず、その日はシャワーで済ませたという。

おそらく、いや確実に私もそうしたろう。
菖蒲湯、ゆず湯に檜の湯、しかしカマドウマ湯だけはごめんだ。そんな湯は、地獄に堕ちたときの責め苦まで待ってほしい。現世でそこまでの罰は受けたくない。
するとだ、今ひとつカマドウマの恐ろしさを理解できないのか、鈴木まひるがポッカーンとした表情で無邪気にこう言うのだ。「え。なんで」
思わず稲見は激昂してしまった。
「だってダシが出てるでしょーが! カマドウマの!」

そんなカマドウマがだ、にわかに来ているのだ。
我が家の台所にではない。2005年、カマドウマブームの到来だ。
台所もしくはトイレに出てくるはずのカマドウマが、しばらく姿を見せないと思っていたら、ブームとしてやってくるのだ。ヤア! ヤア! ヤア! だ。

ここ数日、周囲のカマドウマ熱は少し常軌を逸しているほどに、熱病のようにそのおぞましさについて誰もが語り出す。
つまり今年、カマドウマの恐ろしさを再認識するブームが到来しているのだ。

先週の編集室に至っては、私と庄司プロデューサーと代理店の小林氏が、2日間、合計6時間以上にも及びカマドウマを熱く語り、ネットで検索しては強烈な画像に「ギィヨルグゥー」などと文字にできない悲鳴をあげその恐怖におののき、それでも恐いもの見たさにまた検索を繰り返す。
談義は飽くことを知らず、仕事の編集が終わると「ええっ、もう終わりぃ? 話し足りない〜」なんてつき合いはじめの恋人みたいな声があがり、「じゃあ今度はカマドウマで一杯」などという話にまで発展する始末。
この部分だけ読むと、私は編集室でなにをやってるんだという弾劾を受けかねないが、申し開きを省略してまでも語りたいのがカマドウマ。んー、ブーム。

その編集室の熱き6時間で、興味深い意見が庄司プロデューサーから提示された。
「怪人にさ、カマドウマっていないよね」

なるほど確かに。
例えば「仮面ライダー」にだけ焦点を当ててみても、平成に再開される以前創出された怪人の数はおおよそ500体にものぼるが、なぜかカマドウマの怪人はただの一体も存在しない。これは一体どうしたことか。

まったく知らない人のために簡単に説明すると、仮面ライダーはバッタと人間を掛け合わせた改造人間だ。そして敵対する怪人たちも、人×昆虫だったり、動物だったり、植物だったりする。
人類と敵対する、忌み嫌われるべき対象の怪人にカマドウマのおぞましさは最高のモチーフのはずだし、あってしかるべきなのではないか。つまりそう疑問符をはさんで当然といえるのだ。
クモ、毒蛾、ハエ、なめくじ、ミミズ、ムカデ、ゴキブリ、シラミ・・・おおよそ考えつく「気味の悪い昆虫類」は百出なのに、なぜカマドウマはいないのか。

思うに、それは何度も検討されているはずだ。それどころか一度は気ぐるみ造形にまでされているのかもしれない。

その日は、プロデューサーを筆頭に、監督、ライター、怪人の中に入る役者などスタッフ総出で、完成した気ぐるみのチェック日だった。世田谷のとある一角に位置する美術工場でである。
プロデューサーが言う。
「ゲンさん、(この道30年のベテラン造形師)どうだい、出来たかい。カマドウマ怪人カマドーマは」
「ああ、会心の出来だね。まあ早速見てみるかい」

除幕式のように、スルスルと落とされる黒布。そこに現れる怪人カマドーマに、スタッフ総勢10人の大人が一斉に工場から逃げ出す。「わーっ!!」
そしてカマドーマの気ぐるみを遠巻きにして、口々に言うのだ。
「リアルすぎるよ!」
「気持ちわりーっ!!」
「中、入りたくねー!」
「なしっ。それなしで!」

怪人カマドーマはお蔵入りになった。爾来、仮面ライダー怪人検討会議でカマドウマに触れることは御法度になった。だから出てこないのだ、カマドウマの怪人は。

と、勝手に想定してみたが、あり得るのではないかと思っている。誰か仮面ライダーの制作現場に詳しい人に、これは是非聞いてみたいものだ。

と、今こうしてコラムなど書いている最中にも、日本中の至る所で温々とカマドウマは生息しているわけだ。
床下に群れをなし、長い長い触覚をうねらせ、人に出会えば、まるで大好きな人と十年ぶりに再会でもしたように「会いたかったのー」とばかりに跳んでくるに違いない、そうして長い長い後肢に力を込めている。なんておぞましいやつなんだ。むしむしパニックだ。
なんとかしなけれはならない。害虫ではないからなどと、放置してはいけない。恐怖はヒタヒタと、あるいはピョンピョンと、少しづつ確実に近づいてきているのだから。

仮面ライダースナック付属のライダーカード。怪人のカードその裏面にはそいつの弱点が記されていた。「人くいサラセニアン 弱点 さむさに弱い 10どいかになるとしぬ」と。
もし私がこのライダーカードに記載された際には、こう記されるのだろう。
「アイダケン 弱点 カマドウマに遭遇しただけでしぬ」と。

いよいよ人類がカマドウマをどうすべきかという立論へ真剣に取り組まなければならない時期が訪れた元年、それが今年2005年なのだ、きっと。

# by wtaiken | 2005-01-27 04:46 | Comments(5)

「なるほど」   

壊れたか、あるいは電池が切れたかで動かなくなった時計。それを例えばタンスの引き出しから久しぶりに手にしたとする。するとその動かなくなった時計は、取り出したことによる振動もしく手から伝導する体温によって暖められ、ごく希に動き出すのだそうだ。機械にはままあることだ。
ところがその行為を一斉に何百万人、何千万人がほぼ同時にするとき、それが希な事例であっても動き出す時計の数はバカにならない。つまりかつてテレビの生放送で「今動いた!」とたくさんの電話が鳴って騒然となったユリゲラーの「あなたの家の止まった時計を動かす超能力」はそのごく希な何%かの事例の積み重ねでしかなく、それらはすべて計算されたユリゲラーのトリックであったと、とあるプロデューサーから話を聞き、私はトリックの種よりむしろ数値の信憑性に賭けるユリゲラーの度胸に対しすっかり感心してしまい、自分でもビックリするほどことさら強く「すっげーっ」と感嘆の声を発してしまったものだ。
するとだ、横合いからとんでもなく意外な発言が私をさらに驚かした。
「その話、前にもプロデューサーがしたとき会田さんいましたよね。で、前もめちゃめちゃビックリしてましたよ」

ワールドツアー第一回公演の主役をはる佐藤真衣子は「日舞」を習っているのだそうだ。日頃自分の発言ならびに自分の演技における「受けたか、受けなかったか」に異常な執着を見せる彼女からは、とても想像できない優美な習い事だ。そうでなくても習い事をしている人に弱い私だ。人になにかを習うということを一切してこなかった私は、ただそれだけで人間としての畏敬を感じてしまう。だからその話を本人から聞き私は素直に「すっげー」と感服したし、思い切り「まじで!」と驚いたりもした。すると佐藤真衣子はひどく呆れ顔で言うのだ。
「もー、今まで何回もこの話しましたよ」

常々「人の話をろくに聞いちゃいない会田」は仲間うちではとみに有名で、「これ以前に一度話しましたよね」くらいはまだ序の口で、「何度言ったらわかるんだ」と相手から叱責を受けることが頻々と起こる。
その都度満面の笑みをもってなんとか難を逃れるか、「もっともっと繰り返し繰り返し話したらどうだ」と無謀な叱責で切り返したりするのだが、どうも私は人の話が記憶するに値するか否かをその場で瞬時に取捨選択してしまっているようだ。
そして私の頭がすぐさま「捨」を選ぶと、私は無意識に「なるほど」及び「あ、なるほどね」という相づちを連発しているらしい。
そう指摘されてみれば確かにそうで、私が「なるほど」及び「あ、なるほどね」を使っているときほど「なるほど」などと思っていることは、まずない。話にまったく興味が失せてしまうと私は「なるほど」と相づちするから、時に会話は破綻を来してしまうのだ。

「今日寒いからさー、手袋してきちゃった」
「なるほど」

話題を切り出す相手を、これほどまでに凍りつかせる相づちの使いようがかつてあったろうか。このスッパリした話の断ち切りざまはある意味清々しくもあるが、明らかにこれは「なるほど」の誤用である。

それでも私は「なるほど」と言ってしまう。バッサリ人の話題を切り捨てる、名刀「なるほど」といったところだ。
だから覚悟していただきたい。さりげない会話に「なるほど」及び「あ、なるほどね」を私が忍ばせていたなら、その話はすでに右から左へと忘却されているんだと。
そして私が「なるほど」及び「あ、なるほどね」を多用しだした際には、会田が会話に飽きはじめている黄色信号なのだとご注意いただきたい。
まことに勝手な注文なのだが、どうか別の話題に切り替えることで「人の話をろくに聞いちゃいない会田」排除にご協力願いたい。返す返すも身勝手なお願いなのではあるが。
それは、こんな相づちを打っていながらも人間関係をもバッサリ切り捨ててしまうほど孤高を愛する男ではないからだ。出来れば話し相手に好意を持たれる「聞き上手な会田」に今後は是非なっていきたいと思っているからだ。黒柳徹子はごめんなのだ。

そんな名刀「なるほど」及び「あ、なるほどね」を私は意図的に活用している局面がある。
仕事帰りの深夜タクシーでの車中だ。
仕事に草臥れた私は、おしゃべりな運転手の話をいちいち聞いていられるものかと、そりゃもう「なるほど」連射のスクランブル体制でタクシーに乗り込む。
こうして名刀「なるほど」及び「あ、なるほどね」を携えた「人の話をろくに聞いちゃいない会田」と、もちろんそんな合いの手だとはつゆ知らずの、たとえ知っていようとも「客の受け答えなど知ったこっちゃない話したがり運転手」との壮絶なバトルは幕を開ける。

「いやあ、あのね、お客さん。あの9.11の時にね、外人乗せましてね」
「なるほど」
「そりゃもう大変でしたよ」
「なるほどね」
「私、ホラ、ちょこっと英語しゃべれるじゃないですか」
「(知るかよ)なるほど」
「やっぱり新聞とかさ、少ししか日本語理解できない外人には、わかんないわけ」
「なるほど」
「だから、向こうがどんな状況になってるか、すっごく気になってるわけだ」
「あ、なるほどね」
「だから説明しましたよ、私。片言の英語でね」
「その信号の手前で」

あなたの話にまったく興味がありません、静かにしてくださいと言わんばかりに私の心ない「なるほど」すら通用しない、その屈強な話したがり精神はどこからくるのだ運転手よ。まったくタクシー止めるタイミングを逸しそうだったじゃないか。完敗です。

それにしても知る、臨戦状態の「人の話をろくに聞いちゃいない会田」は特に意に介されず、うっかり顔を覗かせてしまう場合に限って手もなく見破られ叱責を被ってしまう、このなんともままならない会話術の難しさ。

聞き上手な人の会話をよくよく聞いていると、その相づちのバリエーションが豊富であるというありきたりなことに気づかされる。
「ほほう」「ははあ」「へーえ」「そうなんだ」「まあね」「そりゃそうだ」「ホントに?」「まじで」、たまに「ひょへー」などと奇声なんぞもはさみつつ、実に巧みに相づつ。そしてひとたび口にした相づちは二度と使わない勢いで、次から次へとバリエーションをもって答えている。
なるほどね。
私はこれから努めて「なるほど」及び「あ、なるほどね」の頻度を下げ、10回に1度程度に抑えていこうなどと結論づけようとして、ハタとした。
そんなことではないのだ。根幹に横たわる問題は「人の話をろくに聞いちゃいない」という私のダメな人間性にある。
そして思ったのだ。こうして真剣に相づちについて考えざるを得ない局面を迎えている私は、まったく人としてどうかしているのではないかと。
こりゃひとつ「上手な人との話し方教室」にでも通おうか。おおっ習い事!!

# by wtaiken | 2005-01-22 04:57 | Comments(6)

小休止。   

ワールドツアーのHPも一昨日の鈴木さんに続き、佐藤さんのブログも掲載されることになり、すっかり賑わいでまいりました。これで私のコラムも心おきなくさぼることができるというものです。

これまで私の拙文を飽くことなく読み続けてくれた皆様、本当にありがとうございました。
これからはさぼるつもりなので、いつ更新されるのかわかったものじゃありません。

「ジェラシーを感じる」とまで評してくれた青森の工藤さん、ありがとうございました。いつか津軽リンゴ、また一緒に食べましょうね。
「読みづらいけど、うまい」といってくれた制作の三浦さん、これからも制作頑張ってください。そのうちまた卓球やりましょうね。
「日記、面白かったよ」とメールくれた前劇団の座長合澤くん、君の評価がはげみになりました。ストレートパーマの具合は如何ですか?
感想訊いたら、ただ「長いっすねー」とだけ言ってくれた稲見くん、お世辞でもいいから誉めて欲しかったな、座長。
姉ちゃんも書き込みありがとう。忘れてたみたいだけど「騒音」と言ったあの一言、私は一生忘れません。
「さめって、ホント由来わかんねーよなぁ」と一報くれた山田さん、来週19日に会う約束でしたが、編集の仕事が入りそうです、また今度にしてください。

と、なんだか書いてたら最終回の挨拶みたいなことになってしまい、今にも泣きそうです。
別に終わらせるつもりじゃないので、ここまでの御礼はこれくらいにして、今日は文調にも明らかな通り、いつもと様相が違います。珍しく気楽に日記でも書き連ねてみようかと、つまりそう思っている訳なのです。箸休めだ。

1月13日(木)晴れ

舞台美術のデザインを詰めに、上條安里さんを訪ね、東宝スタジオへ行って来ました。東宝へ行くのは、実に何年ぶりになるんだろうか。

いやあ、いいっすね、やっぱ撮影所の独特な雰囲気は。なんだか現実世界とは、空間が別って感じ。
上條さんのいる9スタまでプラプラ歩いていると、駐車中の車内にボンヤリ休憩している高嶋政伸発見。
かつてローソンのCMで仕事したことあったんだけど、もう憶えちゃいないだろうとやり過ごし。
スタジオ内の一番奥まったところにある9スタの向かいには、強者どもが夢のあとのゴジラプールが跡形もなくつぶされて、新しいスタジオ建設中でした。

さて、上條さんは撮影中の映画「三丁目の夕日」の美術を担当しています。今やCM業界のみならず、映像全般の美術の大御所なんです、彼は。
今日は撮休日だそうで、人の出入りも少なく閑散とした9スタの中、すぐに上條さんはいました。
ちょうど上條美術監督の指示のもと、数人のスタッフが昭和33年を再現した町並みを雪景色にしてたとこだったんですが、そのセット、とにかく凄かった。
三浦も来てたらその写真UP出来たのに残念だけど、なにせ私が「んー、数億円?」と踏んだセット、まあその凄さは映画でみなさん確認してみてください。
空はCGで、さらに町並みの遠くにつくりかけの東京タワーなんぞも合成されるそうで、ちょっとその凝りようには感服しました。期待してます、上條さん。

数軒の商店につづき、住宅がこれまた数軒ひしめいている、その一軒にお邪魔し、セットの座敷に上がり打ち合わせ開始。
その打ち合わせした家は、薬師丸ひろ子の家なんだそうです。映画観に行ったら、お、ここで打ち合わせしたぞって、ひっそり喜ぼうと思います。
古いタイプのテレビなんかも、キレイに再現されてました。力道山が映るそうです。
そんなところでおおよそ30分くらいの打ち合わせ。
忙しい中、あれこれ注文をつける私に「あ、いいすよ」と応じてくれる上條さん、ホントにありがとう。
帰り際に、その薬師丸ひろ子の家の二階も案内してもらいました。セットというより、もう本当の家です。住めます。生活できます、ありゃあ。
で、このセット、あと1日の雪景色の撮影のあと即撤収だそうで、もったいないなあ、それは。
二回目のデザイン画UPの日取りは連絡します、ということで、東宝スタジオをあとにしました。

もともと上條さんとは、15年くらい前に、私がまだCMプロダクションのPM(プロダクション・マネージャー)だった頃からのおつき合い。
「制作さんは大変だよね、現場でタバコも吸えなくって」ってダメな制作の私に優しく声かけてくれたことにグッときて「いい人だ、この人は!」と、調子に乗って図々しくも前劇団百萬弗劇場の舞台美術をお願いしてたその縁を、10年間なんの音沙汰もしないくせにたぐり寄せ、今度のワールドツアーでも「忙しくて、今度はダメ」ってところを本当に無理矢理引きづり込んでしまったわけなのです。

だから会うのももちろん10年ぶり。相変わらず上條さんはカッコ良かった。制作の三浦は「あんり」なもんだから、女性と勘違いしてたようだけど、いい男なんですよ。
変わらないですね、15年前と。

ちなみに上條さんの所属するサンクアールという会社は、CM美術のトップ集団。
しかもこの会社を設立した人が、実は、私たちの年代にはオオーとくるYMO「増殖」ジャケットの、あの3人の人形を創った人なんです!!
以前お邪魔した際に、あちこち配ってしまって最後に残ったその3体を見せてもらった時は感激しましたね。
今でもあるんだろうその3体、今度お邪魔した時にまた見せてください。写真撮ってもいいすか、上條さん。もうすっかりミーハーです、私。

そのあと、仕事の打ち合わせ、引き続き稽古と、今日もハードな一日ではありました。

# by wtaiken | 2005-01-14 05:51 | Comments(0)

キング・オブ・判断   

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人は、なにかにつけ逐一判断をしなければならない。
人はただただ判断することのみでその一生を終えてしまうといっても過言でないほど、誰もがみな判断しつづけては生きている。

朝、目覚ましのベルが鳴る。そのまま予定通りに躊躇なくスッパリ起きることがまず判断であり、また支度を切り詰めることでなんとかあと10分寝ていられると瞬時に計算することも判断だ。
こうして判断しなければならない一日ははじまる。

日々の服の選択にも判断は否応なく求められるし、仕事に就けば、判断はいたるところ嵐のように散在する。その判断の善し悪しが、仕事の成否を大きく左右する。
さらに判断は続く。
何時に仕事を切り上げるか、飲んで帰るのか一直線に帰るのか、座れないバスに慌てて乗るのか見送って次のバスでゆっくり座って帰るのか、もうとにかく枚挙にいとまがないほどに、そりゃもう次から次へと判断、判断、判断だ。
そして判断は、そんな日々の細々とした積み重ねだけではない。
人生の岐路における最大の判断は、大富豪か貧乏農場かの選択を迫るのだ。まさに判断によって決まる人生のゲーム。しかしあの人生ゲーム、最後に子供を売ってお金に替えるってのは、いかがなものか。

いや、話は人生ゲームについてではない。
そんな誰もが生きなければならない判断人生の中において、どうも「監督」と呼ばれるものこそがキング・オブ・判断なのではなかろうかと、仕事場で監督と呼ばれる私は思うのだ。

ひとたび監督なるものが現場に入ると、そこは判断待ちの衆が手ぐすねを引いて待っている。
例えば工事現場の監督の判断たるや、それはもうすさまじいものだろう。
「監督! あそこに使う杭はこっちですかい? それともこれですかい?」
「いや、あそこの杭は、これだ!」
「監督! あの穴は何センチ掘りますかい?」
「いや、5mはいっとけ!」
と、いかんせんまったく縁のない現場を引き合いに出したものだから喩えがつたなくなってしまったが、いづれにしても判断にためらいなどあろうものなら、現場は途端に停滞してしまう。交通整理のように、監督は事の真偽、善悪、美醜のすべてをテキパキと判断をしなければならない役割を一身に担っている。

私が監督しているのは主に映像に関してであり、それが撮影だったり編集室だったりするわけだが、現場は容赦なく私に様々な判断を迫る。
「監督! 昼飯はなにがいいすか!」
なにせ判断することが私の仕事だ、昼飯ひとつとっても監督たる私に優柔不断な態度は許されない。
「ホイコーロー定食でいく」
そして息つく暇を与えず、現場はさらにこう続く。
「監督! 買い出しに行って来ます! なにか欲しいもんないすか!」
すかさず監督たる私は、待ってましたとばかりに判断する。
「チョコパイな。そしてフルーティーな飴。ゴマの入ったせんべいも欲しいところだ」
もう、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの判断連続技だ。

なにもこうしてただただ現場の食べ物に関してばかり判断しているわけではない。
映像に映るすべてのことを微に入り細をうがっては、いいのか、ダメなのか、の判断をしなければならない。どちらかというとこっちがメインだ。当たり前だ。
その瞬く間に繰り出す判断の正確さこそが、監督としての性能の判断基準ともなってしまうのだ。

「あの監督、実際のところどうなんだい」
「んー、判断がな・・・」
「判断がダメかい」
「ああ、ダメダメ。あの判断はひどいもんだ」
「そりゃあ、いただけないなぁ」
「まったくいただけないよ、ありゃあ」
判断を誤った監督は、きっとこう評されてしまうのだ。

聞くところによると、撮影現場での監督の下した判断があまりにも見事だった場合に限り、クライアントから「よ! 名判断!」のかけ声とともに、スタッフ全員の拍手喝采および胴上げ、花束贈呈などが行われるらしいのだが、私はまだその好機に恵まれない。

そして今、私は監督とは呼ばれないものの、多くの判断を必要とされる新たな現場のただ中にいる。
言うまでもなく、この芝居の演出だ。
親鳥を待つひな鳥のように「早く判断してくれろ」と日々求め続けるスタッフ、キャストの群れ。私はよどみなく判断する。曖昧な態度など皆無に等しい。判断の切れ味たるや、その都度感嘆の声さえあがる。
「今、会田さんがスッパリ判断したぞ!」
「判断! 会田さんの判断が出た!」
「キング・オブ・判断!!(全員で)」

・・・しかしだ。そんな私の判断も、思わず鈍ってしまうことがあるのだ。
建て込み、そしてバラシの現場だ。
実のところ私は、芝居における建て込みやバラシにまったく使いものにならない男なのだ。(と、振り出しに戻る)

# by wtaiken | 2005-01-10 03:54 | ああ、監督人生  | Comments(2)

「さめ」と呼ばれる男   

鮫島でも鮫肌でもない、だのに「さめ」と呼ばれた男がいた。
名前に手掛かりがないのなら、では容姿はどうか。なにかサメに繋がる要因はあったか。例えば眼光鋭く、なにかにつけ牙を向くような危険な匂いたっぷりなやつだったのか。
体こそガッチリしていたものの、おおよそ「さめ」と呼ばれるべき一切の関連性を絶つほどに終始温厚なおとぼけキャラで、高校の3年間を通した男だ。怒ることを忘れてしまったかのような男だった。
だから一体どういった経緯で、高校時代の友人であった伊藤が「さめ」と呼ばれるに至ったのか、私はまったくわからなかったし、周囲の誰一人として満足に回答してくれるものはなかった。

あだ名は、しばしばなにかに似ているところから付けられる例は見られるものの、そのほとんどが名前の変転であると断言していいわけだが、時として想像を絶する発端から突発的に生まれる例外中の例外もあるに違いない。
本名から逸脱し、大きくかけ離れたあだ名には、果たしてどんな物語が潜んでいるのだろうか。

伊藤は、港町小田原に生まれた。
親父は、その港で名うてのシャークハンターだった。
こんな伝説が残っている。
親父がモリを手にして舳先に立ち、ただ一言「私が伊藤だが」と発するやいなや、漁船を襲うサメの大群は恐れをなして海原をさんさんごうごうと散っていったという。
サメにも名が轟くほどの凄腕、モリ一本で家族を養うカマボコ屋の雇われ漁師、それが伊藤の親父だったのだ。

オダワラの海王、いつしかそう崇められ、一歩海に繰り出せば恐いもの知らずの親父だったが、病魔は彼の体を少しづつむしばんでいた。
ある日、親父は当然大量の血を吐く。結核だった。
40日間40晩の絶対安静を言い渡す医者の診察を押しのけ、親父は決意とともに最後の航海へと臨む。

その日、怖いくらいに海は凪いでいた。
なにかを恐れるように魚も姿を見せない。すると突如静寂を破る激震が漁船を襲う。7mもあろうかという伝説の大サメ、通称フカキョンが漁船に体当たりを喰らわしてきたのだ。
「フカキョンだ!」「フカキョンが来た!」
「海王だっ、海王を呼べ!」
親父はモリを掴むと、ゆっくりと舳先へと向かう。
「見ろ、伝説と伝説が今対峙する、これは見物だ!」
「末代までの語り草。海王、ここはじっくり見物させてもらうぞ」
「おうともよっ。手出しは無用だ、黙って見ておるがいいぞ!」
親父にとっては最後の仕事、花道を飾るに相応しい大捕物になるはずだった。
「私が伊藤だが!」

しかし。
どう喝にひるむどころかフカキョンは、舳先の親父に一瞥をくれると、一層荒々しく船めがけ戦いを挑んできたのだ。
その瞬間、親父は悟る。自分にはもうハンターとしての殺気も威嚇も失せてしまったということを。
「そうか、つまりオレにはもう死期が近づいているってことなのか・・・」

激しく揺れる船、ざわつきはじめる漁師たち。
その騒ぎを余る片手で制し、親父は漁師たちにニッコリと微笑むと、やおらその身を大海原へと投じたのだ!
「か、海王!!」
沸き立つ潮しぶき。
親父は自らサメの餌食となり、その船の危機を救ったのだった。

ところがだ。海にかき消えてからの親父の評判はガタ落ちた。
「腕に自信をなくした海王があえて戦いを避け、ただ食われるためだけに海に飛び込んだのさ。ガッカリされられちまったなぁ、なにが海王だよ」
まったくひどい話だ。
しかし息子の伊藤だけは信じた。戦うために海に挑んだのだと。勝つために飛び込んだのだと。
船底に突き刺さり、残された一本のフカキョンの牙。その牙をお守りとして伊藤は胸に下げた。いつか自分も親父のような強くでっかい男になるようにと。

そんな事情を知らない誰もが、そのペンダントを見てこう訊くだろう。
「なにぶら下げてんだよ、伊藤」
すると伊藤は答える。
「牙さ。親父を食ったサメの牙だよ」
ざわつく教室。
「サメ! サメの牙だってよ、おいみんな!」
「サメだって」「サメよあれ」「サメかよ」「サメね、サメなのね」「サメだぜ」「サメさ」・・・。
そうしてみんなは伊藤を「さめ」と呼んだんだ。きっと。

伊藤が小田原生まれなのかもペンダントの存在の有無も知ったこっちゃないが、彼のことをふと思い出し、私はこうあだ名の経緯を推察した。
正月の紅白のかまぼこなんぞを頬張りながら。

仲は良かったが、高校卒業とともにまったく「さめ」とは連絡をとらなくなった。
今頃彼はどうしているのだろう。
でも物語の中での「さめ」は、その後親父のあとを継ぎ、立派な漁師になっている。
そして昨年の暮れに、無事牙の一本折れたフカキョンを仕留め、親の仇をとったということだ。
フカキョンの体には、激闘を物語る親父がつけたであろうモリの痕がいくつもいくつもあったと聞く。

# by wtaiken | 2005-01-04 02:37 | Comments(0)

金の「演じる」に私はなりたい   

舞台上に限らず、常日頃からいつ如何なる時も本来の自分を頑なに秘し、ことさらオーバーに、あるいはクールに、他なる自分を演じ続ける演劇的人生を歩むものにとって、素(す)の自分を見られることは最大の屈辱とされる。

ごく一部の話では決してなく、翻って考えてみるに、演劇的人生は少なからず誰にでも当てはまる生き様だと思うのだが(仕事モード、恋愛モードと、人格が変わる人は多いはずだ)、それが度を越していくとTPOによって変幻自在に人格を使い分け、やがて当の本人ですら素の自分を見失う時、そこから違う意味での「自分探しの旅」がはじまるのだが、ここではその波瀾万丈な自分探しの物語にはあえて言及せず、前述の演劇的人生における致命的打撃「素を他人に見られてしまう」について話を進めていきたい。

例えば、どんな場面でもヴェールを脱ぐことなく、他人から見られる自分を意識し続け、微塵も素を見せる隙間のない人のことを演劇業界では“金の「演じる」”と言い、これは田村正和やGacktあたりがいい例だ。
私なども全般的に、仕事柄もあって(映像のディレクター)、ついついしっかりものの自分を演じてしまいがちであるが、ふと気持ちの緩んだ隙に、例えば頼んだはずの「ナスミート・スパゲッティ」にナスが入っていない程度のアクシデントにドギマギしてしまい、店員に文句を申し立てている様をして「見た! 会田さんの素を見た!」などと、まるで鬼の首でもとったように劇団員の工藤から指摘を受けてしまう恥ずべき失策の度々あるものは、ランクが落ちて“銀の「演じる」”と言われる。
これは5枚集めると“金の「演じる」”になるらしい。
どうもこの「5枚集める」というシステムがよくわからないのだが、それにしても「素を見た」と言われるのは、本当に恥ずかしいものだ。
それが一度ならずも私の場合、ちょくちょく食い物の、しかも頼んだものと出てきたものが違った、という特定すぎる場面に限って素を見られてしまっていることが、非常に恥ずかしい。
これではまだまだ“銀の「演じる」”を5枚集めることは茨の道だ。

今度の公演は、ザムザ阿佐ヶ谷というなかなか雰囲気のあるいい劇場で行われる。劇場担当の女性もいい人だったし、なにより契約金を一部納めれば、残りは公演終了まで小屋代金を待ってくれるというのが、この殺伐とした東京砂漠になんとまあ良心的なことか。
しかしひとつだけ、とっても心配なことがある。

それは客席の雛壇があまりにも急激で、つまり客席が尻上がりにググンと天井の高さにまで至る。見る人のほとんどが役者を見下ろし、演じる方からすると、まさに秀月のお雛様壇を前にして演じるようなもので、これでは正面のどこに目線を送ろうとも、そこにはズラリお客さんの顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔ということになるのだ。
それがどれほどの圧迫感を演じるものに強いるのか、それはやってみないことにはわからないが、とにかく目線の逃げ場のないほど顔また顔で埋め尽くされることは、まず間違いない。

もともと私は客席の誰とも目線を合わせないことを心がけている。見るときは、ぼんやり眺める。決して誰が誰とも認識をしない。
よく演じながらも客席を一通り見渡し、出番を終えて楽屋に戻ると「誰それさんが、今日は来ている」と、まるで見つけたもん勝ちくらいの顔つきで話し出すやつがいるが、それを私は出来ない。というか、あえてしない。
きっと私は演じている最中に知り合いの顔など識別した途端にハッとなり、演技を忘れ、素を見せてしまうだろうからだ。それが芝居をしている私には、なにより恐ろしい。
入り込んだ演技で正面を切ったその時、バッタリ知り合いと出くわしてしまう、バツの悪いこと、このうえない。
「あ。最後列のど真ん中に中学時代からの親友ホンマちゃんがいる。なんだ、そんなに気の毒な動物を見る目でオレを見るな。
お。その前にはおふくろが。なんでこんな場面で涙を流すおふくろよ。しょうがねーなぁー、涙もろくなっちまってさ」って、どうだろうか、こうして私はきっとセリフの2つや3つを飛ばしてしまうのだ。まったく芝居どころの騒ぎではなくなってしまう。
だからといって、
「役者の迷惑とならないよう、正面を切った演技の際には、是非目線を逸らすことをくれぐれもお願いいたします」
なんてお客さんにアナウンスするのも、芝居を観に来ているのに「見るな」とは何事だとクレームの対象になりかねない。

まだまだ私の役者修行が足りないということなのだろうか。
金の「演じる」ものは、きっと客席のひとりひとりをなめ回すように見たとしても、そこには一切の素を悟られないだろう。ああ、金の「演じる」になりたいものだ。
年が明ければ、たかだか二月後に迫る公演までに、果たして私は銀の「演じる」を5枚揃えることができるだろうか。無理だろう。繰り返すが、その5枚集めるという意味が皆目わからないのだから。

当日もし知り合いが、私と目線が合い、そこに私の素を垣間見たとしても、珍獣を見つけたように喜々としてあとで私に報告しないで欲しい。言われた私は、きっと火の噴くように、真っ赤に頬を染め上げるだろう。それがまた面白そうだなんつって、私をどうかいじめないでくれ、頼むから。
もし見たなら、「会田の素」は心にこっそりしまっておいて欲しい、そうそれは、キミとボクだけの秘密なんだ、約束だよ。

なんだこの締めくくり。

# by wtaiken | 2004-12-28 19:48 | Comments(2)

モノ書きからのある挑戦状   

その時、なぜにウチダが音楽室のピアノで「トルコ行進曲」を弾きはじめたのかまったく記憶にないのだが、ただ得意気なうすら笑いと、よどみなく進行するメロディーは強烈に印象に残った。中学一年生の時の話だ。
本来テニス部に所属するウチダの、そのあまりにも唐突な隠し芸の披瀝に皆あっけにとれらた。
しかもさらに驚きだったのは、それを境に比較的クラスでも地味な存在だったはずのウチダが、ダークホース的にモテはじめたということだ。
これを我々仲間内では「トルコ効果」と呼んだが、事あるごと乞われるままウチダは「トルコ行進曲」を弾きつづけた。
誰か転校するものあらば別れに「トルコ行進曲」、運動会のクラス団体リレーに優勝しては祝いに「トルコ行進曲」、冬休み前最後のホームルームの締めくくりに「一応いっときますか」なんつって「トルコ行進曲」だ。たった一年の間であれほど「トルコ行進曲」を聴かされる人生もそうはあるまい。
私を含めた多くのうんざり顔な男子に比し、女子たちは弾きはじめるや否や、まるでハーメルンの笛吹に群れるネズミのようにゾロゾロと、羨望の眼差しでピアノを囲んだ。そして毎度毎度の拍手喝采だ。まったく一芸の士、恐るべし。

実は私も一芸の士で、私はクラスどころか学年でダントツに絵がうまかった。
美術の時間ともなると、それはもうトップスター扱いだ。しかしだ、私の周りはなぜか見渡す限り「うめー」「すげー」とばかり単語を連発する男子の群れだったのだ。これはもうつくづくと、乞われるままに友人の似顔絵なんぞ描いている場合ではないと思った。どうやら女子が好んで囲みたがるのは、緻密なデッサン力になどでは決してなく、繊細に奏でるメロディーにらしかった。

ギターを弾いてみることにしたのだ。
例えば人は、歩きはじめるまでにいくつも段階を経る。揺籃期からハイハイへ、よちよち歩きでこけつまろびつ経験を積んで、ようやく二足歩行へと至る。
何事もそうなのだ。わずか3歳にしてあっという間にピアノを習得したモーツアルトでは私はないのだ。だから弾きはじめのギターが下手くそなのは至極当たり前のことだろう。いや、そんな多くの凡人に限らず、チャーだって、高中正義だって、村治香織だって、きっと弾きはじめは誰しもがつたなかったはずだ。

隣りの部屋の姉から猛烈なクレームがついたのは、ギターを手にしてまだ日も浅かったと記憶している。鬼の形相で姉は冷たく言い放ってきたものだ。
「いい加減にしてよ! 騒音! 耳障り! バタン!(ドアが激しく閉まる)」

あの時私の中に少しでも、ロックな反骨精神があったなら。
そんな姉の激昂をもはね除け、見返してやるぜぇぇぇくらいの契機となって、名ギタリストの人生もあったのかもしれない。あるいは姉の言葉にスプーン一杯ほどの優しさのかけらがあったなら。
しかし私はあっさりとギターを捨てた、あの日を限りに。

だから私は未だにまったく楽器がなにひとつ弾けない。もし今後バンドへの引き抜きがあろうとも、私にはメインボーカルでの参加しか受けつけられない。くどいようだが楽器が弾けないんだから。
それでも聴くことは大いに聴く。もう様々な音楽を、憧れをもって聴きまくる。そしてその音楽好きが高じて、引用しまくっていたりする。楽器も弾けないのに、一体なんの引用? と思われるだろう。

例えばだ。HPの劇団コンセプトの表題にある「ボクらが旅に出る理由」は、あまりにもピッタリだったので、まんま小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」からいただき、続く「世界はボクらを待っている」はザ・タイガースの映画タイトルそのままなのだ。そのコンセプト本文の最後を締めくくる「サリー、トッポ、ピー、タロー・・・云々」はなんのことやら訳のわからない人がほとんどだろうと思うが、これも映画でのジュリーのセリフで、サントラで聴くことが出来る。ちなみに呼びかけているのは他のメンバーのこと、サリーは岸辺一徳のことだ。
セリフにも結構いろいろと引用させてもらっている。以前書いた台本の中に「このろくでなし! でも憎みきれないのっ」というセリフがあって、これもジュリーの曲「憎みきれないろくでなし」をただ倒置しただけなのに、それがまるで自分の手柄のように気に入ってたりする。
こうして書いていると、私が単にジュリーのファンであるとひけらかしているようにも思えるがそうではなく、実は今度の芝居「ジョー・アンダーグラウンド」にも、これまでに増して多くの歌詞や曲名の引用が行われている、と言いたかったのだ。

代表例を挙げるなら、
「海図も磁石もコンパスもない旅へと!」は、井上陽水「闇夜の国から」の歌詞からの引用だし、「また会おうね」とすべきセリフをあえて「また会おね」とわざわざ“う”を抜いたのは、矢野顕子の曲名にしたかったからだ。
実際どれほど引っ張ってきたか正式に自分でも数えてはいないが、他にも思いつくところでも、ザ・テンプターズ、山口百恵、P−モデルなんかの引用があったりする。

どんなシーンでどんな歌詞や曲名が飛び出すやら、乞うご期待! とくどいまでの宣伝を交えつつ、もし全曲引用を見つける事が出来たなら私は惜しみない喝采と、なんなら年明けにお年玉をあげることも辞さないぞ、と、今日は特に劇団員諸氏に向かいメッセージしたい。でも例えば前文における“喝采”をして、ちあきなおみの「喝采」だなんて単語は引用ではないので、一応。
今日辺りがめでたくHPの公開のようだから、記念に本気で賞金ありと約束しよう。
だから諸氏も台本を正月休みに読み返しながら、本気で探してみてはどうか。

ま、絶対に無理だろうけどね。カッカッカ。

# by wtaiken | 2004-12-27 04:43 | Comments(3)

ジョー・アンダーグラウンドはなにものか。   

私の遅筆ぶりを痛いくらいに身にしみて知るかつての劇団(百萬弗劇場)の朋友たちが、公開前ではあるが、例えば1回目の日記を読んだとしよう。きっと誰もがこう思ったことだろう。
「続かないね。続かないさ。あれほど筆の遅かった男がだよ、日記とは笑わせるじゃないか。いいとこ次の更新は1月中旬。いいや、もしかして、これで終わったりなんかしてさ。ウププ」
なにがウププだ。甘いぞみんな。見ろ、見てみろ、21世紀に生まれ変わったこの私を。どうだいどうなんだい、1日と空けず書き込んで、すっかり日記らしくなってきているじゃないか。そりゃまぁまだ2日目だけどもさ。

さて、年内の稽古もすでに終了している今、その間ここに記しておくべき急務としてまず筆頭にあげられるのが、やはりタイトルについてだろう。
「ジョー・アンダーグラウンド???」

このHPの役者紹介会田犬の欄に、きっと紹介されているはずなので(まだUP前に書いています)参照いただきたいが、私はタイトルにその都度並々ならぬ力を傾注してきたつもりだ。常々タイトルには、アイキャッチとなるようなインパクトが必要なのだと思っている。
しかもこれまではそのすべての作品において、タイトルが先行し、そのタイトルから物語を創っていったというのだから、自分の事ながら驚きだ。
音楽での詞先(詞がまずあり、それに曲をつける)、曲先(その逆)は耳にするが、芝居でのタイトル先という言葉はあまり聞かない。そりゃそうだろう、そこにはあまりにも危険な匂いがいっぱいだからだ。
自分が突然に「イルクーツクに降り注ぐ雨」というタイトルがいいと思ってしまうXディ、一体その時私はどんな本を書けばいいというのか。
そういう意味では、よくぞこれまで「連続懸垂魔」だとか「大怪獣菫ちゃん」だとか「駅前オスカル」などからそれなりのストーリーを紡いできたものだと、呆れつつも自分を誉めたい。ただ大変は大変だった。やっぱり。

そのタイトル先に懲りたからというわけでもなく、今回はまず書きたいものがある、というごく真っ当な始まりから本は進んでいった。
それはワールドツアーという名のもとに、その旗揚げ公演で世界を終わらせてしまう物語を書くという諧謔の発想だ。
「終わりかけた世界へと旅立ってゆくボクら」そんな発想にグッときて、つけた仮題がサンドラールの小説そのままの「世界の果てまで連れてって」だった。

今年の5月末日、苦渋にあえぎながらもどうにか本を一旦終結させ、いよいよ具体的な公演に向けての制作を始動していくにあたり、やはり正式なタイトルが必要となった。
話の中核に「不思議の国のアリス」をすえた時から、タイトルに「アンダーグラウンド」を使いたいとは思っていた。ただ「アンダーグラウンド」だけでは、どうにも自分の芝居らしさを感じない。“ヴェルヴェット”のような、そこにはなにか、そうだ、ミシンと洋傘の手術台のうえの不意の出逢いのように美しい組み合わせはないものか。

そこでブレインの松原亨に相談した。(早くも常連!)
なにかないだろうか、アンダーグラウンドと面白い取り合わせの言葉って・・・。思案しながら六本木の芋洗坂を徘徊しているその時だ。ふと目に止まったバーの看板に「上・JOE」とあった。なんだか人の名前のような並びにピンとくるものがあり、とりあえず小声でつぶやいてみた。
「ジョー・アンダーグラウンドってのはどうよ」と。
すると松原はすかさず食いついてきたのだ。
「ジョー・アンダーグラウンドって! 上なんすか、下なんすか、どっちなんすか!」

これだよ、いけるんじゃないか。上(ジョー)と言い、すぐさまアンダーと続く。
もうこれだこれしかないこれに決定だと、あの夜はすっかり有頂天になって芋洗坂を浮かれて何度登り降りしたろうか。

しかし人のセンスは様々で、このバカバカしさ加減に他のスタッフはまったく無反応だった。挙げ句の果てに声を揃えてこう言うのだ。
「これ読み進んでいったら出てくるんですかね、ジョー・アンダーグラウンドさんは」
やはりな、そう来ましたか。で・ま・せ・ん! ジョーさんなんて! いつまでたってもね!
こんな調子では、おそらく公演当日のアンケートもジョーさんの話題で持ちきりとなることだろう。
「ジョーさんが最後まで出なくてガッカリ」
「ジョーさんがまるで書けていない台本に失望」
「終始謎のタイトルにほんろうされっぱなしで、結局本の内容、役者の演技どころではありませんでした」
・・・なんとかしなくては。ジョーは上ですじゃあ通用しねえぞ、こりゃ。

いっそのことこれも仮題にして、一から考え直さざるをえないのか。ギリギリの選択を迫られる中で、そのひとつの単語は、本当にポン! と閃いたのだった。
「JAW」。「JOE」でなく「JAW」にしたらどうか。カタカナで表記すれば、謎の人物名にもとれてしまうところはそのままに、これでどうやらタイトルにしっかとした意味がついてくれた。つまり「地下の顎」。
それに合わせてセリフも付け足し、ようやく正式タイトルとして迷いなく決心したのが、実はついこないだの11月のことだったのだ。
チラシやHPでもなかなか見受けないけれど、やっと決めた横文字表記タイトルは、つまりこうだ。
「JAW UNDERGROUND」

さあ、これで理解してもらえたと思う。どう内容に繋がっていくかは、もちろん公演当日をお楽しみにという宣伝もしっかり交えつつ、だからこれから私に対して以下の質問は受けつけないこととする。
「ジョー・アンダーグラウンドってなにものなんすか」
もし言おうものなら言葉尻を待たず私はきっとビンタを繰り出す。そしてこう言い放ってやるのだ。
「読め、オレの日記を!」

# by wtaiken | 2004-12-25 06:26 | Comments(0)

頭にタオルを巻きます宣言   

実のところ私は、芝居における建て込みやバラシにまったく使いものにならない男なのだ。自分でもビックリするくらいその場でオロオロしている。
だから当日は、誰からもそしりを受けないよう、なるべく目立たないことを心がけている。普段はくどいほどの口数もこの時ばかりは激減し、それはもう本当に借りてきた猫みたいなことになってしまっている。
ここぞという他人のツッコミどころにもあえて素知らぬそぶりをし、注目を浴びる一切の行為を排し、あいつはあいつでなにかを地道にバラしているようだ程度のスタンスに見えるべく頑なにオーラを消す。
しかしどうやらこういった状況下での働きぶりにこそ真の「男らしさ」が垣間見えるらしく、芝居ではたった2行ほどのセリフしかなかった役者が突如、ここを先途と仕切りだしては男の株をグンと上げたりなんかする。こんな誰しもが派手に「男らしさ」を競いはじめる場面に、私の「力仕事を避けて、ずーっと暗幕ばかりを丁寧にたんでました」姿は、それが懸命に行われようともあまりにも地味すぎて、これでは私の男株は一気に下落しかねない。
だからといってバラシの花形、バールやなぐりの飛び交う中央舞台に無理矢理踊り出してみたところで、この私の使えなさっぷりはほどなく露呈してしまうだろう。これはゆゆしき問題だ。
だからでもある。私が頭にタオルを巻くのは。そうしてなんとか周囲の目をごまかしてきたのだ。

タオルに限らず、頭になにかを巻く行為は、たいがいその人自らの決意の現れと見られる。明日の試験に向けて一夜漬けにねじり鉢巻きにはじまり、運動会のクライマックス、リレーのアンカー選手のなびく長い鉢巻きも、デモ行進のものたちにも、飲み会でネクタイを頭に巻いているサラリーマンにすら、その人のその晩に向ける気合いのほどが伺いしれるというものだ。

大学の演劇部の頃から、私は頭にタオルを巻き続けてきた。汗っかきの性分もさることながら、当時から短くすることがまずなかった長い前髪が、激しい動きをこそ芝居の信条とする私には邪魔だったのだ。だからタオルをその前髪が落ちないようにと巻いたただそれだけのことなのに、周囲からは「見ろ、会田からみるみるやる気がみなぎってきたぞおい」ということになってしまったのだ。
まったくカタチ、記号というものは恐ろしいもので、それ以来、たとえば私がぼんやりタバコを吸っていようとも、役作りに没頭していると思われてしまう。
これがバラシにもうまく効力を発揮し、地味にこっそり暗幕をたたんでいたとしても、頭のタオルが「気合い十分! 力の限り暗幕をたたみ続ける会田さん」という風に見せてしまうようなのだ。おかげでなんとか男株をこれまで下げずに済んできた。

こうして誰からも見破られることなく長年の間、見事に修羅場をかいくぐってきた頭にタオルのからくりを、なんでまた、これから始まる新しい劇団の公開されてしまう日記に私は明かしてしまっているのか。
これではもう、いくらバラシで少々きつめにタオルを巻こうとももう他人の目は欺けない。
「キャタツのトップに君臨し、ああして荒々しく照明を下ろす猛者たちに対して、どうだい隅っこでのほほんと暗幕ばかりをたたんでいるなんて、いやはやまったく使いものにならない見下げた男だよ会田さん」ということになってしまうのに、一体なぜなのか。

それは今回ブレインとして参加している松原亨(“こう”と読む)の、この一言に由来する。
「言っときますけど会田さん、劇団にタオルを巻く人は、一人まで。大丈夫なんすか? 他のメンバー、誰も巻かないことになってるんでしょうね」

そうか、これはうっかりしていた。言われてみれば確かに劇団に、頭にタオルは一人いれば十分だ。というかただの一人にのみ、そのやる気の旗印が許される。工事現場じゃあるまいし、あっちにもこっちにも頭にタオルの集団は、なんだかとっても嫌な感じだ。なにかその集団には長渕剛的な傲慢な勢い、暑苦しさを感じてしまう。これは是が非にでも避けなければならない事態だ。

もちろん主宰である私が、ワールドツアーに対する気合いのほどは人後に落ちないわけだし、あえて頭にタオルで決意表明をするまでもないことなのだが、長年続けてきたスタイルでもあり、しかもファンサイトなどが存在すると聞く稲見あたりの頭にタオルがえらいカッコよく様になられた日にゃ、劇団解散も辞さないくらいに悔しい思いをすることだろう。だったらここは、松原の提言する劇団にひとつきりの座というものを、そのからくりを白日の下に晒してでも、なんとか死守したかったのだ。

そして今もこうして長文を打っている間でも、劇団員の一部には、いや待て、もしかすると女子をも含めた全員までもが、来年から本格的に開始される稽古を前に、まず真っ先にやるのは頭にタオルだ! と息巻いているかもしれないぞ、そう思ったらおちおちしていられなくなった。

だからまずこの日記の第一回目に、こうして堂々宣言することにしたわけだ。
いいか、言っとくぞ、私が巻く! 誰よりも早く! そして追従を許さない! 一劇団の、いや、こと私の主宰するワールドツアーでは、稽古はおろか建て込みにもバラシにも、頭にタオルはただの一人っきりなのだと。それがここに真っ先に宣言した、この私なんだと。

# by wtaiken | 2004-12-24 16:21 | Comments(1)