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伯父さんだ   

昨年末正常に作動しなくなったプリンターを販売店へ修理に出したきり、年が明けて「直った」との店側から再三の引き取り要請にもまるで時間がつくれず、2ヶ月強預けたままになっていたのを、先日ようやく少し余裕が生まれたので、いそいそ販売店のある秋葉原のその店へ行く道すがら、ふと見上げる空に、なんとタチヴィルが聳えていた。

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つくばエキスプレスの乗り入れに際し、駅前一帯が再開発をされ、かつては3ON3のバスケットゴールなどが設置されていた空き地に高層ビルが建設されていたのは知っていたし、出来上がってからも何度か目にしていたはずのそのビルなのだが、改めてこうしてまじまじと見上げてみると、世の中に数あるガラス張りインテリジェントビルの中にあって、この空の抜け具合といい、秋葉原のこの2つのビルこそまさにタチヴィルそのもので、ヒョッコリとそのあたりからユロ伯父さんが出てきそうな気もして、ちょっとうれしかった。

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これがユロ伯父さんと、そしてぼく。"ぼく"というのは、もちろん映画の中のぼく。
トレードマークのハーフコートにパイプ、雨降りに関係なく手にはいつでも傘をステッキ替わりに持っている伯父さん。そして短めのズボンからのぞいているのは、必ず縞模様の靴下というスタイル。
そういえば、しばらく影響受けて、いつも縞模様の靴下ばかり履いてた私。しかもパンツわざわざロールアップっす!

ちなみに知らない人のために、"ユロ伯父さん"とはジャック・タチ演じるキャラクターで、自作の生涯監督映画わずか5本のうち、4本がこのユロ氏シリーズ。これは映画にはないシーンだけど『ぼくの伯父さん』の宣伝用スチルか、な?



話は前後するが、そも"タチヴィル"とは、コメディアンでありフランスの映画監督であるジャック・タチが『プレイタイム』(1967)撮影時に巨額を投じ創りあげた一大オープンセットのことで、そこにはハイウェイあり、空港ロビーがあり、そしてガラス張りのビルがいくつも建ち並んでいる壮観でモダンな都市なのだ。
つまり自分の思うとおりに撮影せんがため、ひとつの都市をジャック・タチはこの『プレイタイム』のために建設してしまったわけで、だからこの映画はどこを切り取ってみても、実に計算された構図と色彩設計が見事な映画になっている。
そのタチヴィルのビルの一群に、秋葉原のそれは、真四角でシンプルなガラス張りのビルであるがゆえに、すこぶる似ていると感じてしまったのだった。

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もちろんこれもセットだから、色といい構図といい完璧。映画ではわずか数秒のシーン。
ブース内の女性の多くは、等身大に写真を引き伸ばされたパネルで、つまりこれは超過しすぎる予算縮小のための策。後ろの方の人はほとんどそうだったりする。








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これぞタチヴィル。ビルは遠近法の錯覚でホントに10何メートルもあるように見えるけど、実はそんなに高くない。





だからといって、ここで改めてジャック・タチの映画をススメるのも気が引けるが、まだ未見の人には是非観て欲しいし、ただコメディと範疇されるだろうタチの作品を、笑いたい一心で観ると、少し肩すかしを食らうかもしれない。
例えばこの『プレイタイム』でいうと、タチ演じるユロ氏が就職面接に来たオフィスで延々人事担当の人に会えない可笑しさを狙った軸と、アメリカ人女性観光客バーバラの視点で描かれる、行き交う人々のおかしなスケッチの数々という軸が基本にあるにはあるのだが、まずもって物語性が希薄なのだ。終始なにか起こりそうで起こらない"パリの一日の観察"といった内容だったする。
おおよそ導入からして一切説明的なセリフはなく、これが主役たるユロ氏に至ってはただモゴモゴと話すのみで、だからタチ映画の笑いの基本は言葉の面白さではなく、何気ない、人のありがちな所作の中に笑いを求めていたりするので、だからうっかり観ているとどこがコメディなのか見失う可能性を秘めていたりする。
ただジャック・タチの映画すべてに言えるのは音の使い方が特有で、音楽ではないいろんな音があちこちから聞こえ、まるで家具のごとくSEを自在に配置している面白さがあるのだ。『プレイタイム』の凹む椅子の音とか、サイコーよ。

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バーバラが開けたガラスの扉に、一瞬だけエッフェル塔が見える。振り向くバーバラ。
うー、美しすぎるシーンだ。
これがあってはじめて"へー、エッフェル塔の近くなんだ"と気づく。
ちなみに後ろにいるのはニセのユロ氏。"お、ユロ出てきた"と思うとニセもの、そんな仕掛けが随所に散りばめられている。

それにしてもガラス張りの撮影って大変なのよ、映り込みにまで気を配らなきゃいけないからさ。ちょっと動くとカメラクルーも映っちゃうし。撮影は大変だったろーなあー。
ちなみに、『プレイタイム』の撮影期間は丸2年!




タチが描きたかった笑いのすべてはこの『プレイタイム』に凝縮されているといって過言ではないし、タチファンはこれを最高傑作と推す人が多いが、であるがゆえに、初心者には導入編としてはオススメできない。
まずは、ギャグもわかりやすいし、物語もちゃんと展開してくれる、やはりここはアカデミー最優秀外国映画賞を受賞した名作『ぼくの伯父さん』(1958)をススメるのが順当だろうと思う。
そーいやー1日この更新が早ければ、昨晩ジャストなタイミングでこの『ぼくの伯父さん』は衛星でオンエアがされていたわけだが、これはユロ氏の登場する第2弾で、それにはまった人はユロ氏第1作の『ぼくの伯父さんの休暇』にいってもらって、それから『プレイタイム』をようやくここでオススメだ。

個人的にはユロ氏シリーズ最後の『トラフィック』が一番好きで、とにかくラストはファンにとってはたまらないシーンなのだ。別段ラストでとんでもないどんでん返しが用意されているわけでもないのでここで明かしてしまうけど、それまで開いたことのないユロ氏の傘がついに!さされて、それがしかも相合い傘で、交通渋滞で動かない自動車の合間をスイスイと消えていく、自動車は死んだように微動せず、人のみが進んでいけるというとってもシニカルだけど美しいシーンで余韻を残して終わってくれる。
とにかくジャック・タチのユロ氏シリーズ4本『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』『プレイタイム』『トラフィック(かつての邦題『ぼくの伯父さんの交通大戦争』と表記されているビデオもある)』は、どれもこれもオススメです。

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『トラフィック』のエンディング。渋滞する自動車の向こう側へユロ伯父さんは相合い傘で永遠に退場してしまう。もっと観たかったっす(涙)





さてジャック・タチといえば思い出すのは、もうかれこれ10年以上も前に、夜中電話で互いに観た映画について延々語り合う仲の、度々このブログに登場している某出版社の某オシャレ雑誌副編集長の松原に「ジャック・タチは面白い」と進言してみたところ、
「え、なんすか。"ジャックたち"って、どーゆー人たちなんすか。なんか面白い集団なんですか、マルクス・ブラザーズみたいな人たちなんすか。笑ってないで教えてください」とばかりに言わせておけば延々ちんぷんかんぷんなことを言いつづけてくれた男が、数年後には自分が辣腕を振るう某オシャレ雑誌で、さも昔っから知ってました然とジャック・タチ特集が組まれたことには笑った。
(松原、失礼。そーいやーインディーズに"ジャック達"というバンドがあるんだけど、まさかメンバー?)


c0018492_635337.jpgなんだかごくフツーの、というかとり散らかった映画紹介ブログになってしまったが、事実晴れた日に秋葉原のこのビルを見上げると『プレイタイム』気分を味わえること請け合い。膝上ハーフコートに、パンツロールアップさせて、雨でもないのに傘持って行こう!

それと久しぶりにジャック・タチ映画すべてに"犬がみ"5枚つけます。

by wtaiken | 2006-02-22 04:57 | 犬がみつき | Comments(2)

犬がみつき・其の四   

c0018492_222151100.jpgジャンルを越え、洋の東西を問わず、会田犬オススメの「こ、これぞ!」というお気に入りに、折紙ならぬ犬紙"付けてご紹介する『犬がみつき』っす。推す!



30も越えた頃だったろうかと思う。
ある日、仕事で、映像につける音楽の発注を音楽屋さんにしながらつくづくと思ったのだ、「私には音楽の言葉が足りない」と。

『ここは、あのー、ググッと来る感じで』
『次はなんかピーンと張りつめたようなさ、クリアで、透明感のあるやつ?』
『ここはバリバリリズム系でいきましょうよ』
『緩急が必要だからさー、この辺はホラ、アンビエントでさー』
『最後はそのぅグィーっと尻上がりで盛り上がる感じでひとつ』
なにがひとつなんだ。
ともかくも私はありったけの語彙を労してイメージを伝えようと努めるのだが、なんかこう今ひとつガッツリ発注した感が乏しい。
こんなんでは、とてもこれは頭のいい人の発注とはいえないだろう。別に頭がよくなくってもいいんだけど、擬音が多くなればなるほど、しどろもどろ感は否めない。
どうも監督ってのは、知らないこともさも知ってる風を装わなければならない厄介な職業だ。なにかにつけ精通してます顔で、音楽も詳しいっす顔で、苦心惨憺とにかく入れたい音楽のイメージは出来ている、のだが、ただ少しばかり専門用語の知識が足りないだけなんだという顔をして、擬音だらけの発注は脇に汗をにじませながら終わる。
相手の音楽屋さんは、優しいのか、脇に汗をにじませた私を哀れに思うのか「ああ、はいはい。わかります。だいたい」なんて言ってくる。
嘘こけー! なんだか漠とした煙を巻くような発注だと思っているんだろーが。擬音だらけのギオン会田なんてカゲでこっそりそー呼ぶつもりなんだろっどーせ。

ちょっと情けなくなったりもして、そんなことが仕事の度に思われて、音楽の度量が狭いとつくづく思わされる毎日だった。
そしてある日私は雷に打たれたように思い立ったのだ。『今日から私はもっと音楽を聴かなければならない!』と。

もっともっと様々な音楽を知らなければならない。なにもたくさんの音楽をただ聴くことが監督としてのスキルを上げるすべてとは思わない。けど、音楽を生業としている人たちと、最低限の共通言語が必要だと思った。浅くとも、広く音楽を知らなければならない。
邦盤のYMOやムーンライダーズやフリッパーズばかり聴いてちゃなんねーべよ。
もっとバリバリ貪欲に広く音楽を聴くべー。(横浜弁)
意外と仕事に熱心な一面を自分で感じながら、その日私は当時あった六本木のWAVEにいそいそ向かったのだった。

とはいえ、なんの手だてはない。音楽をもっともっと知りたい人はこれから聴くべし!なんてマニュアルもあるわけでもなし、流行りの音楽は聴きたくもなし。なんの思慮もない私は、ただ漠然とひとつのキーワードだけを頼りにしていたのだった。
どこで仕入れたのか「モンドだ。モンドでいこう!」。

モンド"というコーナーがあったかは定かではない。"ラウンジ"のコーナーだったかもしれない。
90年代初頭は、いわゆる"ジャズ、スキャット、口笛"などのアレンジがされた一昔のイタリア系サントラがもてはやされた時代だった。手に入りづらかったレアなサントラが再発されたりなんかして、つまり当時フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴが牽引した"渋谷系"ブームは、確かにこういった音楽を発掘するムーヴメントでもあったのだ。
そんな流行りのコーナーの一角に、私は見つけたのだ。モンドな音楽を探す今の私にビッタシの、こ、これぞ!なタイトルのCDを。それが『mondo morricone』だった。

c0018492_9361826.jpgc0018492_9365223.jpg←表と裏。
おしゃれ心をそそるジャケ写真です。









モリコーネといえば、古くはマカロニ・ウエスタンといえばこの人ってくらいの、『ニューシネマ・パラダイス』でとみに有名な音楽家である。
そーいやあー数年前、大河ドラマ『武蔵』の作曲などもしてたし、来日公演なんかもこないだやってましたよね、確か。
それが音楽無知の私は当時まったく知らなかった。なんとなく"ん? なんかモリコーネって聞いたことある名前だ"程度でしかなかったのに、「あー、モンドだー。あったあった、これがモンドだー!」とばかりCD片手に雀躍りをし、そしてはじめてのジャケ買いをしたのが、つまりこれなんでした。
ついでにもう一枚ジャケ買いしたのもイタリア系サントラ。こっちにもピエロ・ウミリアニなんていう(今タバコのマナーのCMの"♪〜マナマナ トゥトゥールトゥル"っていう曲でお馴染みの)作曲家が入ってるコンピレーションで、偶然にもイタリア映画作曲家の2大巨匠を手にしていたというわけで。
c0018492_9371480.jpg←B級感漂うジャケット。
3つの映画サントラのコンピなんだけど、
未だタイトル知らず。
日本公開されているのかもしらない。









まあとにかくこの突発的なジャケ買いは大いに当たって、2枚ともお気に入りでよく聴いたし、その後の名も知らぬ映画のおしゃれ系サントラ買いがしばらく続く、というか浅く広くいろんな音楽を聴き始めることを決定づけた日でした。
とくに『mondo morricone』はオススメ。スキャットもあるし、モリコーネ独特の同じ音階の繰り返しで盛り上がっていく曲がすごくいいんだ。
てなことで、3犬がみ付きで。

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あの日から早10年。ずいぶんと広く浅く音楽を聴いてきました。
でも結局のところ、未だ私の音楽の発注は『グイグイいく感じでお願いします』だ。

by wtaiken | 2005-11-16 09:24 | 犬がみつき | Comments(2)

犬がみつき・其の参   

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横にしてみたけど、意味はない。
ジャンルを越え、洋の東西を問わず、会田犬オススメの「こ、これぞ!」というお気に入りに、折紙ならぬ犬紙"付けてご紹介する『犬がみつき』。早くも3回目を迎え、つまり私はこうしてススメだしたら止まらないのだった。

と、
ここで言う"私"とは、ほかならぬ会田であって、このブログを開設している本人以外のなにものでもあろうはずがない。隣町の金物屋坂田さんがススメ好きなのでは決してない。そんなことは周知であるのに、あえて私はことあるごとに"私"を名乗る。
これはなにも"われもわれも"傾向のことさら強い私ばかりに限ったことではなく、それはたとえば一般論から持論へ移るときに、また他意か私意かをハッキリ区別するために、あるいはただ単にリズム的に、ひとは書く文章において、私、わたしく、ボク、あたし、オレ、自分などなど、そのほか様々の一人称を使っているものだ。

主人公の視座から描かれる前回推薦の橘外男『逗子物語』を例に軽く概算してみたところ、約40,000文字の小説中に、"私"もしくは"私自身"などの人称代名詞はおよそ300回ほど使われていた。おしなべてみると、約133文字に一回"私"と名乗っている計算となり、これが果たして多用な例なのか、平均的数値なのか、案外少ない方なのか、ほかの小説で数えるのが面倒なので確固としたことはわからないが、ことかように広く大衆に向けられた文章では、つまり他者に読ませることを目的とした場合、必定人称代名詞は欠かせないことになるわけだ。

さて、なにをまたくだくだしく書いているのかというと、今日引き続きオススメする探偵小説2つのうち一題、大坪砂男の短編『天狗』には、約10.000文字中ただの一度もこの人称代名詞が使われていないからなのだった。
c0018492_87884.jpgc0018492_875498.jpgこういった実験的手法は、なにも『天狗』に限ったことではないだろう。ただ人称代名詞を省く主人公の視点からの物語は容易ならざると思われるわけで、それが幻想的世界を夢うつつのままに描写するのだとか、主人公の内なる世界を描写することに終始するのならまだしも、この小説では主人公が温泉場で出くわした高飛車な女性に一方的な憎悪を抱き、犯罪へと至る経緯が淡々と綴られているという、自己と他者と現実世界の関わり合う小説なのであって、だからこそその手法は斬新であり、よって『天狗』は自ずと異様な世界が構築されることになるのだ。

と、初見から私は、この人称代名詞を排除したテクニックを敏感に刮目できたわけではない。なにやら異様でありかつスタイリッシュな文体がまず目を引き、奇想天外な展開と構成力に驚き、わけても偏執的に語られる主人公のばかばかしいともいえるロジックは見事というほかなく、粋にオチる最後の一文まで、まるで隙を見せない完璧の小説であると思ったものだ。
この『天狗』の魅力を、全集巻末、作家都築道夫の解説からいただくとしよう。
「『天狗』のすぐれている点は(中略)ごく些細なことから、ひとりの女に復讐しなければならないと考える人間の、その偏執狂的な論理の展開の見事さにある。非常識の基盤の上に一段、一段、常識にちかづく論理を組み上げているわけで、たとえば逆さまにおいた椅子の上に、たくさんの椅子を積みあげたような見事さだ。」
その通りだ。
情緒に流されることなく、冷静かつ偏執的にロジックで殺人を実行していくという極めて特異な文体で紡がれた短編小説である。思わず「うへー。かっくいい!」と漏らしてしまった短編だ。

ところがこれも残念なことに、入手することが難しくなっている。私のもつ今はなき薔薇十字社刊の『大坪砂男全集』全2巻は、古本価格でかなりの高値のはずなのでススメられない。
国書刊行会出版の『探偵クラブ 天狗/大坪砂男』なら代表作がおおよそ読めるし、定価2,345円でアマゾンで在庫一点と、ユーズド商品ならも少し安く求められるようなので、興味をもたれた方はお早めに。

さて続けてもう一点は、日影丈吉の『吉備津の釜』。
c0018492_883924.jpgこれもよくできた短編で、登場人物の名前からあれこれと、オチへの見事な伏線が随所に散りばめられている。

「私はこの小説を一読して心にくき作品だと思った。(略)「心にくい」のは技量に対してである。この日影さんの作も、さりげない「川の魔物と陸の魔物」の伝説が、なんと「心にくく」物語の落ちに照応してくることか。この技術には脱帽のほかない。」
と大乱歩は言う。その通りだ。
橘外男と同じシリーズのちくま文庫『怪奇探偵小説名作選-8 日影丈吉集』ですぐに読めます。


前回と合わせて探偵小説の好きな短編を3つススメてみました。
今日の2題は、どちらも捨てがたく、ともに犬がみ4枚付きでオススメいたします。
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ではまた。この次もモア・ベターよ。

by wtaiken | 2005-11-12 13:52 | 犬がみつき | Comments(0)

犬がみつき・其の弐   

ジャンルを越え、洋の東西を問わず、会田犬オススメの「こ、これぞ!」というお気に入りに、折紙ならぬ"犬紙"付けてご紹介するその第二回目。そしてこれが"推す犬"犬紙であらせられる。前回と色が変わったことは、なんの意味もない。
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90年代の『リング』"貞子"のヒットを契機にジャパニーズ・ホラーはブームとなって、今だ雨後の筍の有様で、新進気鋭な作家たちの本が店頭にかまびすしく並んでいる。
その一切を私は読んでみるどころか手に取ることもなく、ことごとくを一括してまったく興味を持ち得ないのであるが、そんなブームが牽引役となり、今や忘れ去られた古き良き探偵小説家たちの入手がままならない諸作を、文庫本というカタチで手軽に読むことが出来る好機に恵まれたことは実に喜ばしい限りだ。
("探偵小説"とは必ずしも探偵が登場し、難事件を解明するものばかりを指すのではなく、怪奇・幻想小説すべてを包括しての、かつて流通していた名称である)
今日は、その中の一冊、創元推理文庫から発売された『日本怪奇小説傑作集2』の、さらにその中の一編、橘外男『逗子物語』という短編小説に犬紙付けて、オススメしたいと思う。
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橘外男と聞いて、ピンとくる人もなかなかいまい。この手の探偵小説家の認知率は、ある年代、つまり昭和初期に幼年期を過ごしていた世代を境に歴然と低いはずである。ほとんど知られていない作家たち。しかしそういった作家の中にも、著名な作家に引けをとらないどころか凌駕さえしうる傑作の作が、奇跡の光芒のように埋もれていたりするものだ。私にとっての『逗子物語』はまさにそういう作品だった。

そも文学とは実に音楽的だと思っている。
文章には単語ひとつひとつの長短でリズムが刻まれ、単語ひとつひとつのイントネーションによってメロディーとなる。もちろんこのリズム感、メロディーには、作家それぞれの個性がおのずと生じてくるはずで、読者たる私たちはその音楽的なるつづり方の合う合わない生理的な判断から作家の好き嫌いが決せられるのでは、と仮説している。
つまる、つまらないという内容もさることながら、この作家各々の文章のもつ音楽センスは、実のところかなりのウエイトを占めているのではないだろうか。少なくとも私の場合は多いにあることで、どうも文章のリズムがぎくしゃくとして先へと気持ちよく進めないと、いちいちそこに立ち止まってしまい、内容は二の次となり、結局のところその作家および諸作を敬遠してしまうことになる。
まあ平たく言ってしまえば、単に"文章のスタイル"ということになってしまうが。

ノリきれない、つまり肌に合わない小説は、例えばほんのちょっとした違和感から芽吹いてくるもので、それが状況説明の順序であったりもするし、会話形式の言葉遣いにあったりもするが、それは単語ひとつの扱いの前後によってさえも微妙に感じてしまうものなのだ。

例えば文章の技巧派として名高い石川淳の『至福千年』の冒頭から引用してみよう。
「まず水。その性のよしあしはてきめんに仕事にひびく。」
と、スパッスパッとテンポよくはじまってくれる。良し悪しも、覿面も、響くも、すべてひらがなに開いたところも作家のこだわりである。
これが例えば
「水の相性の良し悪しは、覿面に仕事に響くものだ。」ではどうか。
勝手につなげてみたが、どうか。あまりにも凡庸となり、決して味にもならないし、スタイルとはほど遠くなっている。さらに
「仕事に覿面に響ていくるもの、それは水。」ではどうか。
まあもうどうでもいいが、つまり文学とは本来そういったもので、細やかに一語一語の取捨選択から配置までをもしっかりと気配るものであるべきはずだろうし、面白かったり、うまい! と唸る小説は、気づかないところでキチンとそうなっているものなのだ。

話は長くなったが、今回取り上げている橘外男の『逗子物語』は、スタイルこそ凡庸の域を出てはいないものの(ずいぶんと偉そうにしてますがあくまで私見です)、まったくすべては滞りなく流れるように描写がされている。ついつい立ち止まらせてしまうような淀みもなく、すべては的確に表現されているのだ。この違和感なく読み進める文章を成立されるのも実は容易なことではなく、そういった意味では変化球ではないものの、存外ストレートであることこそ立派なスタイルとでもいうべきなのかもしれない。

などと...
常に私はこんな調子で評論家然と小説を読んでいるわけではない。いいと思ったあとに、なにがどういいのかと思い返してみただけのことである。
なんのことはない、私は読み終わったとき不覚にも落涙していたのである。

『日本怪談小説傑作集』であるからには、『逗子物語』もまさしく怪談である。親子が一杯のかけそばを分け合い食べる、そんな話ではもちろんない。
読み進む途中、怪談であるから実に背筋の凍るような感を覚えたにも関わらず、私は泣いてしまったのだ。泣くかね、しかし。
なにもこうして泣けるものばかりが傑作であるとは限らないが、この物語には怖がらされたうえ泣かされるという、大いに感情を揺すぶられてしまった、つまり作家にとっては実に美味しい客であったことは落としてしまった涙からも事実であり、とにかく読後気持ちのいい怪談であったのだった。
物語中盤では、一人称で語られる主人公のとる行動にすでに作品全体を包む優しさを感じてしまう描写があるのだが、そのあとやっぱり怖い話に引き戻されつつも、最後は結局清々しくも優しい気持ちにしてくれる怪談なのだ。まったくそんな作品をものした橘外男は、こりゃなかなかやるなあーと感心してしまった。

ただし個々人の感受性に差があることは明々白々のことで、ススメられて読んだものの「落涙しませんでした」と詰め寄られても困るのである。映像でズバリを見せることとは違い、文章から思い描く情景は人それぞれであって、私はそこにまで立ち入って説明をし補完するわけにもいかないわけだから、そこまでは責任を持てないし、なにも読後落涙しなくっても感受性に優劣などない、ということだけは、ここに一言付しておきたいと思う。
でもね、ホントにいい怪談でしたよ、これは。

ちなみにこのアンソロジーは、ここ100年に及ぶ歴々たる作家の怪奇小説が組まれていて、この手の類の小説初心者にも入門的なテキストとなっています。
1巻では漱石、鴎外、谷崎、百間、川端などなどの諸作。その1巻では、室生犀星の『後の日の童子』が、これもまた優しい怪談で名品でした。
2巻は三島、中島敦、山本周五郎、遠藤周作などの諸作がおさめられ、『逗子物語』を第一席とするなら、次席は伝奇小説家としても著名な角田喜久雄の『鬼秋』に凄みが感じられてよかったです。

まあ前回と異なり、文庫というお求めやすい価格(とはいえ1.100円とは今日日文庫も高いっすねー)、形態でもあり、5犬紙付きでもいいんですが、どうも小説についての私のオススメは、あまり好評ではないんです、これまで。どうもそこらあたり人との琴線のズレを感じずにはいられないので、ここは3犬紙にしとこっと。
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そういえばちくま文庫の『怪奇探偵名作選-5 橘外男集』でもこの『逗子物語』は読めます。
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それでは。この次もモア・ベターよ。

by wtaiken | 2005-11-11 08:31 | 犬がみつき | Comments(0)

犬がみつき・其の壱   

犬神憑き、とは、またとんでもなく恐ろしいコーナーを立ち上げたものだよ、会田さん。
と、早合点してはいけません。
犬紙付き。と書く。なんじゃそりゃ。ごもっとも。
つまりこーゆー主旨で、ひとつ続けていこうかなと思っているわけです。

わたしく会田犬オススメの、映画、音楽、本、ドラマ、果ては食べるものまで、とにかくなんでもありのオールジャンルから「こ、これぞ!」というお気に入りのものをピックアップして、折紙ならぬ"犬紙"付けてご紹介するという、久々文章主体のコーナーなのだ。
まあ折に触れては、音楽だったり、映画だったり、会田お気に入りのそれらを紹介してきたりした、それをひとっ括りにしちまえっってなコーナーなのです。
ススメ好きの会田にして、さもありなむのコーナーであろうよ。

んで、↓これが今後ジャンルを越え、洋の東西を問わず貼られていくであろうところの"推す犬"と記された犬紙であらせられるので、どーかひとつ、よろすく。
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さて、その第一回目だよ。
なにを推してみるかね。なにせはじまりは肝心ですからね。
まずは、とっておきの「こ、これぞ!」を放ちたいじゃないか。
「こ、これぞ!」の中でも、より「こ、これぞ!」ってなやつをだ。
ええーっ、会田さんの「こ、これぞ!」って、これなの? たいしたこたないスね、じゃあダメだ。
さすが会田さんの「こ、これぞ!」は、正真正銘の「こ、これぞ!」でした、いやあ参りました、でないと。
そう、キング・オブ「こ、これぞ!」、トップ・オブ「こ、これぞ!」でありたいものだ。
...と、相変わらず、くどい描写だ。

てなわけで、実のところ私は一切逡巡することなく、第一番に、これに犬紙を付けてオススメしたい!
そう、第一回目は、ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』ですだ!!
まずはこいつを見て欲しい。このDVDジャケットを!!

c0018492_423343.jpgどーだい、このジャケ買い度マイナス100%なデザイン!
観る気しねー。だと思うよ、これじゃあ。
実につまんなそーな面持ちで発売したもので、度々登場の親友マツバラの言葉を借りるなら、「会田さんのオススメじゃなきゃ、こんなの絶対一生手にとらないジャケットですよ!」だ。その通りだと思う。マツバラどころか、これじゃあ誰も手にとるまいよ。
ところがこれが一旦見始めると止まらない、テレビ史に残る名作であること間違いなしのドラマなのだった。


このドラマの面白さは、できれば「とにかく、ジャケットに惑わされず、いいからまず観ろ!」で押し切りたいところなんだけれど、しかしそれでは下手な詐欺商法のようなので、少しく内容に触れたいと思う。

ズバリ、このドラマの柱は"芝居"。「総勢役者陣の芝居が実にすばらしい」ということではなく、(いや、それもすごくいいんだが)物語すべてに"芝居"が大きな役割を担っているということなのだ。
キーワードは「やくざ、借金取り、大衆演劇」。
全13回の物語は、例えば『一本刀土俵入り』とか『名月赤城山』という具合に、すべて大衆演劇のタイトルが冠され、その有名な一場面になぞられてストーリーが展開していくという趣向。
主な舞台となる劇場も、下北沢の、まだ本多劇場が柿を落とす前夜のザ・スズナリ。そこを根城に、弱者(クレジット・ドランカー)が強者(巨大サラ金)に如何に立ち向かっていくのか、って書くとちょっとカッコ悪いけど、弱者が土壇場に次ぐ土壇場をどう切り抜けていくかの、エンターテイメントである。
とにかくよく出来たシナリオで、いくつもいくつもグッときちゃうセリフがあって、物書きの端くれからすると、こんな本書けたらそれっきり店じまいしてもいいくらいの出来。
だのに本放送(82年)では最高視聴率が13,5%だったというのだから、当時テレビ視聴形態が今より盛んだったことを差し引いてみても、これでは低視聴率のそしりを免れまい。確実に名作ドラマのひとつでありながらも、『岸辺のアルバム』『北の国から』あたりとは、天地ほどの知名度に差があるのも致し方ないだろう。

そんなビシバシいいセリフをかっとばす、脚本は市川森一。
『ウルトラセブン』であり『太陽にほえろ!』であり『黄金の日々』のシナリオライターである。
この人は実に「ドラマはフィクションである」という至極当たり前の前提をよくわかっている作家で、さんざんフィクションでお祭り騒ぎを描きながら、最後はピシリと現実に引き戻す最終回の上手い人。
『淋しいのはお前だけじゃない』(以降略して『さびおま』)の最終回では、ギリギリのフィクションでドラマの中の芝居に見事な幕を下ろし、エピローグでは、ホントに淋しいくらいに現実に立ち返らせてくれます。
そういえば、これも傑作ドラマ『傷だらけの天使』の最終回でも、氏は祭りのあとの寂寞感を、あまりにも切ない幕切れで観せてくれたりしていたっけねえ。

主演西田敏行。
このドラマをきっかけに梅沢富美男がブレイクする。
他特筆すべき出演者は、今や「踊る大捜査線」でめっきり人気者になってしまったスリーアミーゴーズの小野武彦。とにかくめちゃめちゃ上手い演技に私はすっかり感心しちゃいました。
それと、泉ピン子が、いいのだよ。すんごく。
これまで10人ほどにこのDVDを貸したけど、ことごとくがピン子ファンになってますしね。
ただ、注意すべきはDVDにありがちな特典映像。
『さびおま』にもそれはあって、20年ぶりの再会ってなことで主要メンバーが座談してるんだけど、これは観ないことを断固オススメします! せっかくファンになりかけた泉ピン子を含め、あまりの低俗な会話の応酬に、このドラマの大ファンである私ですら最後まで視聴に堪えませんでした。逆特典映像なので、観たい人は心して観るように。

と...、さんざんススメといて最後にお断りしておくと、このドラマ4枚組のBOX仕様のほか単品発売がされていません、残念なことに。
だからレンタルで置いてある可能性は、おそらくゼロ。
税込みで23,100円で購入(アマゾンには現状2点在庫があるようです)するか、私のように、知人の中から持っている人を捜して借りるか、この二通りの方策以外ないところがねー、残念だし、もっとたやすく観られるといいんだけど。
もしくは、これから会田と友達になるかって手も残ってるっちゃー残ってるがな。

てなわけで、なんとかして今すぐ観ることをオススメします度、5犬紙付き!

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by wtaiken | 2005-11-09 01:35 | 犬がみつき | Comments(4)