カテゴリ:よいこの百物語( 2 )   

第二話『あるはずのない郵便受け』   

『亭主がさっきよりも、もっと青い顔をして戻ってきた。...
「実はね、家内が死にましたので...
さっきもわっしが茶の間へ上がって行ったら家内が坐って居りまして...
しかしそんな事もあるだろうとは思っていますから、こっちもじっとしていたのです。それはいいが、その内に家内が膝をついて、立ちそうにしたので、もうそうしていられなくなったので」』

さすがは怪談の名手内田百間(本当は門構えに"月"が正しい)だけあって、これは短編『とおぼえ』からの抜粋だが、恐怖について鋭い洞察がここに見て取れる。なるほどお化けの類は、ボウと現れてくれるだけならまだしも、「立ちそうに」することで意志の現れを見せる、その気配がなんといっても怖いのだ。それは、こっちに向かってくる怖さだ。しかもなにをするために向かってくるのか皆目見当もつかないから尚更怖い。
まあ霊であろうとなかろうと、なんだかわけのわかないままにズンズン近づいて来られるのはなんにせよ怖いのだが、この「意味がわからずこっちに来る」という恐怖は、そのまま『リング』の貞子に見て取れるだろう。古井戸から這い上がってきたかと思うと、あろうことかテレビからもせり出してこっちに向かってくるのだから、怖いったらありゃしない。
さらにこの有名なシーンから我々が感じる恐怖はそればかりでなく、本来歴然と距離のあるべき次元の異なるはずのテレビというメディアから、突如時空を越えて目の前に実体が姿を現すところにあって、それがなんとも不気味なのである。
と、今更ながら『リング』への言及もどうかとは思うが...。

さて一時期私は、しきりと人から怪談話を蒐集していたことがあった。
実現にはいたらなかったが、深夜のテレビ番組の、昔でいうなら『怪奇大作戦』のような少々オカルトじみた一話完結のドラマ脚本を書かないかと話を持ちかけられたからで(もはや番組名は失念)、ただ当時会社勤めをしていて時間もなかったし、幾度かプロデューサーと会うにつれて、あくまでストレートな「幽霊でました」的な本を求められていることを知り、安っぽい怪談を書くくらいなら受けないつもりだったから、つまり人の実体験を本に活かすつもりの気持ちはわずかばかり、どちらかといえば元から怪談好きの個人的な興味が主で、手当たり次第いろいろ聞いて回っていたのだ。

仕事が遅くなってタクシーに乗ると、決まって私は運転手に怪談話はないかとせがんだ。友人たちとの会合があれば、そこでも蒐集に努めた。いやむしろわざわざ怪談を聞く会すら自ら催してさえいたものだ。
その時の話を残念なことに私はほとんど忘れてしまったし、ことタクシー運転手の話ときたら「真夜中に乗せた女性が、ひとり(青山とか谷中とかの)墓地で降りまして」ときて「降りたあとのシートがビッショリ」などとオチまでお馴染みの、ありきたりなものばかりだった。展開の読める怪談など怖かろうはずもない。所詮はおしゃべり好きの運転手が、サービスのつもりで咄嗟に繰り出した、流布している話をさも自分が経験したかの作り話に過ぎないのだろう。
ただ今でも鮮やかに記憶に残っているのが、自宅で催した怪談会で聴いた奇妙な話だ。
これは、雑誌編集者H嬢がしてくれた、彼女の近しい友人(仮に)Yさんの体験談である。

奇妙な体験をしたYさんは、ティーン向けの少女小説を主に書いている作家で、N坂上にある5階建てのマンションに彼女は住んでいた。
このマンションは、階層ごとに3室設けられている。101、102、103、201...といった具合にだ。
ただYさんの部屋がある最階上にだけ、なぜか2室しかなかった。Yさんの住む502号室の隣りに503号室はない。それが果たして建蔽率によるものなのか、デザイン上のことなのか定かではないが、それはあたかも元々あったはずの503号の一郭だけが、不器用なナイフで切り取られたかのように、Yさんにはとても不自然に見えたと言う。
さて奇妙なのはこの存在しない503号室にまつわる話である。
それは、部屋はないのに、マンションの一階には、他の住人のものと並んで、なぜか503号室の郵便受けがあったところに端を発する。

ある日その503号室の郵便受けに、郵便物が投函されているのに気づいて、Yさんは少しくギョッとした。
もともと郵便受けがあること自体不可解に思っていたところに、郵便物だ。気味が悪くなるのも当然だが、しかも気にしてみると、おかしなことにいつの間にかその郵便物はなくなっているのだ。Yさんはますます気味が悪くなってしまった。

それが一度ならずも度重なってくると、いよいよ不気味である。
ない部屋の郵便受け。度々届けられる郵便物。その都度、誰が抜くのか、それはきれいに片づけられしまっている...。
壁一枚隔てて、目には見えない503号室があって、いるはずもない隣の住人が息を潜めている...そんなバカな空想すらYさんは一人思い描いてみたりした。それでも冷静に考えてみれば、たとえば郵便物は間違って配達されたのかもしれないのだし、なくなっていることすら、知らぬ間に管理人がきちんと処理をしているのだと推察できなくもない。
とにかくYさんとしては、どうにも確かめないことには気持ちが片づかなくなってしまった。
恐いもの見たさも手伝って、ついぞYさんは、ある日のこと、投函されている503号の郵便物を引き抜いて見てしまったのだ...。

郵便物の住所表記に間違いはなく、続いて傍線が引かれ"503"とあって、それはまさにあるはずもない503号室への手紙なのであったが、つづく宛名にYさんは小さく悲鳴をあげてしまった。
宛名には、Yさんの書いた処女小説の、登場人物とおんなじ名前が記されていたからだった。

話はこれきりで、なにやら得体の知れない恐怖を感じたYさんは、真相を確かめることもなく、すぐにそこから引っ越してしまったそうだ。

なにが怖いのか、と思う人もあろうかと思う。しかし私は、この話にはゾッとさせられたし、その場に同席していた某雑誌副編集長の松原亨など、これを聞き終えるやいなや目の周りを真っ赤にして泣き出す始末だ。
泣くやつがあるか。するとやつはしゃくり上げながらこういうのだ。
「だって...だって、その郵便受け開けてみたらって考えてみたんすよ。そ、そしたらね、その中にちっさい人がいるんですよ! こんな小人が入ってるんすよ郵便受けに! だから、そ、その郵便受けが503号室なんですよ!」...。
まあ、想像力をあれこれ膨らませるのは個人の自由であるが、私からすれば郵便受けに小さな人がいたりしたら、それは滑稽にしか思えない。が、ここがこの話の怖さを増長させるところで、つまり割り切れる着地点のない放りっぱなしの話だからこそ、各々の想像力がたくましいほどに怖さが倍増するといった寸法なのだ。
松原の突拍子もない想像と違い、私が心底怖いと思ったのは、紙面上の空想の産物であるはずの登場人物が、不審な、ありもしない部屋の住人として、忽然と身近に現れてきた、あるいは現れようとした、と思えてしまったところにだった。
これは今思い返すと、テレビから這い出してくる『リング』の貞子とどこか似ている。不明瞭な意志の介在と、あらぬところからヒタヒタにじり寄ってくる恐怖。
いや、ことの真相は、なにかとても深い事情により壊された503号室の元住人がただの同姓同名とも考えらようし、そこへ事情の知らないものからの手紙がいまだに届く、と推察も成り立つのであるが、だったら尚更、切り取るように部屋が壊されなければならなかった事情も只事には思えないし、なにより名前が符合してしまう偶然はあまりにも怖い。
とにかくなにがなにやら解決のない話であるところが、松原のちっさい人のように、勝手気ままに、その先の恐怖へとつおいつ想像されてしまうのだった。
だからその夜は 「104にダイヤルし、番地と部屋番から503号の電話番号がわかったらどうしようか」とか、「ジャンケンで負けたやつがそこに電話してみようか」とか、「もしつながりでもして誰かが出たらどうするよ」などとみんなで話しては、また一段と怖くなったものだ。

この話を思い出しながら、私は自身に翻って考えてみたりした。自作中と同名の人物が身近に現れたらどうしようか、などと...。
けれどこれまでの作歴を改めて振り返り、そして私はすっかり安心してしまったのだった。なにせ私の生み出した人物といえば、浅草とんぼに坂田ラッパ、ナポレオン軽田、お鱗(りん)に、ほおづき、名前じゃないけど懸垂二等兵だし、模糊に三月と、おおよそありえない名前ばかりであったからだ。
それでももしこんな名前の実在の人物に出くわしたら、どんな気分なんだろうか。
今度引っ越してきたお隣さんが、「懸垂二等兵」と名乗るのだ。それには大いに驚かされるのだが、挨拶替わりにと、人ん家の玄関で自前のマイ鉄棒に飛びつき懸垂をはじめてしまう懸垂二等兵。まず私は、そう名乗る事情を問いただしたいし、もし本名だったらさらに驚愕なのだろうが、いくら訊いてみてもまるで関せずにハッシハッシと自己記録に挑みだし、延々と続ける懸垂に飛び散る汗も半端ではない。汗は私の革靴を次第次第に濡らしていくだろう。おいおい、まったく人ん家の玄関で迷惑なやつだな。不気味に思うどころか、懸垂はいいから、とっとと帰ってくれと私は言いたい。

by wtaiken | 2006-07-16 04:20 | よいこの百物語 | Comments(0)

もう一人いる!   

「前に一度、仕事してますよね!」

よほどこう切り出したくてウズウズしていたのだろう、まだ打ち合わせの途中だというのに、なんの脈絡もなく唐突に、代理店Y社のS氏はやけに確信にみちみちた笑顔でそう尋ねてくるのだ。
どうも打ち合わせの列席者の中で、ひときわ私ばかりをジロジロ見ていると思った。名刺交換のとき言わなかったのは、ここにきてようやく自分なりの確証を得たからなんだろう。あとは「あ。やっぱり!」とか「でしょでしょ!」といった類の私の二の句を、なにやら「待て!」を喰らった犬のように今や遅しと持っている。私の肯定によって、ひとしきりその話題で盛り上がりたいふうがS氏にはありありと見て取れる。
けれど、私にはまったく憶えがない。このY社とのつき合いは数えるほどでしかなく、しかも関係が新しいとあっては、忘れてしまったたいぶ前にS氏と会っているという可能性はない。つまりは確固たる初対面なのだ。S氏の大いなる勘違いである。
とはいえ出来ることならば、この話題をきっちり精算しなければ打ち合わせがうわの空でニッチもサッチも進まないくらいの勢いで切り出した、そのS氏の気持ちの盛り上がりになんとか便乗して調子を合わせてあげたいところなのだが、咄嗟に嘘はつけないものだ。
「いや。」
あまりにもそっけない、突き放しすぎの否定だったという反省はままあるが、仕方ない。事実私とS氏は前に一度たりとも仕事はしていないのだから。
「ええーっ。そ、そうかなぁ...?」
と、S氏は半信半疑のままに、中断された打ち合わせを再開するのかと思いきや、
「いやいやいや。会ってますよ!」
だなんて、よっぽど自分の記憶に自信があるのか、数年前まで勤務していたかつての会社名まで持ち出して、だったらその当時に会ってやしまいかと食い下がるってくるのだ。しかしそのかつていた会社にも聞き覚えがない。だから私のスタンスは「いや。あなたとは断固初対面です」に首尾一貫し、S氏にとっては取りつく島なしといった具合だった。
「そ、そうですかねぇ...」

そのあと再開された打ち合わせでのS氏の意気消沈ぶりはなにか哀れで、とっても申し訳ないことをした気になったりもしたが、だからといって、この場合真実を伝える以外私に一体どんな社会人としてのとるべき処置があったというのだろうか。
「なんだか言い出して損しちゃったよ」的な、恨めしげに私を見るそんなS氏の表情に、そういえばこんなことがこれまでずいぶんあったと、とつおいつ思い出された。

「かなり前に仕事しましたよねぇ!」
「どっかで会ってません?」
「あれ、以前一緒に仕事してるでしょ?」
みな一様に喜々としてこう訊いてくる。だがそれはなぜか初対面の人が多く、その都度私は「いいえ。」とスッパリ真実を告げる。そして誰もが大層ガッカリ顔をしては、口が今にも「うっそーん」と言いたげだ。
どうも私は、この"以前会ってますよね"勘違い率が、異様に高いと思うのだ。
そうして勝手に勘違いされては、結末はいつもこの通りだから、相手にしてみると「なんかノリの悪いやつ!」などと思われていたりするのかもしれない。ああ、私がその勘違いされた本人であったなら。幾度そう思ったことか。

それにしても度重なる勘違いである。なぜ人は、私を誰か他の人と間違えては、一度たりとも会っていないのに、「以前会っている」などと思うのか。
要因はいくつか考えられるだろう。
ひとつ。私の「物忘れ甚だしい男説」だ。
例えば私は、人の顔などすぐ忘れてしまう健忘症も甚だしい男なんだと仮説する。"会っているのに知らん顔"である。が、これではタレントさんやモデルさんから言われた事例の説明がつかない。いくらなんでも、テレビなどで見慣れたその人をよもや忘れてしまうこともないだろう。だから却下だ。
ふたつ。「日本男児をおしなべて顔の平均値をとると、うまい具合に私の顔に落ち着く説」。
デ・ジャ・ヴに似たような感覚で、そこはかとなく漠然と、なんかどっかで会った気にさせる顔が私である、という仮説なのだが、これについてはなにも科学的検証を加えるまでもなく、知人の多くが真っ向から全否定をしてくれるだろう。カプセル怪獣ミクラスに似たあなたが、日本男児の平均値であるはずがない。大きなお世話だが、まったくその通りだよ。却下。
みっつ。私が記憶のないとき別の人格になっているという「ジキルとハイド説」。
私の知らないうちに、もうひとりの人格がムクムクと...却下だ。
よっつ。もっとも考えられる理由であるところの、つまりこうだ。
同じ業界内に、私に似た人が、少なくとももう一人いる説。

いや、いるのは"一人"で十分だろう。私には、私によく似た同業者がいて、勘違いをした人は皆この人と以前に仕事をしているというわけだ。どうもこの説以外には考えようがない。
顔はもちろんのこと、声色もしゃべり方もすこぶる似ているもう一人がいるのだ。メガネも掛けているのだろう。左利きも一緒だったりする。髪型もクルクルパーマだし、いい感じの猫背も似ているのかもしれない。カレーの辛いものを食うと、途端にダラダラだらしなく滝のような汗をかくところも似ているのかもしれない。いい加減に人の話を受け流しては「なるほど。」とばかり相づちを打つところも、微妙に打ち合わせの時間に遅刻するところも、編集室でゴロゴロソファーに横になって演出するところも、緊張すると声が裏返るところも!
不気味だ。しかしこうまで似なければ、そう頻々と初対面の人からの"以前会ってますよね"発言には至らないだろう。
それはもはやドッペルゲンガーだ。

ドッペルゲンゲル、ともいう。自己の分身、生き写しのことを意味し、またその分身を自らが見てしまうことをも指す。後者はオートスコピー、自己像幻視と精神医学では言う。古く日本では離魂病と称され、幽体離脱の一種なのでは、なんて言われていたりもする。哲学者ゲーテは9年後の自分に遭遇し、芥川龍之介も死の直前に見たとされる。見たものは数日後に死ぬ、そう、ドッペルゲンガーは昔から死の予兆とされ忌み嫌われているのだ。

この世に分身がいるなぞとまさかそんなことはあるまいし、そっくりさん程度に止めて欲しいものだし、たとえそっくりさん程度であっても、同じ業界内にいるだろう私にすこぶる似たもう一人には、今後是非とも会いたくないものだ。死の予兆など一向信じはしないが、とはいえ顔を合わした途端のこれまでにない自分の驚愕ぶりは、想像に難くない。なぜか思わず互いに大爆笑、ということも考えられなくはないが...。

さてそのドッペルゲンガーだが、私はその実例をかつて人から聞いたことがあって、相変わらず前段の話が長くなってしまったが、今日はその話がしたいのだった。


それは大学時代にさかのぼる。演劇部の夏の合宿で、とはいえ「あの入道雲に届くようでっかい声で発声練習だ! それっ! あめんぼ赤いなあいうえお!」なんて精進するわけもなく、ただ泊まりがけでみんなして遊びたいただそれだけの旅行に終始するもので、だから眠るのはもったいない、夜更かして当たり前、ビール片手のバカな話もやがて尽きると、決まって怖い話の披瀝に、夏ともなると場は落ち着くものだ。
一人また一人と、百物語のようにあることないこと話しだし、私も一席、幽霊に頭を小突かれた話なんかをしては少しばかりの笑いをとったあと、後輩のT嬢の番となった。T嬢はウラ方専門の、我も我ものオモテ方の私たちとは大違い、比較的真面目な性分で、日頃ペラペラと雄弁な部類ではなかったが、さすがに乞われて「じゃあ」と切り出した。

「あの...みねちゃんて、二人いるんですよ...」...!!
こう導入するT嬢の話は、思わず身震いするほどにつかみが絶妙であった。すでに車座の一同はこの時点でみな少々肝を冷やしたが、話にはもちろんさきがある。「おいそりゃ一体どーゆーことなんだい」と、興味津々と聞き耳を立てる。
ちなみに "みねちゃん"とは、T嬢と同期の、その日合宿には参加していない部員である。もちろん双子できないということも、付け加えておこう。

ある日の昼下がり、T嬢は学食でみねちゃんとバッタリ会った。仲のいい二人はいくつか言葉を交わしその場で別れると、T嬢は早々に授業の終わった学舎を自転車で後にした。その帰る道すがらだ。通りがかったみねちゃんの部屋の窓が、見上げると大胆に開いている。不用心にもほどがある。少しく不審に思い、まさかと思いながらもT嬢は部屋をノックしてみると、なんと中からさっき学食にいたはずのみねちゃんがもうそこにいたというのだ。まさかと思ったそうだ。自転車で走るT嬢のスピードを追い越して先回りするしかありえない状況に、学食でさっき会ったよね? と確かめるように問うと、みねちゃんは平然とした口調で、その日は風邪気味だから部屋からは一歩も出ていないと告げたそうだ。
「だから、みねちゃんは、二人いるんです...」

これには盛り上がった。みんながみんな背中に冷水を浴びせられたように、一斉に奇声を挙げたものだ。
T嬢の話はこれに止まらず、堰を切ったように自らが体験した奇妙な話の数々をし、そのどれもがゾッとするものだったが、このドッペルゲンガー話は格別だった。一体学食にいたはずのみねちゃんはなんだったのか、なにも解明してくれない突き放された話であるところが、実にリアルで怖かったのだ。

初対面の人に「以前仕事しましたよね」、そう言われるたび私はいつもこの話を思い出してしまう。ただ20年という歳月で怖さは薄れ、「あの話はなんだったんだろう」と、ちょっと懐かしく思い出されるのだった。

さて、この"みねちゃんドッペルゲンガー話"だが、実はこれには私だけの後日談がある。

T嬢とは、その後社会人になってからも劇団をともにし、交友は続いていた。仕事終わりで片手間にする演劇活動は思いの外大変で、公演前に差し掛かると、決まって劇場に泊まりがけで稽古をしなければならなかった。
ある泊まりがけの晩、人一倍恐がりのくせに怪談好きな私は、T嬢の語りによる"みねちゃんドッペルゲンガー話"を是非とももう一度聞きたくなった。またそれを知らない劇団員たちに聞かせて、怖がるさまを見てみたいと思った。
「ホラ大学の夏の合宿でさ、Tがしたみねちゃんドッペルゲンガー話、あれもう一回話してよ」
するとT嬢は、真顔でこう言うのだ。
「え? 私、そんな話ぜんぜん知りませんけど...」
「ちょちょちょ...、みねちゃんが二人いるっていう... 」
「私そんな話しませんよ」

まったく話した自ら見事に怪談の落としどころをつけてくれたものだ。このオチには脱帽だ。
T嬢、あんた話の天才だよ!!

それにしてもトボケでなく、本気でそう言ったのなら、ちょっと不気味だな、T嬢...。

by wtaiken | 2006-06-13 06:17 | よいこの百物語 | Comments(3)