虹男   

あまりにも頑丈そうな鉄の扉を前にして、その中に入るべきか、はたまたこのまま踵を返すのかとしばし逡巡の挙げ句、どうしても一人きりで踏み込む勇気が持てず、大学構内の片隅、鬱蒼とした木々に囲まれ午過ぎなのに一面影が差し陰鬱に暗く、どこかうそ寒さすら感じる、そこはかつて軍の兵器倉庫であったと聞く部室棟の前から、結局私は目的も果たさずにそそくさと帰ることにしたのだった。

部室棟は、一棟5つに区切られた倉庫へ様々なサークルがまるで長屋のように身を寄せている。その一室、まるで新入生をあえて拒絶するように「お前はもう来るな」とばかりに鉄の扉を堅く閉じていたのが、大学で唯一の演劇部「海星館」の部室だった。
それは今からもう20年以上も前の話で、大学に入りたてだった私は、つまりその演劇部に入部するつもりで構内の奥まったそこを訪ねてみたものの、暗然たる佇まいにすっかり臆してしまい、すごすごと退散したわけなのだ。なんだかその部室には、とんでもない魔物が棲んでいるんじゃなかろうかと、半ば本気で思ったりした。

生まれついての目立ちたがりの本性を秘し、どうしてもやりたかった芝居というものを大学に入るまで拒否し続けていたのは大いなる偏見によるもので、中学、高校の演劇といえば決まって木下順二の「夕鶴」をやるはめになるのだとばかり思っていたからだ。
日頃冗談を言い合う友達を前に、飛び立つ鶴に追いすがり、「つう! つうよぉー」などと演技ができるものかと頑なに思っていた。
それでも湧きいずる情熱は抑えがたく、高校3年の文化祭では、嫌がる友達をなだめすかしてはようやく説き伏せ、2人して取調室の捜査官と犯人というシチュエーションの、それは芝居とは言い難い掌編コントを、空き教室でひっそりクラスメートに披露するなどということをしては溜飲を下げていた。

大学でならきっと「夕鶴」的な芝居は駆逐されているはずだ、そうにらんで私は自らの枷を解き放ち、晴れて演劇人生の開始だと意気揚々乗り込むつもりの鼻っぱしは、あっけないほどに、本来ただ普通に閉じられていただけの鉄の扉にた易くへし折られてしまったていだった。

演劇難民と化し、あたら虚しく帰宅部に甘んじる春の日々を私は悶々と過ごした。
佇まいに怖じ気をなしたっきりの「海星館」には近寄ることすらなかったし、勝手に地味な集団を思い、さらさら入るつもりはなかったのだが、第一外国語つまり英語のクラスで一緒だった、それ以降社会人になってまでも演劇で成功することを二人して夢見続けることになる合澤くんの執拗なまでの勧誘に、ついつい軽い気持ちで鉄の扉の向こう側に入ってしまったのが今思えばすべての始まりであった。
やはりいたのだ。その部室にはとんでもない魔物が。

冬でもないのにヒンヤリ肌寒く、部員一人一人の顔すら明瞭に視認できないほどの薄暗がりの部室の中央、デンとばかり椅子に腰掛け、思慮深げに苦虫をかみつぶし、品定めするかのような目つきで冷たく対応していた先輩、それが亜門虹彦氏だった。
そう、彼こそが魔物だったのだ。

ダイダロスの迷宮に潜むミノタウロスには、毎年7人づつの少年少女が生け贄として捧げられたという。私はその一人だと思った。亜門氏はまさにミノタウロスで、その魔物に私は手もなく取り憑かれてしまったのだ。

亜門氏の魔力は、その舞台上において遺憾なく発揮される。
亜門氏がひとたび舞台に立つ、するとオーラのように辺りは何万ワットに輝き出すのだ。頭がではない。その存在がだ。
あるときは凄まじく二枚目にポーズを決めたと思いきや、すぐさまお茶目な表情をして見せては女子部員に「かわいーっ」などと言わしめ、またあるときは情けないほど自虐的に顔を崩しては笑いをとり、かと思うと突如観るものを震えさせるほどの凄みを帯びた演技をしてみせる、まさに変幻自在、名前の通り七つの色を放つ男、それが亜門虹彦だった。
ミノタウロスの虜のように、つまりそんな彼のスター性に私はすっかりやられてしまい、「海星館」という名の演劇の迷宮から逃れることができなくなってしまったというわけなのだ。

そして私は今でもこうして芝居をしている。
迷宮の名は、「海星館」から「浅草紅團」、「百萬弗劇場」そして「ワールドツアー」へと移り変わってきたけれど、20年前、あの鉄の扉をくぐったとき、まさか自分が40過ぎになってまでも芝居を続けていようとは思いも寄らなかったろう。そして傍らにミノタウロス、いや亜門虹彦氏がいるだなんて。

今日も亜門氏は、私の書いたキャラクターを活き活きと、そしてバリバリ音のするほど懸命に演じている。毎日男らしい汗をかきまくっては、ビュンビュン辺り構わずその汗をまき散らす。いいぞ、飛ばせ、もっと飛ばすんだ亜門さんっ。つばきだって飛ばすがいいさ。そして見せてやって欲しい、20年前、きっとキラキラ輝く目をしていた私の見ていた、そんなあの頃の七色に光り輝く亜門虹彦を!
こうして日々、いくらか全体的にボリュームアップした体を縦横無尽に動かして、亜門氏は演出の私を大いに笑わせてくれている。あまりに笑いすぎて、たまに桂三枝のように椅子から転がったりしている。もうヒーヒーいっている。腹痛い、腹痛い、なんつっている。
大学卒業後もたまに自作の本で出演しては小出しにしていた本領を、余すところなくじっくり堪能できるのも実に20年ぶりになるのではなかろうか、笑い転げて床に倒れた私はそれを思うと、えにしというものの不可思議さを実感しないわけにはいかないのだ。
だってさ、大学時代はおろか卒業後も延々と、ほとんど打ち解けて話し合ったことなどなかった二人なんだから。

でも亜門さん、自分が仕掛けた演技の善し悪しを探るように、演出席の私を芝居中にチラチラ見ては反応をいちいち気にすることなんかないよ。十分にイケてますし、だいいち私、くどいけど椅子から転がってるじゃないすか。足腰がおぼつかなくなってるわけじゃないんですよ、笑ってるんですよ。
それに日に何度も目を合わせてしまう私は、なんだかちょっと照れくさいんです。

by wtaiken | 2005-02-07 04:09

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