叔母Q   

"オバ"から"叔母"への変換に別に意味はない。
Qちゃんである。もちろん42,195㎞を完走する人ではない。

先日いただいたコメントへの返信をしつつ思い出したのがこのオバケのQ太郎のことで、その際の返答の繰り返しになってしまうが、いくつまでだったか私の寝床にはいつもオバQの抱き枕があったのだった。
今を知る人は意外かもしれないが、幼年期の私は弱虫で泣き虫で恐がりの甘えん坊であったから、夜毎の独り寝の心許なさを慰めてくれていたのがこのオバQの抱き枕であった。
当時、もちろんFとAに別れるだいぶ以前の藤子不二雄の代表作といえば、圧倒的に『オバケのQ太郎』であり、私に限らず男子の多くはこの国民的キャラを好きだったはずだが、なにせ毎晩抱いて寝ていた手前、秘かに思い入れは強かった。
恐がりのくせにオバケを抱くなどとは、ダイエットを宣言しつつも「甘いものだけは絶対手放せないの私」的な本末転倒のような気もするが、透明になって消えたりはしてもQ太郎が"オバケ"であるという認識はあまりにも薄く、主人公の正ちゃんにとっての存在と等しく、おおめし喰いで犬にはとっても弱いだけのいい友達感覚であったわけだ。
まあ有り体に言ってしまえば、かわいいのであった。

あの毛が三本に分厚い唇と目玉という記号だけであっという間に誰でもすぐに描けてしまう、確か絵かきうたにもなっていたはずのこのシンプルなデザインは実に秀逸であると思うし、室町時代の『百鬼夜行絵巻』や江戸の鳥山石燕の昔から水木しげるへと連綿と続くオバケ・妖怪絵の類からは明らかに系譜を異にしている。
マンガはすべて絶版状態で、アニメすら封印されているこのオバQの全話を今や鳥瞰することは困難であるが、おそらく"オバケ"と冠しながらも、一向にオバケらしい振る舞いやエピソードはなかったように記憶している。
オバケであってオバケでない、成功の鍵はここにあったのだろうと憶測するが、なにも今日は「オバケのQ太郎論」を展開しようというわけではまったくなかった。

このオバQの抱き枕を、幼少の私が元から好きで"是が非にも!"とせがんで親に買ってもらったのか、はたまた親が"このへんが妥当!"と勝手に買い与えたことによって次第に思い入れが生じたのか、そのはじまりは定かでないが、いづれにしても同世代の人たちと比較して自らのオバQ好きはひとしおだったように思うのだ。
絵もよく描いてたしね。

ではなぜ私はオバQが好きなのか。
「バカめが。好きなものに理屈などあるものか」。確かにおっしゃる通りだ。
しかしこのオバQ好きには、実は驚愕の根拠があることに、大人となったある日の私がハタッ思い至ったのだった。
その根拠とは、名前の中にあった。


私の大学時代、演劇部の後輩が入院したときのことだ。彼の病床の傍らに誰かから見舞われた、それがなぜだかオバQの、ソフビだったか貯金箱だったか、いづれにしろ少し大きめの人形が贈られていた。
その男がオバQ好きなのかを私は知らない。しかしなんらかの関連はあったはずである。でなけば、見舞いにわざわざそれはなかろう。病気の人が、喜んで元気づけられるもののみを見舞い品とする、そんな法令はないが、大概はそうだ。
例えば私が入院したとする。友人が「はい。お見舞い」と満面の笑みでくれたのが"星のカービィ"のぬいぐるみだったら、果たしてどうか。どうもなにも、私はまったくいらないし、なぜ"星のカービィ"なのか見当もつかないし、嫌がらせだとしかそれは思えないだろう。"星のカービィ"で元気など出るもんか。
だから病床の男は好きだったのかもしれない。好きなのを知ったものの見舞いであったのかもしれない。訊きはしなかったが、それがオバQだったから私は少しくうらやましく思い、記憶に残っていたのだ。
そしてそれがどういう経緯だったにしろ、病床にオバQの人形を誇らしげに飾るその男と抱き枕でかつて寝ていた私との共通項があり、それが実に名前だったのだ。
お互い名前に"尚"の字が含まれていた。

私は会田犬を名乗ってはいるが、本名ではない。当たり前だ。
本名はナオヒロで、ナオは尚である。
尚の字のつく男が二人、オバQが大好き。病床の男すらも勝手に大好きだと断定してしまうが、これでもうおわかりいただけたと思う。"尚"をよく見れば、自ずと知れる。


大きくしてみるか。
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まさに毛が三本で、"口"は口そのものである。目こそないが、そうなのだ、私の名前には、オバQがいるのだった。


どうせだから目を加えてみよー。
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そら、少し堅っ苦しいドットな感じだがオバQ以外のなにものでもないぞ。ロボオバQともいえる。
形象文字の一つとして、以降これでオバQと読ますとしたらどうか。あまり使い道はないが。

せっかくだから犬にも追われてみた。
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というわけで、"尚"は実にオバQを連想させる漢字なのだ。
それが名前に含まれている、という無意識化での認識。オバQをはじめて見たときの、つまり「親近感」にそれは繋がっているのではないだろうか。
抱き枕も致し方なしだ。

謎は氷解した。たかだか2人に共通していた名前一文字でこう仮説するのも暴論ではあるが、あえて声高に主張したいのは、全国の名前に"尚"のつく人たちの、オバQ好き確率が異常に高い、はずだ、おそらく、ということだ。

どうかこれを読まれた方は、知り合いの"尚"のつく人に訊いてみてほしいし、私も今後名刺交換で"尚"を見かけたなら、まず真っ先に「オバQが好きでしょうか」と訊くことにしようと思う。まずはア然とされること請け合いだ。
しかしガリレオ・ガリレイの例を引くまでもなく、驚くべき真理とは、大衆の無理解と侮蔑と冷笑の中にこそ隠されているのだ。それは歴史が証明している。

"尚"の人は、オバQが大好きである。はずだ。おそらく。

そして、おおっ!
そーいやーはじめに書いてたマラソンランナーのQちゃんも、高橋"尚"子ではないかっ。
あれれ。尚=オバQって、知られた通説なのけ?

では最後に、今消えんとするオバQで、さいなら。
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by wtaiken | 2006-05-22 22:46

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