その一言がうっかりミスを救う   

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「会田さんのこの企画、ボクは好きなんです、けどねぇ...」

「けどねぇ...」のあとを、なんなのか言わない。濁したまましばらく間がある。
そこで私は「ん? で? だから?」とは決して訊かない。二の句を待って、前のめりで「...それでおしまいかいっ!」ともツッコまない。
続く言葉をうやむやにして広告代理店の担当者は、そっと私の企画書を一枚、横に除けたりする。動作によって彼は私に意味を伝える。
こういうことである。
「会田さんの企画は個人的には好きなのだが、思うにどうもクライアント好みではないようだ。だからこの企画は不採用とする」
こう言うべきところを、大人は「けどねぇ...」の「...」に託す。そして受け取る私もちゃんとそれを察する。もしかしたら、代理店の担当者はその企画自体を実際のところさのみ好んでいないのかもしれない。不採用とするための体裁であるかもしれない。しかしそこもあえて言及しない。「黙って企画を横に除けたりなんかして、それは一体どういうことなのか」などと事を荒立て頬を膨らませたりしない。大人だからだ。
「けどねぇ...」を読み解く。こうしてみんながみな"みなまで言わない"ことで、仕事は円滑かつスムーズに進んでいくのだ。

「まあとりあえずは大雑把に取り組んでもらいたいのだが、だからといって俎上に上らないような大雑把な企画では困るので、実はそこそこの姿勢で取り組んでもらいたいものだ」とはわざわざ言わない。
時間の無駄を省くことも、また仕事では不可欠であるから、こう簡潔に言って察してもらうことになる。
「とりあえずはザックリと、ひとつお願いしますよ」

これを言葉そのままに受け取っては、だからいけないことになっている。気分はザックリとしつつ、最終的にはきちんと仕上げなければならない。ここでバカ正直に言葉を真に受け、あまりにもザックリした企画を持っていったりすると、にわかに会議は暗雲立ちこめ、同席者みな一様に口をつぐんでしまう。
「おいおい、こいつホントにザックリしてきやがったよ」である。

こんな局面でもよっぽどの豪傑がいない限り、「馬鹿者め。ザックリと言ったからって、こんなにザックリしちゃダメじゃないか」とは、ハッキリ誰も口にしない。ザックリと言ってしまった手前、困惑しつつもみな大人の対応でどうにか処置してくれる。次回打ち合わせへの継ぎ穂を探り、微妙な空気ののままに、それでも会議は踊るのだ。ザックリ仕上げてしまったものは、こうして何度か気詰まりな会議を経験し、そしてついに悟ることになる。
「ザックリとは、ザックリではないな」

「...」に託された意味や言葉のうらに潜む真意を察しなければならないのも立派な社会人としての責務であり、またそれをあからさまにしないことで社会生活は平穏無事に営まれていたりする。
しかしこの手の決まり文句や微妙な沈黙に接するとき、口には出さずとも、私は心中たびたびツッコミを入れてしまうのだ。
「ザックリとか言って、ホントはザックリでもないくせにぃ!」

大事なクライアントへの営業の局面で、名刺を持ってくるのを忘れてしまったことに気づくとする。しかし本人は動揺すらしない。本来ならば物と物とを交換することで成立するはずの場で、片方が物を忘れることは場の不成立を意味するのだが、負い目があるはずの名刺を忘れたものは、ある流儀さえわきまえていれば、重役級のクライアントがへりくだって名刺を差し出そうとも事を無難にやり過ごすことができるのだった。
そうだ。「名刺切らしちゃいまして」である。

この言葉が飛び出すたびに、私ばかりかおそらく一同みな瞬時にこう思っているはずだ。
「なにが切らしたものか。うっかり忘れたのだろうによ」
しかしそこには触れないことになっている。たとえ秘かに思っても誰もツッこまないことになっている。「挨拶を酌み交わす必需名刺を忘れるとは何事か」の本質をうやむやに、「忘れものも致し方なし」と寛容に事は済んでしまう。

この暗黙の了解をえる一言を生み出し、そしてそれを発した「はじめて物語」を私は知らない。しかしそれは青天の霹靂のような第一声であったろうと憶測する。
いうなれば『プロジェクトX〜その一言がうっかりミスを救う〜』篇では、こんな感じであろう。

『その男はうっかりもので通っていた。
これまで何度も名刺を会社に置き忘れては、大事な取引先で赤っ恥をかいてきた。
ときには「名刺はお前の顔だ。顔の見えないものと仕事は出来ない」そうキッパリと言われた。「名刺持参のうえ出直してこい、このうつけ者、帰れ!」。けんもほろろだった。

ある日のことだった。
うっかりものは、またその日も名刺を忘れてしまっていた。
しかし今日に限って男はすっかり落ち着きはらって見えた。一体どうしたというのか。
やがてクライアントが現れて名刺交換がはじまると、男は悠然とこう言い放った。
「すいません。切らしているんです。名刺を、ちょうど切らしているんです」

あまりにも見事な言い逃れっぷりだった。きっと会社に置き忘れたのだとみなが思った。
しかし本人が言うからには、事実名刺が底をつき、しかも印刷所のミスで納品が遅れているのかもしれない。悪いのは印刷所のおやじだ。
そういう諸事情や背景を感じされるに十分な言葉だった。
そしてこの一言を聞いたその場に居合わせた誰もが思った。
「これは、使える」。』

幾度かの修羅場を経験したからこその、こうした咄嗟の詭弁が思わぬ効果をもたらす。まさにコロンブスの卵的な、「忘れた」を「切らす」という簡易なすり替えで済んでしまうところも、この言葉が広域に流布した誘因だ。
また、あまりにもうまい言い訳は許されてしまうこともあったりする、という法則が成り立つのかもしれない。
ある大物お笑い芸人の付き人が遅刻をしたとき、平然と「今日は向かい風が強いんです」と言い訳して許されたなどという逸話もある。
それにしても歴と常套句化されてしまう言い訳というのも珍しく思われ、だからこの決まり文句が発せられるたびに、聞いている私は心の中でこっそりと、少しばかり可笑しくなってしまうのだ。
「でた、でました! "名刺切らしちゃいまして"!」

うっかりものでは人後に落ちない私も一度ならずも幾たびか名刺を忘れたことが、もちろんある。しかし私はこの決まり文句をなるべく使わないことにしている。
「すいません。名刺忘れちゃいまして」
あっさりこう言うことにしている。
そこにはなにも「曖昧に事を済ます大人の偽わりを自らして暴く」などというテーゼはもちろんないし、ましてや「海千山千のこの業界内で私は実に正直者です」ぶりを殊更アピールするつもりもない。俗にまみれることを忌み嫌っているわけでもない。
特定の場における、段取りよろしくシナリオに書かれたようなこういった類の言葉を、聞いている側においては少しく面白がっているくせに、自ら使ってしまうのがちょっと照れくさいのだ。用意されたシナリオに自分が組み込まれてしまうのが、なにやら恥ずかしいのだった。

留年をした大学5年の時だったと思う。私はロシア語の授業に教科書を忘れ、それが教授にバレてしまい、「授業に出ているお前の机に、なにも出ていないのはなぜか」と問われ、取り繕う手だてのない私は素直に「教科書を忘れました」と言ったところ、授業を中断してこっぴどく叱られたことがあった。一時間にも及ぶ教授の怒りを締めくくる捨てゼリフが「お前には、断じて単位はやらん!」で、今にして思うと無事単位も取得し卒業できたのは奇跡のようだが、もしこのとき名刺交換での"事の本質をうやむやにしてしまう決まり文句"をたとえ知っていたとしても、ここでは決して通じなかったろう。
「教科書切らしちゃいまして」
これはいただけない。当たり前である。むしろ火に油をそそぐようなものだ。
「切らしてしまうもの」と、決して「切らすことのないもの」、この見極めが肝要なのだ。

あまりにも常套手段となってしまい手垢のついた用法に、私には若干の羞恥心が働くが、「まさかこんなところでそれを使うか」といった意外な局面での斬新な引用には惹かれるものがあったりする。

私は、大切な商売道具の筆記具を打ち合わせに忘れてしまうことがある。
このうっかりぶりにもほどがあるし、ダメなディレクターぶりを露呈しかねないミスであっても、この決まり文句の流用でその場を凌ぐのだ。
「ペン切らしちゃいまして」

忘れ物はペンにとどまらない。撮影もしくは編集時に、これが首から下げられていないと私はディレクターとは認めてもらえないただの見学者になってしまうだろう、だからこう言っては、なんなく人からせしめてしまうのだ。
「ストップウォッチ切らしちゃいまして」

パスネットやSUICAといったプリペイドカードのおかげで、出がけに財布を忘れることが本当に多い。これにかこつけ何気なく人から大枚を無心をするにはもってこいだ。
「お金切らしちゃいまして」

これから暑くなってくる。夏はもうすぐそこだ。地球温暖化も叫ばれて久しく、肌にまとわりつく熱気たるや半端ではない。だったらこう言って人の善意で涼をとってみてはどうか。
「アイスクリーム切らしちゃいまして」

こうしてなにもかも「忘れる」を「切らす」とすい替えることで、ことの本質を曖昧にするばかりでなく、嫌な顔をされずに人から物品をスムーズに借り受けたり、まんまと頂戴せしめることができるのかもしれない。
まだまだ汎用例は無限にある。
怒られない程度にやってみる価値はありそうだ。

by wtaiken | 2006-05-17 00:14 | ああ、監督人生 

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