ラッキーセブン   

寝苦しさにふと覚ました目が何時なのだろうかと捕らえたデジタル時計、その表示している数字が偶然にも4:44だったりすると、どちらかといえば信心の浅い部類に属する私であってもなにやら不吉な予兆を感じたりなんかして、とっさに布団をかぶりその時ばかりは手を合わせ、こう思うのだ。
「ああ、神様ー。今日一日が無事でありますように...」

この未明における不吉なデジタル時計4:44の目撃例を私は数多く持っている。これがいくら偶然の産物であろうとも、やはり4が3つも並ぶという符号に柄にもなくゾッとし、そしてそのたびすがるように拝むのだ。
おかげで私は生き延びている。

ことさら私たち日本人が4という数字を忌み嫌っているのは、いうまでもなく4=死を連想させるからに他なく、例えば唐突にたくあんを例にひくと、4切れで膳に出すことは縁起が悪いとされていたりする。だったら3切れはどうかというと、これも「身(3)を切る」からダメで、だから2切れじゃもの足りないという手合いの食卓にたくあんは一足飛びで5枚以上皿へ盛られてしまうことになり、ちょっと欲張ったばっかりにたくあん好き好き人間はたくあんばかりただひたすら食べなければならないのだった。いくらほかにも食べたいおかずがあろうとも箸をのばすことも出来ず一心に、ボリボリ次から次へと一度の膳でたくあんを5枚以上消費しなければならないたくあん好き好き人間。大変である。

いやいや。たくあん好き好き人間のことはどうでもいいんだ。

僕たち私たちにとっては凶変を連想しがちな4という数字なのだが、これが外の国の人ともなると縁起とはまったく無縁となるわけで、だから外人は「UNLUCKEY NOMBER"4"? WHY?」とばかりオーバーに肩をすくめてみせては平然とたくあんを4切れ食うというのだから驚きだ。そればかりか受験番号444に平常心で試験に臨み、444号の部屋番でも平気で世界一周の船旅ができる。
こうなると444も形無しで、私たちにしてみれば4に対して無防備にもほどがあると考えがちだが、ここにもお国柄というものがあるわけで、今や日本でもお馴染みになってしまったその日の金曜日に一体何があったかは知らないが、13という数字がアンラッキーナンバーだったりする。
さらにキリスト教信仰社会においては、4が3つばかりかいくつ並ぼうとも泰然自若たる余裕を見せてはタバコなんか吹かしたりしてるくせに、6が3つ並んだ途端に恐怖に顔を引きつりはじめるのだから不思議だ。慌ただしくタバコをもみ消し、見る見る顔色を曇らせ、ズリズリ後ずさりをしたかと思うと耳を塞ぎ「あわわわわ〜」と子供のようなことをはじめてしまうのだ。そう、この666という6の3並びは旧約聖書黙示録の一節によると、アルマゲドンを引き起こすシンボルであり、さらには6月6日6時に生まれた子供は悪魔の子とされ、その子には印しとして体のどこか666の痣が残されているんだそうだ。だから6月6日6時に生まれた子をもつキリスト教を信仰する親たちは、夜中にこっそり子供の体中をなめ回すように666の痣がないかをチェックするらしい。そしてそんな痣がないとみな一様にホッとするのだが、まだ安心してはいけない。実は髪の毛に隠された頭皮にこそ、その666の痣は巧妙に隠されているわけで、是非キリスト教を信仰するお父さんは子供の頭皮にお気をつけいただいたきものだ。

いや。オーメンの話はどうでもいい。どうでもいいんだが、どうやら今年2006年の6月6日にホラーの名作その「オーメン」のリメイク版が公開されるらしい。

さて、こうしてアンラッキーな数字には各国ばらつきが見られ、ともすると「16235892241はアンラッキーナンバー」などと憶えるのも一苦労な国もあるかもしれず、ところが反対にラッキーナンバーについては"7"であることが広く世界中へ流布しているようだ。この"ラッキーセブン"という考え方の源はどうやらアメリカであって、しかも比較的その歴史は浅く、聞くところによるとニューヨークヤンキースが負けている試合の7回の攻撃で頻繁に奇跡的な逆転をするところから言われはじめたんだそうだ。もちろんこの日本にもそれはいつしか輸入をされ、末広がりで縁起がいいとされる8よりも、もはや7の方がラッキーナンバーの地位を歴と確立している感が強い。しかもそれが3つも並んでしまうフィーバー状態、777にでくわすと人は根拠もなく吉兆に出会ったように舞い上がるものだ。

昨日バーで出会った七瀬奈々子は7月生まれで、その日すこぶる上機嫌な彼女にドリンク代をおごってもらった。なるほどそれはラッキーである。
7時7分きっかりに質屋に入ったら、目の利かない店主がニセロレックスの時計に意外と高く値をつけ引き取ってくれた。それもラッキーであった。
と、なにもこんな突飛な例をいくつも列挙するまでもなく、日々パチンコ屋さんではこの777の恩恵にあずかる人は多く見いだされるだろう。
だからといって目を覚まして見た時計のデジタル数字が7:77だったりしたら逆にとっても怖いわけだが、バーにふらりと飲みに行かない、ニセも本物もロレックスの時計など持ち合わせない、そのうえパチンコもせずおおよそギャンブルに縁のない甲斐性なしのこの私が、だからこそたまに出会ってしまう777という3連に、くどいようだが信心が浅くともうれしくなろうというものだ。

これが一般的に、どれくらいの確率でそうなるかを私はしらない。実のところそれは頻々と見受けられることであって、なにもここでこうして取り立てるべき話しでもないのかもしれない。
それは夜中の、いや別に夜中でなくてもいいがこと私に限って言えば夜中に立ち寄ることの多いコンビニのレジで、突如吉相777は現出する。
「♪ピッ。♪ピッ。合計777円です」

そうである。つまりちょっとした買い物で偶然にも物品価格の合計が図らずも¥777だったりするのだ。いつもは渡されたそばから紙屑と化してしまうレシートを、その時ばかりはマジマジと見てしまう。ホントだよ、偶然にせよ、そこに777は記されている。なんかうれしいじゃないか。だからといって特別ステキなことがあったためしなどあろうはずもないが、夜中のコンビニのレジで私はこうしてささやかな慶びを感じてしまうのだ。
確かそんなコンビニのCMが去年あったりしたが、それを観たときは「おおー、同志!」と企画した知らない誰かに強く共感もしたし、そうして幾たびか買い物金額の合計¥777を叩き出しては、そのレシートが私の財布にいつしか貯まってしまっている。

世の中に在りと在る特殊なコレクターたちは一般人が見向きもしない紙屑ごときに価値を見いだし、そのコレクションが個人にとどまらず、やがて広く一般的に価値を生むことがあったりする。それが古いマッチ箱ラベルだったり、倒産してしまった航空機のチケットだったりし今や高値をもって取り引きされていたりするのだが、だからといって私の財布の中に蓄えている¥777のレシートが、いづれ価値を生むなんてまったく考えられないし、もともとそんなつもりで貯めているわけでは決してないのだ。
3度も言うことで逆に深いやつだと思われてしまうかもしれないが、信心の浅い私にとってレジ前で偶然にもそうなった時に少しく喜び勇んで雀踊りはしても、それが常時幸運のお守りとして効用を期待して財布に忍ばせているわけではないし、だったらなぜとっているのかというと、いうなれば以前記した映画における名優たちの二度見への着眼もつまりまったく同列であって、どうにか人が見ていないところを見ようとしていたいし、そこにこそ価値を見いだしたいし、そんな自分の着眼点を自らが面白がっているだけのことなのだ。
だから人はおそらく¥777のレシートなどになんの価値を見いだし得ず、そしてそれを見てはきっとこう言うはずだ。
「集めてどうする」

どうもしないさ。どうもしないのさ。
そう、人がこぞって集めるものに交換価値が存在し、そこにこそ価格が発生しようとも、自分にとっての本当の価値とは、人が捨ててしまう、見向きもしない、交換できない売り物にもなんにもならないものにこそ、あるのだから。だからこれからも私は集めつづけるのだ。

いや。それは私がただ単に、輪ゴムをいつか使うだろうときのためにいくつもいくつも水道の蛇口へ巻き付けているように、"捨てらない人"ただそれだけのことなのかもしれない。私の行く末は、近所に疎ましがられワイドショーの格好のネタになるゴミ屋敷の主人であるかもしれないそんな兆しの紙屑が、今も財布の中にもこっそり忍ばされている。


<大公開! これが「レシート777」だ!>

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それまでにも一度か二度"出た"こともあったが2003年10月10日から蒐集はスタートしている。
「SFムービーSエイリア」の×2とは食玩である。そこまできたらあと一文字"ン"くらい印字したらどうなんだといいたくもなるが、それよりも増して気になるのは「元気の素405B缶」だ。なんなんだそれは。だったらA缶もあるのか、あるんだったらなぜBにしたのか気になるところだが、今やまったくそのブツがなんなのかすら記憶にないし、買った私はその日元気がなかったんだろうか。





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モスバーガーの匠味を食ってんし。
ポテトのSと組み合わせると、誰でも「レシート777」を速攻ゲットできるので興味のある方は是非お試しを。
それにしても2003年10月30日とは出るときゃ立て続けに出るもんだね。
10,077円を出し、9,300円おつりをもらっているところが、なにか笑える。







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2004年の9月1日だ。1年ほどブランクがある。
そしてジョナサンの朝はとろろ朝食だ。
レジ担当の久恒雅美さんは、このとき心の中で「おめでとう」と言ってくれただろうか。






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続くときは続くもので、2004年の12月1日で、きっちり3ヶ月後に"出た"だ。
「コナミSFムービームービーセレクションガメラ」2ヶは食玩である。また食玩である。また2ヶである。
確かこのとき劇団の第一回公演への稽古がはじまっていて、ダブったやつをご出演いただいた亜門先生に贈呈した気がする。亜門先生、いらなかったかもね。







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ちと判別しづらいが、リトルマーメイドでパンを買っている。実についこないだ"出た"最新の「レシート777」だ。
すると2005年は丸々1年間それが出なかったわけで、なるほど去年はなかなか大変な年だったことを鑑みると、こりゃ今年の運気はいいのかも。どこが"信心の浅い"だ。バリバリ験かついでる私だったりする。

by wtaiken | 2006-02-21 02:44 | 777

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