「フィルムは女優にやさしい」のと「実はかなりコメディー」   

先週までのてんやわんやが嘘のように、今週は「もしかしてバタバタしているうちに私はもう仕事を納めてしまったんか」というくらい静かな暮らしぶりだ。

1月は9本で2月が28本。桜3月19本、新年度に入って4月が29本、自殺が増える5月には12本、新芽吹く6月12本、海開きの7月は9本で、盛夏8月22本。読書の9月に34本、私の生まれ月10月が32本とつづいて、11月が17本。そして12月がはや下旬だというのにたったの5本という体たらく。と、これは今年観た映画の月ごとの本数であるが (自宅のソフト視聴が主) 、なるほどこうして振り返ってみると忙しかった月と比較的仕事に余裕のあった月とが映画の本数に顕著である。
「いやあそれにしても9月と10月は映画観まくったなあ」などと早くも今年を振り返りつつこのままのんびりしていると、この12月がどうやら2014年映画鑑賞最低本数月間になりそうなので、だからって別に12月を贔屓して1月と7月の9本に負けるな! 追い越せ! ってわけではないが、なんとなく肩くらいは並べるべく、やっぱり時間が出来ると「まずは映画。」というわけで、先週末にギリギリ公開に滑り込みで間に合った日本で唯一行っていた35㎜フィルム上映版「インターステラー」を。そして昨日はデヴィッド・フィンチャーの新作「ゴーン・ガール」を。おそらくは忙しさの揺り戻しはなかろう年内に「ベイマックス」を観たら今年の劇場映画館鑑賞も打ち止めか。

さてフィルム版「インターステラー」は、IMAXデジタル上映版と比較すると映画全体の深みが増し、しっとりとした印象。フェイクではないフィルムノイズももちろんあって、なんとなく漠然と「ああ昔観た映画ってこんな感じだったかも」という懐かしさも少々。
ただ暗部と明部の階層が狭く、たとえば明るいシーンは一律で白く画面が飛んでしまい、そのためIMAX版では見受けられなかった白い字幕の読みづらいところがあったり、オープニングの悪夢に眼を覚ます父クーパーと心配して起きてしまった娘マーフとの夜明けシーンが暗くつぶれて表情が読み取りづらかったりした。
そのかわり「しっとり」の恩恵を受けるのが女優さんであり、ことにアン・ハサウェイのヘルメット越しの表情がよりベールに包まれたようで美しさが一際印象に残った。結局のところ「アン・ハサウェイかよ!」ってくらいに3回目の鑑賞は彼女にすべてを持っていかれた感じだが、私にとっての「インターステラー」は畢竟「S・T・A・Y」と「なにかを置いていかなければ、前へ進むことはできない」の二言に尽きた。この二言には何度観ても泣かされるし、やっぱりクリストファー・ノーランの、いつもの余韻の残し方は好きだなあ。
3度目の鑑賞後はさすがに、2年に1度のクリストファー・ノーラン祭りも終わりだと思ったが、たったの数日過ぎただげでまたまた観たくなってしまう、誰がなんと言おうとしばらくはクリストファー・ノーラン中毒の症状から抜けられそうもないようなので、公開中にはせめてもう一回くらいは観ておこうかと思う所存だ。

さて、デヴィット・フィンチャーだ。フィンチャー作品はこのところ「まあまあ普通に面白い」程度にとどまっている感がある。「ベンジャミン・バトン」も「ソーシャル・ネットワーク」も「ドラゴン・タトゥーの女」もすべて「まあまあ」だ。唯一2006年の「ゾディアック」のみ私は評価したいが、まあ革命映画の傑作「ファイト・クラブ」レベルを求めても土台無理なのかもしれない。とはいえ、やはり凝ったタイトルバックやカメラワーク、渋み味ある映像といい、琴線に触れる要素の多いこの監督にはどうしても次なる傑作の現出を期待してしまうのだ。

そのデヴィット・フィンチャーの新作が「ゴーン・ガール」だ。
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午後2時の回は、さすがに今日はクリスマス・イヴ、「平日なのに働きもせずになんなんだお前らは。ああ学生さんかい」といった感じの若い二人連れが目立ったほかはずいぶんとご高齢者が多く、予告篇などで観られる「結婚記念日に失踪した妻を捜す夫が実は妻殺しの犯人なのでは...」という明らかなミスリードをいいように解釈して、もしや失踪されて本当の愛の意味を知る、なんていうまっとうなストリーテリングでも期待しているんじゃないかと、ちょっと心配になった。なにせ「セブン」のデヴィット・フィンチャーだ、普通のスリラーともラブストーリーとも縁がない監督作ですよ、そういってあげたかったが、いやいや十分熟知している映画通の年寄りが集っているのかもしれない。

きっと、おそらく、いや十中八九「妻殺しの犯人か」という仕掛けは見せかけに過ぎないだろう。そう読ませておいて、もう一回ひねってやっぱり「妻殺し」でした!となる展開もあるにはあるんだろうが、いずれにせよそれをどうひっくり返してくれるのか、なにかとんでもない展開をワクワク期待していると、まずベン・アフレック演じるニックが直面する妻の失踪にまったくもって切迫感も緊張感のかけらもない演技に、失踪ではない真実を知ってるという計算し尽くされたことなのか、それともやっぱこの人は監督では成功しても表現者としては三流なのかどっちなんだと困惑させられてしまう。どっちにせよ、まるでセリフの棒読みのように表情が一定すぎるが、その切迫感のなさにはちゃんとした理由があることが序盤に明かされ、さらには意外すぎるくらいあっさりと中盤あたりで妻失踪の真相が明かされてしまうのだ。それは予想の範囲内にあることなのでそこに衝撃は一切なのものの、むしろこんな時点で種明かしがなされてしまったことに驚き、一体この物語はどう転んで行くのか、つまりこの映画は妻失踪の真実を追うことが主眼なのではなく…と、ネタバレをしないように書くのはかなり難しい作品でなのでズバリは刺さずとも少々本筋に触れつつ言うならば、男と女が結婚するとはどういうことなのかというテーマを、かなりの振り切った物語と表現で突きつけてくる、一種のVSものだったのだ。

サイコ・スリラーとこの作品のチラシにはあるが、ベン・アフレックが終始眉間にしわを寄せたシリアスな演技をし、映画の視点やトンマナを「シリアス」にしているからそう見えるだけなのであって、振り切った表現を体現してくれるとある人物を含め、登場人物のすべてがやっていることはコメディーに限りなく近いもので、ちょっとだけセリフをいじり、視点をずらすだけで、十分に楽しめるコメディに変貌するんじゃないかとさえ思ったくらい。実際数カ所でスクッとしたしね。

最後に、ネタバレギリというかアウトかもしれない一言をそえるならば、2時間強も見せられたものが、犬も喰わないそれとはな!という映画。個人的には好きな映画ではある「ゲーム」が、嫌いな人にとっての、シリアスタッチな大仰なドッキリカメラを2時間も観せられたのかよ!という鑑賞後感覚と近しいものがあるように思った。


P.S.
あ、そうだそうだ、ななんと昨24日は当ブログ開設10周年でしたよ! 10年! 日記も3日と続いた試しのない私がこうして続けていられるのも、数ヶ月更新しなくても見放さずに気にして覗いていただく方があるからに他なりません。今後ものんびりとしたおつき合いをお願い申し上げます。

by wtaiken | 2014-12-25 00:08

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