ダークナイトトリビア:3回目   

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ひさかたぶりの、いやそうでもないかのダークナイトトリビア、3コンテンツめ。
ゴッサムマフィア連中の"グループセラピー"とそのあとのギャンポル坊やアジトへ死体偽装で乗り込む2つのシーンからジョーカーについてのトリビアと、香港ラウ追撃シーンからのトリビアを。


10 「ハーフ。」
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マフィアの銀行に強制捜査が入り、資金源が危うくなったギャングらは慌てて今後の対策会議を某ホテル厨房でしている。そこへ単身乗り込んできたジョーカーは、えんぴつの消えるマジックパフォーマンスのあと、これまでのうのうと働けた悪事が暴かれてしまうのはすべてバットマンが現れたからだとし、解決策は「簡単なこと、バットマンを殺すことだ」と断言する。
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「簡単なら、なんで自分でやらねーんだ?」というチェチェン人ギャング (スチル左。シナリオには"CHECHEN"としかなく、役名はない) に対し、「得意なことはタダじゃやらないもんだぜ」とうそぶくジョーカー。「じゃあいくら欲しい」と問われたジョーカーは迷うことなく「ハーフ」、つまりマフィア全資金の半分をよこせ、と言うのだった。
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実はこれ、ジャック・ニコルソンが89年のティム・バートン版「バットマン」にジョーカー役の出演をオファーされたときに言ったとされる言葉が「ハーフ(全製作費の50%)。」なのだ。(あるいは実際に支払われたとも。)

これを堂々とヒース・レジャー"ジョーカー"のセリフに盛り込むあたり、したたかともパロディーだとも、リスペクトとも人それぞれに受取ようがあると思うが、これは決して遊び半分のジョークとして言わせたわけではなく、この映画「ダークナイト」のテーマと一致したからこそ採用したのだと私は思っている。
そのテーマとは、改めて観ている人には言うまでもない「永遠の1/2」あるいは「相反する2つ」ということ。大きく括れば、善と悪、そして男と女だ。
登場人物の多くが、この対立軸の中で物語は進行していく。たとえばバットマンとジョーカー、ブルースの"表の顔"と"裏の顔"、レイチェルは二人の男からの求婚に悩み、ゴードンも仕事と家族の狭間で苦闘し、ジョーカーの犯罪はいつも究極の二者択一を他者に迫り、ハーヴィーはコインの表裏で運命を決める。すべては1/2に終始するこの「ダークナイト」で、それを自らの肉体で体現してしまうヴィランとして最後の最後に登場するのが"トゥーフェイス"というわけ。
コミックの人気ヴィランだからという単純な理由ではなく、あくまでコンセプト、理屈重視なところが如何にも実直な作風のクリストファー・ノーランらしいところだ。

↑ と、理詰めなところが"うじうじくだくだ面倒くさい"という見方もあり、そのあたりがマッスルでストレートなアクション映画好きに「ダークナイト」がオミットされてしまう所以だろうと思う。



つづくよ。

by wtaiken | 2012-02-16 17:41 | ダークナイトトリビア

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