反省回   

川端康成『雪国』の冒頭、かの有名な一節、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」が、もしこういう書き出しだとしたらどうだろうか。

「雪国である。国境の長いトンネルを抜けるといきなりだ。」

森進一のモノマネをする人がまず「森、進一です。」と名乗ってしまう行為に等しく、『雪国』という題名の小説が「雪国である。」とはじまる愚かしさもさることながら、これでは情感もへったくれもなくなってしまうだろう。
いや百歩譲って、ノーベル文学賞を受賞した川端康成のそれより、むしろ私がものの数秒で書いた書き出しの方がイカしているなどと、なにを血迷ったかそう思う人がたとえいたとしても、決してこれを川端は良しとしないだろう。

「その長いトンネルは国境を貫通しており、だもんでそこを抜けるとトンネル前の景色とは打って変わって突然に雪国であったからもうビックリでした。」でももちろんダメだ。
言葉は無駄なく吟味され、一言一句たりとも差替えはきかない。言葉はおさまるべき順序で並んでいる。
「雪国である。国境の長いトンネルを抜けるといきなりだ。んー、それもアリだねえ」と選択の余地を寛容に認める作家などいない。

なにも私はここで芸術家論をぶつつもりはない。ただ言葉の順序ひとつですべてが台無しになってしまうことと、その順序にこだわらなければダメだ、ということだ。

ものにはすべて順列配置があり、それがひとたび狂ってしまうと、ポストの鍵は開かず、銀行の預金は引き出せず、紅白のオオトリで上地雄輔が歌ってしまうなんてことになるのだ。
ああなんて大事なんだ、順序ってやつは。
その大事な順序の中で、一番問題視されがちなのは、オチの出とちりであることに異論はなかろう。焦ってオチを早く言ってしまう愚行のことだ。
「不時着した惑星の海岸線の先には自由の女神があるっていう猿の支配する世界の話なんだけど」
そんな風に映画のあらすじを話し出すやつはダメだ。

まさにオチは、末尾にあるからこそ効くという本分を私は忘れてしまったようだ。ダメだ。失格だ。
なにがって、前回の「犬のまんが道」No.0096、起承転結の4コマめ。当然ここでオチることにしなければならないものを、私はあろうことか言葉の順序を間違ってしまっていたのだった。
台所で思いつき、これはイケると描き上げてみるとどうもしっくり来なかった、その理由は実にシンプルでかつ基本中の基本、オチの落しどころにあったのだった。

次に描きかえたコマと前の4コマのものとを比較していただければ、私のいわんとするところを理解していただけると思う。
反省回_c0018492_15502585.jpg


どうだろうか。...。
人物のアクションもちょっと変えてみたりして。
あれ。大差ねえか?
そもそもネタ自体がどうもねえ。あ、そうすか、失礼しました。

by wtaiken | 2011-02-01 16:22 | 犬のまんが道

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