恐怖のメモリー   

“窓辺のマーガレット”は桂三枝で”窓際”はトットちゃんだが、小・中・高の新学期、窓際の列席の一番先頭に、必ずといっていいほど座らされていたのがこの私だ。風の強い日にはクリーム色のカーテンがちろちろと頬をなで、各教科のはじめの授業でいの一番に指されるのが、つまり出席番号1番の私なのだった。

たまに変則的に、廊下側の席から出席番号順に座らされたこともあったと記憶するが、まず真っ先に授業で答えなければならないことに変わりはなかった。
「じゃあ、出席番号一番の、アイダ!」

このクラスで果たして一年間うまくやっていけるのか、一様に皆さぐりさぐりの雰囲気の、それこそ”温まっていない”教室の中で、誰よりも早く指名されては、やれ「これ解け!」「ここ読め!」「そこ訳せ!」という攻撃の矢面に立たされるのだ。
ごくまれに「じゃあ、たまには出席番号の一番最後の人から当ててみようか」といった気まぐれ教師の不意打ちに、常にクラスのどん尻に控える”わ行”のものども、「和田」やら「渡辺」やらを狼狽えさせることはあっても、それはあくまで異例中の異例なことだ。
まずは「アイダ」なのだ。ひとまず「アイダ」にやらせておけ。新学期の開始だもの「アイダ」でいこう。「アイダ」でいいよ、「アイダ」だ「アイダ」。

いまなぜか手元にある中学時代の同窓生名簿を一覧してみて気づくのは、「あかがみ」「あおやま」「あけど」がそれぞれ1名、「あべ」が2名に「あらい」が3名という体たらくで、つまり私を抜きん出て先陣を切ろうという気概の名字を持つ者がひとりもいなかったという事実なのだった。女子に辛うじて「あいかわ」がひとりいたが、出席番号は男子からはじまるという男性上位バンザイの日本社会の中では所詮順番に変動はなく、畢竟私は、頭の程度はどうあれ、クラスの先頭を常に歩かねばならかった。

だからひとのケータイの電話帳の一番先頭に私「アイダ」がメモリーされてしまうのは致し方ないことだろう。「ア」さんだとか「アア」さんなどの珍名さんは望めないし、頼みの綱の「アイカワ」「アイザワ」さえ、サトウ・スズキの跋扈する世の中なかなかそうは出会えないようだ。

私はケータイを、冬場はカバンやコートなどアウターのポケットに、夏場だともっぱらカバン一辺倒で携帯するので、おそらく人様にそんな迷惑をかけていないと自分では思っているが、たとえばキツキツのジーパンのポケットにケータイをしまっていたりなどすると、どうしたはずみかでどこかのボタンを押してしまい、かけるつもりもないのに発信してしまうなんてことが頻出するようで、もちろんこれは勝手な憶測なので正確なことはわからないものの、おそらくそういった経緯により、電話帳の筆頭にメモリーされる私宛には、ちょくちょく「かけるつもりもない電話」つまり「アイダ」であるがゆえの「間違い発信」が多いのだった。

めずらしいやつからの着信は怪しい。「間違い発信」に違いない。とはいえ万が一大事な用事もあるやもしれず、折り返しかけてみると案の定それなのだった。
「あーあ。それって、なんか間違って発信しちゃったんじゃないかな」
「ああ。そう」
二の句が告げず気まずい沈黙の後、とってつけたような近況を手短に交わし、そのうち久しぶりに会おうじゃないかと、おざなりの口約束でケータイを切る。

厄介なのは留守電だ。着信があったうえに留守電が入っている。なんだろうかと聴いてみる。
「一番目のメッセージです。午後19時37分。ガサッゴソッ。ガサッゴソッ。ガサッゴソッ。ガサッゴソッ。ガサッゴソッ。ガサッゴソッ。ガサピー…このメッセージを消去するには3を」
叩き折らんばかりに3を押してくれる。これぞズボンのポケットに入れたケータイがなにかの圧迫でボタンを押してしまい勝手に発信してしまったというパターンで、留守電にはえんえんと歩いている音が入っているのだった。
また夜中にかかってきていた仕事関係者の留守電には、おそらくどこぞ繁華な場で盛り上がっているうちにメモリーのボタンが押されたであろううら若い女性のさんざめく笑い声がうっすら遠くの方に聴こえるといったこともあったりした。

二日前の朝のことだ。自宅での仕事が夜通しとなって、床についたのが朝の8時だった。疲れから瞬時に意識が遠のき、順調に眠りへの階段をゆるやかに下降していたそのときだ。マナーモードのケータイが振動している。仕事柄こんな時間に電話のかかることは希だし、平日のこんな時間に友人からの電話もありえず、睡眠へと落下していくスピードはゆるやかであってももはや歯止めはきかずに私はそれを放置したのだった。
しかし半睡の状態で気にかかったのは、徹夜で仕上げメールで送った台本についてのなにか重要な用件だったかもしれず、眠い目をこすりながら私はケータイの着信を見てみた。
着信は、元ドロンズの大島くんからだった。いまや芸人の道をスッパリあきらめて、恵比寿に鍋屋を開業している大島くんからなのだ。年賀状のやりとりはあるものの、かれこれここ数年会うどころか話もしていない。珍しいやつからの着信。この時間帯からしても、どうやら「間違い発信」に違いないのだった。まったくなんて迷惑なやつなんだ。徹夜仕事明けの寝入りばなを襲撃するよりによっての「間違い発信」だなんて。
私はケータイを枕元に放って、また布団を被った。
と、おそらく数秒後のことだろう。また眠りかけた耳元で、今度は留守電が入ったことを知らせる振動に私はまた起こされたのだ。
なにかよっぽどの用事があったのだろうか。仕方なく留守番電話を再生してみた。
「一番目のメッセージです。午前8時14分。んご〜、んごご〜〜、んご〜」
吹き込まれていたのは、大島くんのいびきだった。

たびたび寝ばなに起こされ、人のいびきを聞かなければならないという名字の奇禍。
ホント、私のケータイナンバーをメモリーしている方は、どうか「間違い発信」にご注意いただきたいものだ。

by wtaiken | 2010-03-18 04:01

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